「カリオストロ伯爵夫人」

アルセーヌ・ルパン、もといラウール・ダンドレジー、二十歳。己の才覚だけしか持たなかった青年の、人生を決定付ける契機となった壮絶な闘いの物語。
清純な女性を愛しつつも、大いなる冒険と年上の女にのめり込んでしまうという、若いルパンの物語です。

他のルパンものと比較して、読むのにかなり気力を必要とする作品。顛末を知っているからでもありますが、ラウールとジョジーヌの恋愛関係がお互いを削り合うかの如くに凄まじいのがその理由です。
クラリスのことも気の毒すぎて、特に前半部分は再読を重ねる度に気が滅入る。
あれは酷すぎ。ラウール、男の中の最低男ですよ。


本作は多くのルパン作品を発表した後に執筆されたものなので、初めての冒険を描くと同時に、なぜラウールが今のルパンになったかという理由や原因も細かく描写されています。
その辺はほとんど破綻なく、上手くまとまっていると思う。もちろん矛盾点がないわけではないけれど、大筋では全く気になりません。

何より本作には二十歳の青年らしいラウールの若さと勢いがあります。
大変に傍若無人な、自分本位の若者ですよ。
でもその魅力的なこと!
さすがカリオストロが最悪に愛して最高に憎んだだけの男ではあります。






本作のルパンは、それまでそこそこ泥棒をしてきたとはいえ、まだ何者にもなっていない若者です。大物になりたい、なるはずだという野望は持っていますが、裏社会でなくお日様のあたる場所でそれを成しえる可能性も全然ないわけではありませんでした。

そんな不安定な時期に出会ってしまったのがカリオストロ伯爵夫人。
聖母の微笑を持つ、この世で最も優雅な完全美の化身。

この二人、年上の女に奉仕する若者として、初めて自分を支配する男にのめりこむ女として、あるいは悪事の師匠と弟子として、同士として、果ては敵として、壮絶な恋愛を繰り広げます。
お互い最高の恋人で、なおかつ同じ穴の狢。おそらく何もかもが合ったことでしょう。しかし魂の部分で決定的に相容れない。

ここのところの苦悩が、実は本作の一番のテーマだと思います。


殺人を忌み嫌うラウールが、ジョジーヌが殺人者であると知ってもなお彼女に愛を感じるところは、実は結構怖い。客観的事実で本性を理解しても、彼女の顔と体にそれが見えない限り、離れようともがいても男の部分がどうしてもひきずられてしまう。

何かのきっかけで彼女に取り込まれてしまう可能性、実は高かったと思いますね。もうちょっとだけジョジーヌがラウールを信頼していれば、それこそなし崩し的に魂を売るような羽目に陥っても不思議じゃないくらい、それくらい危うい所にラウールはいた。
で、そうなってしまえば、もちろんその後のアルセーヌ・ルパンは存在しません。堂々と「ルパンです」と顔を上げて泥棒できるような人生なんて送れてはいなかったことでしょう。


ラウールの魂を守ったのはクラリスで、彼女がいなかったら彼どうなっていたのか、ちょっと想像できないくらいです。
クラリスへのラウールの態度は身勝手で、冒頭のあれなんか男として最低なんだけど、彼女の純血を汚した事実が結果的に彼を救うというのが、なんていうか、ラウールのラウールたる所以というところでしょうか。

ラウール自身気付いてなかったかもしれないけど、クラリスをジョジーヌから守ることが自分自身の魂を守ることにもなっていたということ、これとても重要です。
「クラリスの髪の毛1本もさわらせない」の誓いは、もともとウッカリ口にした言葉でしかなかったけど、ウッカリである分彼の真実であり魂そのものでもある。この言葉を守りきってこそ、ラウールはラウールであり、ルパンはルパンなのですよ。

だからラウールの魂を考えれば、映画「ルパン」でカリオストロにクラリスを殺させた設定変更はありえない。
殺人女に屈服させられちゃいけないんだって、ルパンは。彼がその後の人生を謳歌できるのはジョジーヌからクラリスを守りきったからなんだって。
だから映画のルパンの人生はすごく暗そうなんだよ。
まああの映画は父親からして違うんだけどさ……。

今にして思えば、あの映画に対する違和感って「殺人」の扱い方にあったのかもしれないと思います。というのも今回「カリオストロ伯爵夫人」を読み直して、本作での彼の闘いは、自分が殺人者と同類にならないこと、クラリスを殺させないこと、これに尽きると思ったからです。
お宝争奪戦については、単独対組織というハンデがあるとはいえ、所詮天才対非天才。ラウールなら頑張ればなんとか出来た。でもジョジーヌとの闘いは頭だけではどうにもならないもので、まさしく本性とか魂とか、その部分のせめぎあいなのですよ。


改めて重要だとわかったのは、カリオストロから組織の作り方や悪事の進め方を習って立派な泥棒になったということよりも、泥棒でありながら、なお正義の人でいられるその理由ですね。(犯罪者に正義という言い方も変だけど、他に上手い言葉が見つからないのでご容赦下さい。)
ようするにカリオストロとは全く正反対の犯罪者人生ってことですが、地獄に引きずりこもうとする“地獄から来た女”を愛しながら、それでも彼の魂は健やかでしたという、そこのところがこの「二十歳の冒険」の一番の肝なんじゃないかなあ。

一度彼女に殺されながら、なお彼女への愛に囚われているボーマニャンは悲惨この上ない。彼女に関わった男全てが破滅していく中、彼女すら乗り越えられたラウールなら、今後どんな目にあっても魂を売るような間違いは犯さないでしょう。
後の冒険に見られる彼のポリシーの揺るぎ無さには感服するばかりなんだけど、その根源がここにあるのは間違いないのではないかと、そんなことを思った今回の「カリオストロ伯爵夫人」再読でありました。



ちょっと語りすぎですね。
まだ思った事はあるけれど、キリがないのでこの辺で。
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by teri-kan | 2009-04-23 10:08 | アルセーヌ・ルパン | Comments(0)
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