ジョゼフィーヌ・バルサモとルパン、そしてクラリス

「カリオストロ伯爵夫人」 「カリオストロの復讐」に長々と感想を書きましたが、前回不足していた点を忘れないうちに書いておきます。(半分自分用のメモでもあります。)
興味を持たれた方がいらっしゃいましたら長いですが↓続きをどうぞ。







ジョジーヌが殺人者と知ったから彼女への気持ちが冷めたと思われがちなラウールの愛情。
確かにそうではあるのですが、実はそうでもありません。彼の愛は憎しみも混じった複雑なものでしたが、ジョジーヌの存在が失われるくらいなら殺人者であるとかどうでもよくなるくらいラウールは彼女を好きでした。というか、それほど彼女の美しさはハンパなかった。

ではどこで愛が冷めたのかというと、まさしくその美の仮面が剥がれたところ。ジョジーヌがボーマニャンを憎さあまりに攻撃し、彼女の内面が美の皮を突き破ってラウールの目に見える形になった時です。
その内面とは殺人者どうこうというより彼女の醜い本質、聖母のような外見を無にするほどの浅ましさでした。そしてその時点でやっとラウールは彼女への愛から自由になれたのです。


それまでラウールとジョジーヌ二人の間に他者が入ってきたことはなく、お互いがお互いだけを見て向かい合っている間は、なんだかんだで決定的な破局は起こりませんでした。
ただ一つの例外がクラリスの写真を見つけてジョジーヌがそれを問いただした場面。
実はこの際のやり取りが原因でラウールは彼女の船から立ち去るのですが、ジョジーヌが他人への感情を表した時に二人の関係性が変わるというのは、実はこの時からきちんとある。ようするに彼女の外見の幻惑から逃れるためには彼女の心を写す鏡のような誰かが必要で、それがクラリスでありボーマニャンだったということなのですね。

そういうわけであの灯台に四人が揃ったというのはすごい。あれで一気に物語が激流になりますが、あそこのラウールの心理状態は非常に面白いです。


ジョジーヌとボーマニャン、いい大人二人が欲と憎悪をむき出しにして罵り合う場面は凄まじく、「好きな男の前でそれはないだろうジョジーヌ」と言いたくなるくらいですが、この時二人ともがラウールのことを話しながらラウールを置いてけぼりにしているのが笑える。実はルブランの筆自体が彼を放置で、ジョジーヌにゾッとして呆れ果てたのはともかく、この間ラウールが何を考えていたのかはいまいちわかりにくい。

クラリスの妊娠を知った時の気持ちさえ実はよくわからないのですが(この話題になってもまだ放置されている)、普通の二十歳の若者ならもっとうろたえるだろうところを、動揺しつつも非常に冷静、いや、危機の時ほど冷静になるのはこの人の持って生まれた特性なんですね。ここから俄然彼の目的はクリアになって行動がはっきりしてくる。

妊娠でクラリスに選択肢がなくなり、手紙を暴かれて自分は退路を断たれてしまい、ラウールの道は、いわば己の意思とは無関係なところで決まってしまうわけだけど、そうと決まったのならやるべきことはやりとげようという意思の力はさすがです。
おそらくあそこまでジョジーヌを傷つけるのは本意ではなかったはずなんだけど、ジョジーヌの方から彼を仇敵と認識して、ラウールにとっても事ここに至ってはその方が遥かに気が楽だったというのがなんとも皮肉。

彼、本当にジョジーヌから逃げたかったのですね。
でもそれはかなり苦しい作業で、一人では逃げきれなかったかもしれなくて、ジョジーヌのボーマニャンやクラリスへの憎しみを目の当たりにしなければ非常に困難なことでもあった。
まあボーマニャンはともかく、ラウールはクラリスには感謝すべきですね。彼と結婚するしかなくなった可哀想なクラリスに。もしくはクラリスと自分の絆を祝福してくれた神様に。


クラリスの人となりについては、実ははっきりしない部分が多い。ああいう捨てられ方をして男に何の恨み言も言わずにすむ女がいるならお目にかかりたいですが、どうもクラリスはラウールに対して何か言った風ではない。
久しぶりの再会があんなとんでもないもので、なし崩し的に同志のようになったせいもありますが、にしてもクラリスのラウールへの思いはわかりにくいです。

本作はその辺のことは完全スルーで、ルブランはクラリスのことを男の過ちを許して受け入れる女としての役割しか与えていないかのようです。
はっきり描かれているのは真面目で清らかな魂を持っていること、ラウールを許し、そして母親になるということ。
そう、クラリスはほとんど聖母のような役回りになっているのですよ。

これはジョジーヌの顔がマリアのように美しいと言われているのと完全に対比されていると思います。
見かけが聖母のジョジーヌ、魂が聖母のようなクラリス。そしてクラリスがそのような役割を与えられた女性であるがゆえに彼女の父親は人殺しであってはならなかった。あの唐突なボーマニャンの告白はだからこそ出てきたのだと思います。

で、そこまで聖性を高められてしまった女性の子供が犯罪者なんてこと、やはりありえないと思うのですね。というかルブランそのようなことしたくなかったでしょう。フェリシアン・シャルルが息子か否かは置いておいて、クラリスの息子が犯罪者というのはおそらくない。いくら父親がアルセーヌ・ルパンでも。



ラウールはクラリスの清らかさを尊敬していたけど、それをいうならジョジーヌはラウールの健やかさに憧れ、ボーマニャンはジョジーヌの美に最後まで執着していました。
なんとも強烈な四角関係ですが、クラリス以外の三人は、実は相当救われない人達で、その因縁の中に完全に取り込まれてもラウールは仕方なかったと思います。事実すっかり開花してしまった悪事の才能はクラリスでさえ消すことができなかった。

でもクラリスの魂の清らかさは本作中でも別格扱いで、ラウールもそこだけは決して侵さないようにしていました。彼女には自分の仕事を最後まで隠し通したし、「カリオストロの復讐」でゆすりに来たチンピラにはその名を口にすることさえ許しませんでした。

ルパンの中にそういう侵さざるべきものがあるというのは、実は私はいいなと思っています。ルパンはクラリスを守ったけれど、同時に彼女に守られてもいたということ、ちゃんとわかっていたし、彼女が死んでタガが外れてしまったとはいえ、彼女の思い出は魂のお守りみたいなものになっていたと思うから。
というかそうであったと思いたい。そうだったらいいな。


後に山のように恋人を作って、結婚も何度かしたけれど、クラリスは恋人とか妻とかいうよりも聖母であり天使でもある存在とでもいった方がいいような気がします。その方がしっくりくる。
そういう意味で彼女はルパンの人生において唯一の人。彼女の実態のとらえどころのなさは、結局そういうところからきているのではないかと思います。
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by teri-kan | 2009-05-02 01:46 | アルセーヌ・ルパン | Comments(0)
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