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もののけの行方

大河ドラマ「平清盛」の「もののけの涙」について、更に少々思うことを。

ドラマ内で清盛が崇徳帝に対して「白河院の子であることなど気にせず生きればいい。自分もそうしてる(要約)」と意見する場面が出てくるのですが、ネット上で確認する限り、どうもこれに納得がいかない視聴者が多いらしい。
自分もそのシーンは「ありえん」と思ったし、今でも「もっとどうにかならんかったのか」と思ってるけど、しかし45分全体を観るとあの場面が意味するところが理解できるのも確か。
かなりわかりにくいし、かなり問題があるけれど、「もののけの涙」は、まさしく「もののけ」をキーワードにしている回だということなんでしょう。








崇徳帝への意見は清盛の実感からきている言葉で、「白河院の落胤だと気にしたって仕方ない、むしろバカらしい」と彼は本気で考えています。それは以前に後白河に語っていることからしても嘘偽りのない清盛の真実で、彼の心は白河院の呪縛からは既に解放されているんですね。

でも血はそうじゃない。どんなに清盛自身が健やかでいても、彼は決して血の宿命からは逃れられない。
その現実を突きつけられたのがラストのお坊さん狼藉シーン。
荒れる清盛の姿に白河院を見出したのは忠盛だけで、清盛自身は全く意識してないし、周囲の人間も「殿は感情に正直だから」くらいで済ませてるはず。
でも歴史を知る視聴者はそう単純じゃなくて、忠盛の表情とナレーションから、遠からぬ未来に自分の意思とは無関係に血に食われる清盛を想像してしまう。

清盛は内側から侵食される。
崇徳帝が鳥羽院という形で外側から白河院の影に苦しめられたのとは逆方向のパターンで。
清盛自身は既に白河院から解放されているにも関わらず。

崇徳帝への進言シーンとラストで狼藉を働いてるシーンは、おそらくセットで考えるべきで、頭から既に白河院を振り払っている清盛と、自身の血に白河院を宿している清盛と、相反するこの二つは歴然として清盛の中にあるんですね。
だから将来清盛はかなり苦しむと思う。少年時代の「オレは誰なんだー!」とは比較にならない深さで、己に流れる血に恐怖さえ感じるかもしれない。
でもどこかで院の血との折り合いをつけると思う。
それが何なのか、どういう折り合いのつけ方をするのか。
そこが今後の最大の見所の一つで、だから清盛が権勢を振るうのと彼のもののけ化もセットなんですね。今週の45分はそれを暗示してる回であって、しかもそれが清盛自らが望んだことじゃないというのが肝。今から思えば叔父の忠正は正しかったと言うしかない。
清盛が内側から食われるように、平家も食われちゃうんだもんね、もののけを一族に迎え入れたがために。

……とまあ、そこまで想像の翼が広がるわけです、崇徳帝と清盛のシーンからは。

先週義清は王家の乱れを人を愛しく思うところから来ていると語っていて、多分清盛は義清の言葉の一割も理解できなかったと思うけど、外戚として王家の中心に関わっていく頃には義清の言葉も身に沁みるようになっているでしょう。
そもそも白河院のもののけも人を愛しく思うところから来ているのだから、このテーマを語るために清盛の脇を崇徳帝と義清が補完するのは当然なんですね。
殊更崇徳帝の境遇が不遇なのも白河もののけの威力の表れで、義清が王家の愛に首つっこんで自爆するのも愛のままならなさの表れ。
だから義清が今後も清盛と関わりを持つのはもちろん、崇徳帝も今回はっきりと白河院の血をひくことを清盛と共有したから、今後も結構出番があるんじゃないかと思う。
あればかなり楽しくなると思うし、怨霊化しても出てくれたら嬉しいな。
そういう楽しみも崇徳帝への進言シーンからは持てましたね。

ただ、この楽しみ方は多少なりとも歴史を知っている人にしかできないもので、少なくとも平清盛が武家の人間でありながら位人臣を極め、後に平家は滅亡するという事実を知っていないと無理。
普通の日本人なら学校で習っているけど、知識の程度や思い入れは人それぞれだし、すごく詳しい人はかえって有り得なさの方が目について耐えられないようだし、この辺のさじ加減は難しいんだろうな。「平清盛」は何をやってもそれなりの文句がどうしても出るようだし。

しかしこれから劇的な変更はもう望めないでしょう。この路線で走っている限りこのまま行くしかないですよ。画面の調整はそれなりにするとしても。

清盛の描き方もここまでこの方法できたのだから今更変えられません。
ドラマの清盛は、王家の愛憎(もののけ)をテーマにした崇徳帝と義清はもちろん、武家の棟梁としての在り方を問う義朝も、政治面での頼長も、平家内の問題を語る上での家盛も、清盛の周囲の同年代の人間は清盛の人間性を映すものとして存在しているんですよね。
でも彼らは脇とは言えそれぞれキャラが立っていて一人でも十分魅力的なんです。しかしその魅力に対応する形で清盛を描くということをしているから、肝心の清盛の個性がわかりにくくなってる。
若い頃はほとんど記録が残ってないらしいので、この描き方でも十分ありだと思いますが、しかし大河ドラマの主人公としてはかなり苦しいと思います。大河の主人公に圧倒的個性を求める人にはこの清盛じゃきっと大問題で、だから松山ケンイチの評価もイマイチなんじゃないかなあ。

個人的にはこういうのも好きなんだけど、でもそんな自分でも粗が目立つと思うことは多いし、意図はわかるとはいえ崇徳帝に「叔父子なんて気にするな」と進言する清盛にはアホかとしか言いようがないし、能天気な清盛を気に入ってるとはいえ、もう少しなんとかならんのかいなとは思います。

せっかくいい題材なのに……もったいない。
健やかな清盛が見られなくなるのは残念だけど、早くもののけ化してしまえば個性的な松山清盛になるかなあ。



そう。未来が決して楽しいものではないというのもこのドラマの大いなる欠点なんだよね……。
滅びの美学は好まれる題材の一つではあるけど、震災後の現在では難しいでしょうしね。

「平清盛」、なんだか難しいことになっちゃってるな……。
まさしくもののけの如き扱いづらいものになってるような感じがします。
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by teri-kan | 2012-03-21 16:39 | 大河ドラマ | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


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