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平家納経と崇徳院

今週の「平清盛」はいろいろと画期的な回でした。
まずは平家納経。

キレイでしたねー。
美術さん、細かいところまで頑張ってました。
あんな風にして作られていたのかーと感心しました。
こういうところをきちんとやるのがこのドラマのいいところですね。

平家納経については、以前実物を見た事があるのですが、本当に素晴らしくて、平家の財力と信心をこれでもかってくらいに思い知らされたものでした。
ホントのホントに美しかったんですよ。
しかもお経のそれぞれが個性的でね、見ていて飽きない。
あんな昔のものが今も変わらず美しいまま存在していることにも驚くし、本当に、一族はあんな形で滅んでしまったけど、この人達とんでもないものを遺したんだなあと、感慨深いものを感じずにはいられません。

そして崇徳院。

ある意味この方も現代までとんでもないものを遺している御方。
実害を被ってるのは天皇家だけのようですが、院が自らに流れる血を呪ったという説に従うならば、そうなるのも当然かなと思います。

怨霊化した崇徳院の映像は凄まじいの一言でした。
怨霊というか生霊? 
スゴかったですねえ……。スゴイの一言しかありえない……。
例の歌川国芳の絵みたいなお姿でしたよね。ていうかモロあのまんま。
スタッフ、変なところで伝説に忠実だ(苦笑)。

今回のドラマは、現実の崇徳院は讃岐の地でそこそこ平和に生涯を終えたという説と、院の祟りがコワイヨーという京で育まれた怨霊伝説と、その両方をちょうどよい具合に混ぜ合わせた演出になっていたと思います。
崇徳院自身は、一時の激情と絶望にかられて生霊化しつつも、西行の読経や船を厳島へ到着させるという努力のおかげでなんとかそれ以上の悪化を免れ、讃岐の日の光と子供の声で人間に立ち戻り、きちんと成仏する。
それとは別の思惑として、京では京の理論が展開するということで、災いが起こったりすると人々は崇徳院のことをどうしても思い出さずにいられない。
で、後に院の祟りに怯える人々が勝手に想像するのは、まさしく今回の生霊の院なんですね。彼らが思い浮かべる院の祟りを具現化するなら、まさしくアレなんですよ。
そりゃあ恐ろしかろうというものです。あれに呪われてるなんて考えるだけで恐ろしい。
でも実は崇徳院自身は既に成仏されていて、祟りも怨霊も都の人々の疾しさが生み出したものにすぎない。彼らは勝手にあれを想像し、勝手にあれに慄いているだけで、生前の院を好き勝手に扱っていたのと逆パターンさながら、死後の院のありもしない祟りに勝手に振り回される。
まるで崇徳院に絡んで起こった全ての出来事が、どれもこれも院の意思とは無関係に行われてきたことの証明のようであります。
そう、何もかも院の意思とは無関係なのです。生前も、死後も。
せめて意思がなければ院の心は穏やかだったろうに、悲しいかな、崇徳院にはその生まれと与えられた地位に即した意思があり、しかし世の中はその意思の横を無常にも素通りしていく。院が成仏した後でさえ。

面白い解釈ですよね。これには崇徳院を演じた井浦新の思いがかなり反映されているようですが、歴史と伝説の狭間にいる実在の人物の描き方としてはとても面白いと思います。
しかし、やはり哀れであります。この世に生まれてきた甲斐のなさを院が嘆いたとしても無理からぬことです。
でもそうやって院のお心内を忖度することこそ怨霊伝説に振り回されてる証かもしれないと思ったりもして。
すごい人物を日本史は作りあげてしまったものですね。

なんていうか、こうやって考えると、つくづく崇徳院と後白河院って真逆の人生を送ってるんだなあと思います。
崇徳院は「大魔縁」で後白河院は「大天狗」。人間離れした呼び名をつけられてるところはそっくりなんだけどね。

これで実の兄弟なんだもんなあ。
なんかいろいろ考えちゃいますねえ。
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by teri-kan | 2012-07-30 16:28 | 大河ドラマ | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


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