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「SWAN」モスクワ編 その19

「SWAN MAGAZINE」秋号は、真澄の「アグリー・ダック」の舞台のみ。
リリアナとは全く違う解釈と表現、真澄の舞踊を完全に確立して、終わってみれば大喝采の大賞賛。
「SWAN」という長い長いストーリーの到達点に辿り着いた瞬間でありました。

ちょっと昔を思い出しましたね。
小学生の頃、「SWAN」のどこに惹かれたのかという根本的なところ。
好きだったのは、やっぱり舞台で踊ってるシーンだったんですよね。セルゲイエフ先生のスパルタや日常シーンもいいんだけど、綺麗な衣装を着て森やお城をバックに優雅に踊ってる姿が、子供の私は何より心惹かれたのです。

だって問答無用で美しかったですもん。
ベタをバックにチュチュが透けてるのとか、そこから宝石がこぼれるようにキラキラ輝きが連なっているのとか、今でも人に「SWAN」を薦めるなら私はバレエシーンの美しさを挙げるけど、エドやレオンの肉体美にどっぷり惚れつつも、やっぱり基本はクラシックバレエの、物語も装飾も含めた美しさなんですよ。
モスクワでの「白鳥の湖」の勝負や「森の詩」の舞台なんて、バレエのストーリーと真澄のストーリーが見事にシンクロして、二倍美味しい劇中劇の楽しさも味わえました。
登場人物の葛藤や成長が見た目にキレイなバレエと共に進行して、そういうのとても好きだったなあ。

「アグリー・ダック」は「SWAN」本編後半から登場するバレエ作品では、唯一といっていいくらい物語性のある作品だし、自分の内面を旅するお話だけど暗いだけじゃなくて華やかな場面も美しい場面もある。
久々にキラキラしたバレエを真澄が踊っていることがとても嬉しかったですね。

やっぱね、バレエシーンですよ、バレエシーン。
えんえんバレエを踊っててもいいかもしれない。みんな踊りながらいろいろ考えてるみたいだし、その思考さえあれば、あとは踊りで物語を進めるだけで「SWAN」は成り立つ。
今から思えばコンクールは上手い見せ方でしたよね。いろんなバレエ作品のお披露目見本市。それでもって登場人物それぞれのドラマもあって。
東京コンクールはホントに楽しかったなー。

といった思い出話はここまでにして、今号の感想を。







肝心の真澄の「アグリー・ダック」ですが、うん、リリアナとの違いが明確に出ていて、とてもわかりやすく表現されていたと思います。
異質であることの悲しさを体現したリリアナと、異質であることを自覚するという苦しさを表現した真澄。
「SWAN」本編ラストでの先生のピラミッドの例えでいうなら、リリアナの異質さはピラミッドの頂点の石の、更に上に浮かんでいるくらいの特異な石で、真澄は下にある石、だけどピラミッドを構成している石とは実は種類が全然違っている石って感じ。

苦悩はどっちもそれぞれだよね。
真澄の場合は、そりゃあ大変だと思う。揉まれて揉まれて、その軋みの中から自分自身を見つけていかないといけない。
リリアナの場合は最初から崇められる立場ではあるけど、永遠に孤独だ。
同じ孤独を抱えたセルゲイエフ先生がそばにいてリリアナは本当に幸運で、その関係性こそがリリアナと先生の「アグリー・ダック」だったということ、真澄の「アグリー・ダック」のおかげでかえってわかりやすくなりましたね。

真澄の場合はレオンが真澄の図太さを気に入ってパートナーに選んだということからしても、放置傾向だったのはなるほどって感じです。
「アグリー・ダック」のレオンの存在からしてそうなんだけど、真澄の内側の問題だから、確かにひたすら見守るしかないんですよね。

結局似た者同士なんだろーなー。
レオンって自分が一人で立てる人間だからパートナーもそうであって当然って考えてて、それはダンサーとして理想だからというより、頼るとか支えあうとかいった関係がもともと肌に合わない性格だからなんだ。
NYでもそうだったけど、こういう人とパートナーやってくのってしんどいですよ。ルシィがさんざんレオンのパートナー観を批判してたけど、私もあんなパートナーイヤだな。凡人のヘタレですからね、辛いときは励ましてよーとか普通に思うし。

その点セルゲイエフ先生は何百倍も優しい。厳しいけど優しい。
だからこそ真澄は「先生に頼っちゃいけない」ってNYに行ったわけだけど、「アグリー・ダック」で辿り着いた今の境地は、レオンがずっと真澄のそばにいながら放置し続けたからこそなんだよね。
まあ放置って言ってもぶつかり合ったり言い合ったりはしてるんで完全なほったらかしって意味じゃないんだけど、先生とリリアナの依存し合ったカップルと比べたら正反対なのは確か。
先生達はお互いがお互いしかないような関係で、実は天才同士の方が依存し合ってたというのが皮肉なんですが、真澄とレオンはその点たくましかったですね。

思えばエドとファニーは普通だったなー。
草壁さんと京極さんも理解しやすかった。
あ、ラリサマクシムもわかりやすい。
葵さんは……ガンバレ。

ていうか、真澄とレオンが変わってるんだよ。はっきり言ってしまえばレオンが変わってるんだ。
変な人のおかげで覚醒できたんだから真澄のバレエ人生にとってはよかったんだし、そんな人と対等にやれてるんだから真澄も十分変わってるんだけど、やっぱり諸々考えても、たくましいよなーこの二人。



「アグリー・ダック」のようなバレエを娘のために作ったというの、リリアナの一生を考えたらパパの愛にちょっと泣けてきます。
もしかしたら最初は早世するかもしれない娘に奇跡が起こってくれれば、という意味をこめて振り付けたんじゃないかな。
アヒルの子が白鳥に生まれ変わるように、リリアナの体が元気になればいいなって。
後にアヒルの子の人生をより深めた内容にしたのは、リリアナの生涯をきちんと形にしたかったからでしょうね。リリアナの希望が大きかったんだろうけど、娘の存在を形として残したいというのは、振付家である父親としては自然な感情ではなかったかと思います。

「アグリー・ダック」は人生を辿るバレエで、真澄はそれをとても感動的に踊ったけれど、だからこそ感じるのはやっぱりあれはリリアナのバレエだということ。
でもリリアナ死後も生き続けるバレエ作品にしたのは間違いなく真澄。

リリアナのように踊ってリリアナ以上に踊れるダンサーはいないので、下手すりゃ「アグリー・ダック」は彼女の死と共に完全に封印されかねない代物でした。
封印されて幻の作品になってしまったら、リリアナが生きていた証も幻。どのように悩んでどのように生きたかもお蔵の中。
でも作品が生きればリリアナも生きる。
真澄とレオンが素晴らしい「アグリー・ダック」を踊ったからこそセルゲイエフ先生が自分とリリアナの結び付きをとても強く感じるというの、ものすごくわかりましたね。



真澄が「アグリー・ダック」を踊ったことで自身のバレエの覚醒を得て、リリアナの存在も永遠にする。
それで「SWAN」もそろそろ終幕なのかな。
裸足のブラックスワンからここまで、真澄の旅も長かったですね。

ダンサーとして真に自立した真澄かあ……。
なんだか最強っぽくて、「まいあ」のレオンがあんな感じになってるのもなんとなくわかるような気がしますね。
Commented by hiiragi at 2012-12-08 10:34 x
teri-kanさん、ごぶさたです。
SWANはこの秋号で、ついに真澄とレオンのアグリー・ダックが見られたということでなんというか、お腹いっぱいになってしまってました(笑)

わかりにくいところもあったんですけど、要するに真澄がきちんと自分を認めた、ということなんでしょうか。考えてみれば、真澄って田舎のバレエ教室からいきなり世界レベル(!)まで引っ張り挙げられ、根性はあったけど、なんか自分に自信を持ちきれてなかったのかな…と。リリアナを見て、ビビるなというほうが無茶ですけど。

確かにバレエ・シーン、チュチュ、キレイですよね。東京でのリリアナのアグリー・ダックを見返したら、あまりのキレイさ、透明感にため息が出ちゃいました。

お腹いっぱいだったんですけど、そろそろ次号が出る時期になってきたのでまた気になりだして、お邪魔してしまいました。また、感想を楽しみにしています。
Commented by teri-kan at 2012-12-09 22:28
hiiragiさん

お久しぶりです。コメントありがとうございます。

お腹いっぱいっていうの、わかります。
大きな山を越えて一安心したし、後は粛々と「まいあ」につながる設定を消化させるだけ……って言うとなんだけど、粛々とストーリーを進ませるだけって感じですしね。

現在予約受付中ということで、あともう少しですね。
ある意味次号は予測がつけにくいので、いろいろと楽しみです。
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by teri-kan | 2012-09-24 11:00 | 漫画(SWAN) | Comments(2)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


by teri-kan
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