弁慶の泣き所
2012年 10月 15日
ジークフリートの肩というのもあるんですね。
唯一の弱点という意味などで使われる言葉ですが、大河ドラマ「平清盛」では五条大橋での義経との出会いで脛をやられて苦悶する弁慶が見られました。
こういうのを外さずやってくれたりして、結構楽しいドラマなのですが、視聴率的にはいよいよ厳しいところにきているようです。
そんなに言われるほど悪くないと思うんですけどねえ。
と言いつつ、今更「弁慶の泣き所」について語る私も先週分をやっとビデオで観たって感じで、世間同様少々遅れをとっております。
この時期は行事やら旅行やらで時間通りに視聴するのが難しいんですよね。3連休だと特に難しい。
そういった事情に左右されやすいことがドラマとして強くないって証明なのかもしれませんが、でも内容自体は先週もそんなに悪くなかったと思います。
兎丸があんなことになって残念ではあったけど、現在でもよくある理想と現実の軋みのお話なわけで、そこら辺はきちんと表現できていたのではないかと思います。
綺麗なだけで政治家はやっとれんと言われますが、そういう難しさ、兎丸との対比でわかりやすくなっていたと思います。
清盛の思いそのものは理解できますしね。
言葉狩りみたいなやり方は絶対にダメだけどね。
でも権力者からしたら言葉狩りや密告制度みたいなものは、やれるならやりたいものなんだろうなー。いろいろと楽だろうし。
「平家物語」の禿(かむろ)の記述については真偽のほどが怪しいらしいけど。
にしても、清盛もえらくなったもんです。
三上鳥羽が生きてた頃がはるか遠い昔のようです。
あの頃は宮廷は宮廷として手の届かないところにあって、愛だの恋だのにうつつを抜かしてそれでヨシみたいな雅がありました。
水仙をボーっと眺めて「璋子……」。
なんだかんだでのどかな時代でした。
「大河ドラマ」とは名付けて妙といいますか、人生も時代も川の流れるが如くですね。
ホントに流れ流されてここまで来たなあって感じです。