酒と歌謡と男と女

大河ドラマ「平清盛」はとうとう建春門院滋子が死去。
これを機に政治対立、陰謀、闘争……雰囲気が一気にきな臭くなります。
いよいよ平家滅亡ロードの始まりです。



「武芸もいいけど芸事もネ」というより、「むしろ芸事だよネ!」とばかりの平家の坊ちゃん方に、時代の流れを寂しくかみしめる白髪の目立ってきた忠清。
ところがどっこい彼の出番はこれからで、止まった的に向かってのんびり矢をつがえていた坊ちゃん達はこれから大変なことになるのです。

「戦の時代はもう終わったんだよ。これからはずっと平和なんだよ。歌と踊りの時代なんだよ」と、平和ボケの現代日本人に馴染みの感覚にどっぷり浸かっていらっしゃる坊ちゃん方。
誰が彼らを責めることができるでしょうか。
あの時あの状況では後白河院の五十の賀で青海波を完璧に舞うことが政治だったのです。酒をぶっかけられながら屈辱の中で舞いを披露した彼らの曽祖父忠盛も、維盛達の舞も、同じようなもんと言えば同じようなもんなのです。

とかやってる間にも西光と成親はふつふつと平家への不満を蓄積中。
登場したての頃は区別のつきにくい二人でしたが、今ではすっかりキャラも分かれて、理想主義者信西をスケールダウンさせた理想主義者西光と、典型的日和見腹黒お貴族様の成親といった感じで、それぞれいい味出しています。はっきり言ってメインキャラよりいいくらいです。
特に成親のお上品な陰険さ、ソフィスティケートされた腹黒さは好きですね。表情の一つ一つがいかにも腹に一物持ってるお公家さんで、イメージそのまんまの平安貴族です。

そんな彼らと平家の間をとりもっていたのが滋子ですが、うーん、最後までヘアスタイルに慣れなかったなー。
性格はいかにも松田後白河の好きそうなタイプでしたが、絶賛された美貌の持ち主といったイメージからはちょっと遠かったかも。
酒好き設定はいいのか悪いのか正直判断がつきにくいです。
一昔前まで女の酒好きなんて誉められたもんじゃなかったし、そもそも戦前までは(戦後しばらくもかな)女が堂々とごくごく飲める雰囲気じゃなかったみたいだし、土地柄もあるのかもしれないけど、家付き娘だった曾曾祖母はダンナより立場が上だったから女でもお酒をたくさん飲めたんだよって話なんか聞いてると、女の酒豪は昔は存在しにくかったんじゃないかなと思います。
でもドラマの滋子にとってお酒は清盛と後白河院をつなぐアイテムでもあって、酒を酌み交わして結びつきを強める象徴としての滋子、なんですよね。両者で酌み交わされた酒はイコール滋子なのです。
そこらへんの暗喩は手がこんでるなあというか一歩間違えれば無駄だよなあなのですが、意図したいことはよくわかるからまあいいか。
酒豪で天パって、国母のキャラとしてはやっぱりピンとこない設定だけど。



滋子を亡くして今様を歌う後白河院……それはまあいいんですが、院は歌は詠んでないのかな。後白河院は歌が上手くなかったらしいけど、滋子を亡くした心境を自分の言葉で詠んだりはしていないのだろうか。
自分の感情を正しく言葉にする、歌にするってかなり高度な技で、しかも文字数とか用法とか決まりもたくさんあって、そんなの平安人だからって誰でもできるわけじゃないよなあって感じで、でもそれでも発散したい自分の感情というものは普通の人間なら誰でも持ってて、そういう時に今様があったなら、確かにその歌に自分の思いを乗っけたいと思うでしょうね。
それってまんま現代人の歌の聴き方楽しみ方と一緒で、後白河院ってそういうところがすごく近しい感じがします。

で、本当に詠ってないのかな、滋子の死を詠んだ歌。
それとも詠んだはいいけど遺せないくらいに下手くそだったんですかね。
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by teri-kan | 2012-10-19 13:31 | 大河ドラマ | Comments(0)
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