「フランツ・リストはなぜ女たちを失神させたのか」

浦久俊彦著、新潮新書。

前回、音楽(歌謡界)の明るくない行く先について書きましたが、ある意味本書はそれと関連していると言えます。
音楽を聴くということを快楽を得るための手段と考えるなら、その契機となったリストをめぐる19世紀に起こった現象を知ることは結構重要かもしれません。
というか、音楽と人間との関わり方は歴史的にみても流れ流れて変容していくものなんだなあという感じ。

リストはこれまでの認識では元祖アイドル、今風のスーパースターの先駆けといったものでしたが、そうなるに至った経緯、時代背景、文化背景など、19世紀という時代のうねり抜きでは私達の知るリストはありえなかったということを、本書はとてもわかりやすく書いてくれてます。
人間が縦(身分や階層)も横(国や地域)もかき回された時に生み出されるエネルギーが社会を変え、文化を変え、リストのようなピアニストを生み出す。
これはリスト本であり、リストの生きた時代の文化論、社会論でもある本です。

実は今までリスト本人に興味を持ったことってなかったんですよね。
アイドルだったくせに宗教的だったりとか、とらえどころがなくて。
で、本書を読んでわかったのは、とらえどころがないのもこれなら納得というか、とにかく包容力ありすぎで器が大きすぎで、幅も広すぎで、とにかくやたら大きな人なんですよ。常人じゃないデカさというか、ホンマもんの天才なんですよ。
で、天才が天才であり続けるための強靭なバイタリティも持ち合わせてるんですよ。
よく天才は早死にするとか、何か優れたものを天から与えられた人間は成すべきことを成し遂げるとバイタリティのようなものも失われてさっさと天に召されるとか、悲惨な晩年を迎えるとか、そんな印象が勝手にあるけど、この人は天才のまま、音楽家として最前線で、しかも全く独善的でなく長く生きるんですよ。
もうあまりに活動的過ぎて、そして立派ないい人すぎて目がくらむほどなんですが、これでは確かにリストを扱うのは難しいだろうなあと納得できるんですよね。
リスト本人の「天才」に対する認識も興味深いし、日本でリスト本がほとんど出てないというのもわかりますよ。
リストが体現しているものは膨大です。

いろいろと面白いことが書いてありましたが、ドイツ音楽史の流れ「バッハ、ベートーヴェン、ワーグナー」のベートーヴェンとワーグナーをつないだのがリストだというのは勉強になりました。
ベートーヴェンの楽譜を忠実に再現して、初めて現在に生きる人間にベートーヴェンを聴かせたのがリストだということも。
「後期の作品は耳が聴こえない老人のたわごと」と言われていたという晩年のベートーヴェン評がいくつか紹介されているんだけど、天才は天才にしかわからないというか、楽譜のままでいたベートーヴェンの後期のソナタをリストが現実の音にして皆に聴かせたという話には感動するものがあります。

「ハンマークラヴィア」か……。
CDは持ってるけどとっつきにくくてまともに聴いたことがなかったんですよね……。
今度聴いてみようかな。
リストももっとたくさん聴いてみたくなりました。




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by teri-kan | 2014-01-08 10:59 | | Comments(0)
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