「獣の奏者」 闘蛇編・王獣編 その2

上橋菜穂子著、講談社文庫。
4巻ある本編のうちの最初の2巻。
本編中の本編ともいうべき、獣との触れ合いを通して描かれる、一人の少女の成長物語です。








成長物語と書きましたが、その書き方はちょっと正しくありません。
確かに主人公は物語の中で年齢を重ねて成長していきますが、彼女の考え方や生きる指針は登場時からそう変わってはいないからです。
理由は物語の最初で彼女が体験することがあまりに壮絶だからで、彼女の成長はその体験の答えを探す過程と重なっており、本作のテーマはその答え探しの方がむしろメインになります。

だから主人公は良い意味でブレない。
が、彼女が得たいと願うその答えというのは、そんじょそこらの知識や体験で得られるものでもない……。
ていうか、答えと言っていいものかどうか。
人間社会の中で獣の存在を考えるということは、既に前提がおかしいですからね。
結局は人間の都合でしかないし。
でもそれを考えるというのは人間にしかできないことで、その部分のああだこうだは、究極のところ、この世界で人はどう生きていくべきなのか、ということに繋がっていると思います。

闘蛇編を読んでいて特に思ったことですが(「守り人」シリーズで感じた感覚でもありますが)、作者の生き物に対するフラットな目線はとても好ましいですね。
命に優劣をつけていないのが、そうと説明的に書いてなくても文章から伝わってきます。
一貫してあらゆる命に対して公平。
食うもの食われるもの、自然の理はそれとして、種の優劣といったものを全く感じさせない文章は大変心地良いです。

とはいえ、人間社会に組み込まれれば獣たちも人間の都合により優劣がつけられる。
初めは「個人 対 獣」の関係だけを考えれば良かったものが、王獣編では「人間社会 対 獣」の中に個人も置かれ、むしろそのことによって種と種の間にある壁の本質を思い知らされ、主人公は深い葛藤を抱えることになる。

ここの葛藤は辛いですね。人間社会で生きる獣なんて歪みの極致と言えるから。
そんな歪みの只中に主人公のような人間がいるのはさぞかし辛いだろうと思うけど、もうこれは仕方ない。
彼女をそんな境遇に追いやった、それこそ社会がいけない。

この辺の事情も含め、闘蛇編と王獣編には描写されていないことが多く、作者が伝えたいテーマ的にはこの2巻で十分なはずなのですが、周囲から続きを強く望まれたこともあり、後に探求編、完結編が書かれることになりました。
確かに、本作の中には「この後どうなったんだろう」と思うような人達がたくさんいるんですよね。

作者は「守り人」シリーズでもそうだったのですが、余韻と余白が大きいといいますか、テーマに沿った物語をしっかり著せば、その他は割と読者の想像にお任せ、みたいなところがあって、「守り人」でもその後が気になる人が結構いたものでした。
「獣の奏者」の王獣編は「守り人」の比ではないくらい、皆その後がありませんからね。
「続きが読みたい」という声がたくさん上がったというの、当然だったろうなという気がします。

でも王獣編の終わり方は素晴らしいんですよねえ。
獣と人間の関係性を描くのに、これ以上のことが現在の人間に書けるのか?とも思うし。
これ以上書くのなら獣のことではなく人間のことだろうなあって感じだし、闘蛇編・王獣編のテーマとはまた違ったものになるのかもしれないなと感じます。

結局、人間が獣をどう捉えるか、どのように付き合っていくかというだけの問題で、獣は獣でしかないんですよね。
人間がいようがいまいが、野生のままだろうが飼われようが、獣は獣なのです。
あらゆる問題は人間だけの問題で、だからなのか、霧の民(アーリョ)のあの在り方は、一見良いように見えて、結構違和感も感じてしまいます。

人間社会に惨禍を再び起こさないために獣を歪めた形に置くことを最善とする考え方は、そうなるに至った過程に理解はできたとしても、歪んだ形であることには変わりないわけで、歪んだものは、最終的には自然な感情とか自然な本能とか、そういうものにやはり追いやられてしまうのではないかと思うのです。
主人公の感情を誰も止めることができず、霧の民(アーリョ)の男性は主人公の心を忌むべきものとして切り捨てているけど、どんな説得も言葉も母を失った子供の単純な悲しみの前には何の力もないわけで、そういった自然の感情を無視する歪みをそのままにしておくならば、やはり惨禍はまた別の形をとって訪れるでしょう。

とまあ、主人公エリンをとりまく獣と人間の状況を書いてみましたが、そういうことももちろんながら、本作の一番の魅力は、実は王獣の生き生きとした描写だったりします。
特にリラン。超かわいい。
幼い王獣の描写はとにかく素晴らしいですねえ。
で、獣の本能まるだしの描写も素晴らしい。
バリバリ食べるリランの背中に乗ってその歯ごたえを体毛越しに感じるというのはかなり強烈です。
肉と骨の咀嚼感……うへえーとしか言いようがない。
ごついウロコのパリパリ感とか、正直吐き気モノです。
主人公の体験してることは本当ハンパない。

そういったものを経てたどり着いたラストの王獣と主人公の関係は、ありとあらゆる時を一緒に過ごした、そのことがもたらした事ではあるんでしょう。
どう捉えればいいのか難しい出来事ですが、でもあれを嬉しいと思うのは、ほとんどの読者に共通する気持ちだったのではないかと思います。
たとえ自然の理に反することだったとしても。

あれを自然を歪めた形の一つの表れと言ってしまうこともできるのでしょうが、獣と心を通わせたいと思う人の心を驕りと断じるだけでは辛いものがあります。
人間の都合ではありますが、主人公の感情もまた自然発生的に起こったものです。
人間社会の歪みが原因ではあるけど、その中で自然に育ったものでもある。
主人公のそれは、できればとことんまで肯定したい。
それは最初から最後まで一貫して思いましたね。
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by teri-kan | 2015-05-21 16:39 | 本(上橋菜穂子) | Comments(0)
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