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ピアノ協奏曲 第1番/バルトーク

バルトークは、名前はよく見るけど聴いたことがない、というポジションに長らくいた作曲家でした。
馴染みがない上に何から聴いていいのかわからなくて、手が出しにくかったんですよね。

なので、このピアノ協奏曲第1番は自分にとって初バルトークということになります。
初めて聴くバルトークがこの曲で果たして正しいのか、さっぱりわかりませんが、とにかくそういう事情で書く感想ですので、変なところがあっても温かく見てもらえればと思います。
この曲一つでハンガリーについて語ってしまうことも、できれば大目に見てもらえたらと。

というわけで感想なんですが、まず第一回目に聴いた時の感想は、これに尽きました。
「土くさい」。
土着的とか民族的とか、そういう以前に「土」。
もう土そのもの。とにかく土。

バルトークはハンガリーの作曲家だということは知っていて、で、自分にとってクラシック音楽のハンガリーといえば、リストやブラームスの「ハンガリー舞曲」とかのイメージ。
今回も漠然とそんなのを想像してこのピアノ協奏曲を聴いたものだから、もうびっくり仰天。
「え?」としか言いようがない驚き(笑)。
土くささにあっけにとられるしかありませんでした。

でも、「あー、これがハンガリーなのか」と、妙に納得できました。
これこそがハンガリーなんだろうなと。
田舎の村のハンガリー的習俗とか、そういうものを飛び越えて、古来からそこにある大地こそがハンガリー。
それこそブダペストに石畳が敷かれるよりもっと前の、フン族来襲の頃くらいの大地。
マジャール人が大挙してやってきて住みついた大地。
ロマの人達が行ったり来たりしてる大地。
そういった土地こそがハンガリーってことなのかなと。

という風に思うのもですね、第2楽章がストラビンスキーの「春の祭典」を思い起こさせて、ついあの曲と比較してしまったというのがあるのです。
「春の祭典」もこの曲同様いかにも大地な、土くささが香る曲ではあるのですが、命を生み出す土地としての生命力も感じられて、エロスも十分漂ってる。
バレエの影響もあるけど、「春の祭典」には生命力と色気があるのです。
だけどこのピアノ協奏曲第1番の大地には色気がない。
力強さはあるけど、命を生み出す生命力とかいうものじゃない。
なんていうか、大地は大地、あくまで大地、どこまでも大地、ただそこにある大地。

そんな感じで、実はこの曲は怖いのですよ。
生贄が出てくる「春の祭典」より怖い。
土地に対する、人間の感情の挟む余地のないリアリスティックな感じが怖い。
その辺の異質感がとても大きいんですね。
ロシアのスラブ人は農民で、ハンガリー人(主にマジャール人だけど)は元々遊牧騎馬民族というのが大きいのかな?
一見近い音楽のような気がするのに、土地に対する感覚が全然違う印象です。

なんていうかなー、土地の恵みに対する感情がないわけではないんだろうけど、ハンガリー人はその辺どんな感じなのかなあって思いますねえ。
そもそも遊牧騎馬民族の土地に対する考え方が自分よくわかっていないし、もともと彼らにとって土地は奪うもの、都合が悪くなればそこを捨てて別の土地を求めていくもの、という感じだったと思うんだけど、そんな感覚がバルトークの時代にも残っていたのかとなると「そんなことはないだろう」と思うし、でもそういうものはそうそう民族の中からは消えないと言われれば「そうかあ」と思うし、まあとにかく、いろいろと考えさせられることの多い曲でした。

何度も聴いたら慣れてきたんですけどね。
「あ、カッコいい曲なんだ」と思えたし。
でもリアリスティックすぎて、今後もあまり積極的には聴かないかも。
もしかしたらピアノがあるのとないのとの差が大きいのかなあ、「春の祭典」と比べると。
「春の祭典」もピアノ連弾版は怖さが増大したし。

上手く言えないけど、ウェットさがもうちょっとあればなあって感じですかね。
浪花節とまではいかなくても、もう少し情と色気が欲しい。
バルトークの他の曲がどうなのか気になるところだけど、今のところはバルトークを聴くのは、またしばらく先でもいいかなあって感じだし、カッコよかったけど、こういうのばかりだったらちょっとしんどいかもしれないなと、正直今は思います。
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by teri-kan | 2015-09-07 14:21 | 音楽 | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


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