モーツァルトについて

当初は 「ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595 / モーツァルト」として書いていたのですが、あまりに書けなさすぎて、しょうがないのでなぜ書けないのか、それについて書くことにしました。
以下はモーツァルトの難しさについて、です。








そもそもマイピアノ協奏曲ブームに乗ってモーツァルトまで来たはいいものの、何番にするかというところからつまずいていたんですよね。
27番にしたのはモーツァルト最後のピアノ協奏曲だからだったんだけど、でもホントに書けることがない……。
モーツァルトの中では長調の曲を個人的に好んでいること、人生最後の年の曲だからかそれまでのと比べてシンプルで自然体に聞こえるところが良いこと、第三楽章はWOWOWの「Railway Story」だなあ、旅の曲だなあと思ったこと、感じたことってそれくらい。
他の作曲家のピアノ協奏曲は専門知識がなくても「こんな風に思った」「あんな風に思った」と、そこそこ感想書けたのに、この曲は完全にお手上げなのです。

実はピアノ協奏曲に限らずモーツァルトの曲の感想って書きづらくて、何気にずっと避けていました。
避けていたからといって別に嫌いなわけではなく、まあ特に好きということもなかったですが、聴けば普通に「綺麗な曲だなあ」と思うし、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の生演奏を聴いた時なんて、そりゃあ感動したものでした。
人を幸福にするこの美しさには神がいる!とか思ったりして。
目新しい曲でもないのに新たな感動をたくさん感じたのですよ。
でもだからといって「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」も具体的な感想は?となると、うーん……書けない。

個人の好みとしてそこまでではないからかなあと思ってみたりもしました。
胎教に良いと言われてるくらいだから、モーツァルトが人間の肉体や脳波に良い作用を及ぼしているのは確かで、であるならば私も人間である以上モーツァルトを本能で心地よく聞いて当然ではあるんですよね。人間としてモーツァルトは好きである、と。
でも個人として好みかと聞かれれば……そこまででもない。
なので書きにくい理由はそういうことだったりするのかなあと思ったのですが、でも他の作曲家の好みじゃない曲でも感想は書けないことはないし。
モーツァルトの書きにくさは、ちょっとよくわかりません。

白状するとクラシック音楽の感想自体が実は書きにくくて、このブログもそこそこ年月がたちますが、今でも最も書くのに緊張するジャンルはクラシック音楽についてだったりします。
素人が書いちゃいけないんじゃないかというのが根底にあって、結構本気でビクビクしながら書いてるところがあります。
それでもこれまで恥も外聞もなくクラシックの感想を素人なりに書いてきたのですが、でもいくら開き直ってもモーツァルトは厳しい。
ブログ開始当初の「クラシックの感想は難しいからあまり書かないようにしよう」と思っていた頃を思い出させてくれましたよ、悲しいことですが。



凡人には遠い音楽なのかなあ。
神がそこにいるかのような美しさと、糸がピンと張ってるような緊張感と、モーツァルト自体の感想はそれなりに持ってるけど、曲それぞれとなると……モーツァルトは遠いなあと思います。

あと、それとは別にモーツァルトのピアノ作品を聴いてると、子供の頃ピアノの先生に「粒をそろえて!」と何度も言われたことを思い出して、なんか微妙な気分になってしまうんですよね。
モーツァルトのピアノは音の粒が命だなと、CDを聴けば聴くほど思わされてしまって。

キラキラした宝石のように、星のかけらのように、真ん丸の真珠の玉のように、美しく揃った音の粒がキラキラと輝いたり、サラサラと流れたり、コロコロと転がっていったり、そういった美しさを楽しむものなんだなあと。
一つ一つの粒の輝きをどれだけ響かせるかが大事で、それが出来ればもう天上の美しさで、そこから先は立ち入るのが難しいというか。

ハードル高かったのかもしれないと思います。
モーツァルトは難しいです。
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by teri-kan | 2015-10-28 16:09 | 音楽 | Comments(0)
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