国歌と国家

パリの同時テロの際、スタッド・ド・フランスの観客が避難しながらフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」を歌っていました。
映像を見てものすごく感動しました。
と同時に、「イスラム系移民のフランス人は、こういう時にラ・マルセイエーズを歌うのだろうか?」という疑問を持ちました。

移民が国歌を歌わないというのは、ドイツのサッカー代表でも話題になったし、スウェーデンなんかでは移民に配慮して国歌斉唱を止めようといったニュースもあったかと思います。
移民社会と言われるフランスにおいて国歌ってどういう位置にあるのか、この事件で気にするようになったのですが、テロ後は議会を始めフランスのあちこちで歌われていて、フランス人にとってのこの曲の重要さを改めて思い知ることになりました。








テロが起こって「フランスの危機だ!」となった時、フランス人は自然発生的にあの勇ましい国歌を歌う。
なぜなら、それがフランス人のアイデンティティだから。
じゃあその「ラ・マルセイエーズ」に代表される彼らのアイデンティティはどういう風に形成されたのかとなると、他国に囲まれたフランスの国土と、そこに暮らして積み上げてきた戦いの歴史が作り上げたのだと言うしかなく、「ラ・マルセイエーズ」を歌うフランス人と彼らが住むフランスの土地は、切っても切り離せないと言えます。
簡単に言えば、「土地柄」「国民性」といったものでしょうか。

危機の際に自然発生的に国歌を歌って自らを鼓舞するのがフランス人の国民性なら、日本人の国民性は、自然災害の際にも暴れず、駅でも避難所でも自発的に静かに列を作って待つところでしょう。
日本人自体はあまり意識したことがなかったですが、震災の映像が世界中に配信されて、海外からの声でそれを自覚させられました。
そういう日本人の性質が作られたのも日本の国土の特性ゆえで、国とか国家とか社会制度とかいうものが、その土地の住民と風土との関わりの上にあるということは確かではないかと思います。

土地にあった国民性というものは絶対的にあって、それはその土地で生き抜くために培った知恵や習慣の結果としてあるものです。
寒い国なら寒さに耐えられる家を建て、地震の多い国なら地震に耐えられる家を建てるように、その土地に合う、その土地に住む人間が生き延びられる国を建てる。
「国家」に「家」の字を当てたのはすごいなと思うのだけど、風土、生活様式、価値観、国民性、それら諸々はどう考えてもセットであることが自然で、各個人の家庭にそれぞれ個性があるように、国家の個性というものもやはり尊重すべきなのではと思います。

だから、新たな土地に移民しようと思うなら、「郷に入っては郷に従え」は絶対に必要でしょう。
少なくともその土地で生まれた移民二世なら国歌も歌う努力をすべきでしょう。
フランス人が自ら血を流して作り上げた自由な社会で同じ自由を謳歌したいと思うなら、自分のルーツは大事にしつつも、自由なフランスの象徴であるフランス国歌も尊重する。
祖国を捨てて移民するというのなら、その覚悟は必要なんじゃないでしょうか。
当然自分の子供や孫に対してその覚悟を教える責任もあるでしょう。
元からの国民に完全に受け入れられるには、そりゃ時間がかかるかもしれません。
数世代の代替わりが必要かもしれませんが、しかし祖国を捨てるとはそういうことだと、やはり覚悟が必要なのではと思います。

多文化共生って難しいですよ。
なんだかんだいってその国土が育んだ文化がそこで幅を利かせて当たり前だから。
それを侵食しようとしたらアレルギー症状が出てくるのも当然。
テリトリーを守りたいというのは人間の、地球上に住む生き物全ての本能ですからね。さすがにこれは理性や知識で克服できるものではないと思うのです。
だから、スウェーデンに住むならスウェーデンの文化と価値観を、フランスに住むならフランスの文化と価値観を尊重する。
間違ってもそれぞれの国の国歌を否定するとかあってはいけない、個人的に歌わないというだけならともかく。
スウェーデンのように移民に配慮して国歌を否定する、あるいはキリスト教的なものを否定したり薄めたりしようとする、これも避けるべきでしょう。
そんなことをしていたら極端な話、スウェーデンもフランスもそのうち何の違いも個性もない国になってしまいますよ?
地球全体でみたら多文化共生どころか面白みのない画一的世界の到来で、そんな未来はとてもじゃないけど歓迎できないです。
でもヨーロッパの指導者はその方向に進もうとしてるように見えるのが気になるところで、特にドイツは今のようなやり方を続けていては、ドイツ人の本能を悪い方向へ刺激するだけだと思います。

これは移民ではなく難民が起こしたとされていますが、大晦日のケルンの事件はイスラム系男性への不信感を更に高めてしまいました。
ここまでくるとイスラム系移民や難民の流入を拒む人達をレイシストと非難する方が偽善者にしか見えなくなります。
被害者にしてみれば、レイシストもなにもない、ただ自分の身を守りたいというだけの話です。
その本能を無視するのは、それこそ社会を維持するために最もやってはいけないことではないでしょうか。
自然界の動物は無駄な争いを避けるべくテリトリーを守って生きていますが、人間ってその辺傲慢だなあとすら思いますよ。
行き過ぎた自由が不自由をもたらしている今の状況、偉い人達はどう考えてるんですかね?

こういうのって内向きすぎる考え方で、今の時代こういう風に書くことさえ気がひけるのですが、一番大事なのは人が死んだり傷ついたりしないことだと思っているので、その危険性が高まるようなことにはやはり反対なのです。
「そんなことはない、あるかどうかわからない危険を心配するよりも自由と共生、どんな人間でも同じところに住むことが大事だ」と率先して言う人達って、自分達は絶対にそれが理由で死んだりしない人達でしょ?
ケルンやドイツ各地で起こった強盗・暴行・レイプ事件でも被害者の立場にならない人でしょ?
普通の人にとって一番大事なのは自分と家族の身の安全なのだから、綺麗ごとばかり言われてもね。
全体主義国家はノーだけど、誰でも素通りOK、何してもOKみたいな国家も絶対にノーですよ、大多数の人にとっては。
同時テロを見ても大晦日の事件を見ても、被害に合うのは一般市民と、特に女性、弱い人間じゃないですか。

いやもうね、毎日毎日ニュースで襲撃だの銃撃だの爆撃だの爆発だの、本気でやめてくれって感じなのです。
ヨーロッパだけじゃなくて、中東でもアフリカでも、そんな暴力で誰も死んだり傷ついたりしてほしくないのです。
多くのイスラム国家をまともな人の住めない場所にして、今度はヨーロッパを危険な場所にして、これ以上人間のいられないところを増やしてどうするんですか。
移民が社会に受け入れられていない事情はさんざんあちこちで紹介されていて、移民だけが悪いのではないことは十分わかっているのですが、他人が作った国の国民になるということの根本をもっと理解しなければいけないんじゃないかと、最近は思わずにはいられません。



……というようなことを、パリ同時テロ以降、悶々と考えておりました。
でも難し過ぎて、思っていることを正しく書けたかどうかもわからない。
あれから情勢が目まぐるしく変わって、考えてる間にいろいろ動いて、もう何が何やら。
テリトリーって土地だけじゃなく思想にこそあって、イスラム系の人に対してはそれこそが厄介だと思わせられるばかりで、難民するにしても移民するにしても、ヨーロッパがウェルカム状態だからとはいえキリスト教国へイスラムが大挙して押し寄せるというのは、やはりいろいろと難しいんじゃないかと思うばかりです。

今年はしょっぱなから物騒な事件が続いて真面目に怖いんですが、もっと怖いのは全然良くなる気配がないところ。
まだ10日もたってないのに、2016年は悲観的な見方しかできません。
イスラムについて思うことはまた書ければと思いますが、全然楽しくない話になりそうで辛いですね。




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by teri-kan | 2016-01-09 23:25 | 事件・出来事 | Comments(0)
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