イスラム教と政教分離

前々回のサウジアラビアの話の続きのようなもの。
イスラム教については表面的なことしか知らない一日本人の疑問です。








中東の混乱は欧米のせいという言われ方はずっとされていて、個人的にもそれは正しいと思うのですが、欧米が中東の国境線を勝手に引こうが引くまいが、石油利権に手を出そうが出すまいが、女性蔑視や宗派対立は欧米と関係なくあの地に存在してるわけで、イスラム可哀想と簡単には言えないなと、正直考えることがあります。
欧米が極悪なのは当然としても、イスラムもどうにかならんものかと思います。

ISが女性の奴隷化とか、時代を中世までさかのぼったかのような政策を打ち出した時、価値観をイスラム発祥の時代に戻すのなら、生活様式全てを当時に戻せよと思ったものでした。
ネット、電話、テレビはもちろん、車も破棄して中世に戻れと。
でも女性は古臭い奴隷にしたいくせに最新のネットは使いたいんだよね。
なんだこいつら、って感じでした。

時代の概念が違うんですかね?
古代から段階を踏んで現代まで進む社会の移り変わりとか、文明の進歩とか、時代と共に宗教のあり方も変わっていくとか、そういう流れていくものに対する考え方が全然違うのかな。
時間が流れるということはあらゆるものが同じままではいられないということだから、宗教だって変化からは逃れられないはずなのですが、なんでだか彼らはムハンマドの時代に固執するのです。
現状をなんとかしたいのなら、ムハンマドに懐古するのではなく自分が新たな預言者になればいいのにさ。
イエスみたいに磔にされるかもしれないけど。
あ、イスラムなら火あぶりなのかな。
まあとにかく、内側から変わろうという気を起こしてほしいと真面目に思うのですが、それは望めないんでしょうかね?
原因は外部にあるから自分達が変わる必要性はないと思っているならば、それは彼らにとってこそ絶望的なことではないかと思うのですが。

イスラムは無実の人を殺すことは罪と言われてるから暴力的な宗教ではない、という言い方がされるけど、無実か無実でないかを決めるところがそもそも曖昧で、たとえばISにかかれば少年がサッカーの試合をテレビ観戦することも罪になるわけです。
無茶苦茶な話ですが、でもそれがイスラムの建前として可能になる。
為政者の気分次第で罪を決めるというのは、北朝鮮でもどこでも独裁国家で見られる状況だけど、独裁者のカリスマでなく宗教がそれを正当化するというのは厄介です。
宗教を大義名分にもってこられたら個人には反論できないですよ。

仏教のように「殺生はいけない」という教えならシンプルだけど、イスラム教の「無実の人を殺すのは罪」は「無実でなければ殺してもいい」という解釈の余地を残してるから、権力者が好き放題に使えるんですよね。
なんとも中途半端な教えだなあと思うのですが、まあムハンマドの時代はともかく、イスラム教の解釈や運用の整備はその後のイスラム教指導者が時代をかけてやってこなければいけなかったことだし、1400年の間みんな何やってたのかなあとは思いますね。
キリスト教の教皇みたいな代表者はいないようだし、統一された宗教的成熟がなされなくても仕方なかったのかなあ。

社会が成熟しなかったから宗教も成熟しなかったのか、その逆なのか、よくわからないイスラムですが、思えばなんでトルコは政教分離ができたんだろう。
イスラム教はアラブ人の習俗ありきで成立したもので、トルコ人はそこから自由になりやすかったから? 
政教分離が必要なのはどう見たって明らかで、それが出来れば中途半端なイスラム教の教えに政治が振り回されることも、残酷な政治にイスラム教が利用されることもなくなって、誰にとっても快適なイスラムライフがやってくると思うんだけど、当のイスラム教徒はどう考えてるんですかね?
自分達が生きにくい社会に生きていること、今現在イスラム同士で悲惨な殺し合いをしていること、それらの原因に政教一致があるということ、中の人達はどう思ってるのかなあ。

ただ、政教分離にはヨーロッパのような三十年戦争やら革命やら血みどろの戦いが必要っぽいんですよね。
ヨーロッパの戦争の歴史はろくでもないので、真似せずにすむならそれに越したことはないんだけど、日本だって一向一揆とか比叡山とかキリスト教弾圧とかを乗り越えて宗教を政治から排除したし、血みどろの宗教絡みの戦いは歴史が進めば必然的に起こるものなのかもしれません。
ISによるゴタゴタはもしかしたらそういう流れの上にあるのかもしれないけど、だとしたら欧米がこの戦いに顔を突っ込むのは駄目なのかもしれませんね。
当事者同士で落としどころを見つけるのが本来なのでしょう。
欧米による空爆なんてもってのほか。
でもISの勢力を拡大させるわけにはいかない。
現地で苦しんでる人を放っておくわけにもいかないし。
ううーん……難しい。

今は欧州の三十年戦争や日本の戦国時代とは兵器が違いすぎるのがマズいんですよねえ。
中世から近代へ移り変わる戦争を現代兵器でやってると考えると恐ろしすぎるのだけど、そういう意味からも中東に武器を売ってんじゃねーよって、武器商人だけは許せない気持ちになります。
代理戦争させてる大国のエゴにも反吐が出ます。
イスラムの人達も外国に利用されないように少しは考えろよと思うけど、結局自分達同士で争ってるし、あの地域に平和が来るのはいつになるのでしょうか。
見切りをつけた人はこぞってヨーロッパへ向かってますが、荒れ果て捨てられていく彼の地は哀れの一言です。
故郷があんなになってしまうなんて耐えられるものではありません。

難民問題は深刻で、彼らの行列は異様の一言。TV画面でさえ見たくない。
でもシリアに残されてる人達の悲惨さはそれこそ正視に耐えない。
なんなんだろうと本当に思います。
イスラムも欧米もなんなんだろうって。
今になって難民締め出しやってるドイツとかも、何につけてもやりすぎたらダメってことがわからないのかなあと不思議でしょうがない。

イスラム教もキリスト教も、「ほどほど」って考え方がないのかな?
中庸という言葉をここで使うのが正しいのかどうかわからないけど、あまりに極端すぎて時々本当に理解不能です。
原理主義じゃどうしたって無理が出ますよ。
こっちからしてみれば「何が何でも難民受け入れ!」という難民受け入れ原理主義者も如何なものかって感じだし、みんな「ほどほど」でやってくれないですかねえ。

イスラム教徒の人達も、ほどほどを求めて政教分離を考えてくれないものかなあ。
政治から離れられれば、いろいろな面で解放されると思うんだけどな。
[PR]
by teri-kan | 2016-01-22 16:52 | 事件・出来事 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 大寒波襲来の週末のスポーツ (... ジャニーズとSMAP >>