「シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧」

エマニュエル・トッド著、文春新書。

昨年一月に起きたシャルリ・エブド襲撃事件に反対する大規模デモを取り上げた本です。
あのデモでは人々が「私はシャルリ」と声をあげていましたが、それをしていた人達は一体どういう人達だったか、彼らにそういう行動をとらせた背景に何があるのか、といったことを、各種統計から分析、解明している本です。








文章から著者の憤りが感じられます。
冒頭に書かれている日本の新聞は当時私も読みました。
そこでもフランスで発言できる状況じゃないから日本のインタビューにしか答えないと語っていて、表現の自由を守ろうとするデモの裏側で言論の自由を尊重する空気がなくなっている皮肉に驚いたものでした。
フランスでもそういう事が起こるのかと、ショックを受けたものです。

本書を本国で出版以来、トッドは多くの批判・侮辱を受けたそうですが、フランス国民がこれを受け入れるのは確かに難しいだろうと思います。
しかし良かった時代のフランスとしてトッドがあげているフランスを好ましく思っているフランス人は多いと思うし、そこから良い未来を模索していくことはできるのでは、と思えなくもない。

かつてのよきフランス(第三共和政の時代)を表現している記述が結論部で出てくるんだけど、その時代ってアルセーヌ・ルパンの活躍した時代で、よきフランス人ってルパンそのもののことじゃないかと、ルパン好きとしては読んでて目を開かされます。
「フランスは気紛れかと思えば規律正しく、内心ではアナーキストなのに、国家をとおしては、または教会をとおしては権威主義的だという具合で、ヨーロッパを魅了していた。」(P273)
驚くほどまんまルパン。

このバランス感覚は私がルパンを好む理由の一つでありますが、子供ながらにフランス好きになった理由の一つでもあるなと、振り返ってみると思います。
でも世界史でキリスト教の歴史を知ってからは、ろくでもないなーフランスって感じ。
思えばルパン作品にはカトリックの匂いがあまりありませんでしたね。
アルセーヌ・ルパンは宗教から解き放たれた人で、彼の主義主張の核にあるものは男女間の愛(笑)でした。

でもこの「愛」が結構バカにできなくて、恋愛至上主義があるからこそ移民系アラブ人と元からのフランス人の結婚、それによる文化の同化が進んだというのは確かにあるのでしょう。
結婚は家と家がするものという日本においては、まずありえないことで、フランスの平等的な家族形態がもたらす愛と同化に希望の一つを見出したいと思うのは、無理からぬことなのかもしれないと感じました。

だがしかし、現在のフランスはそれとは違う方向へ向かっていて、「ゾンビ・プロテスタンティズム」に触発された「ゾンビ・カトリシズム」がフランス社会を危うい状況に向かわせようとしている……。

「ゾンビ・カトリシズム」だそうですよ。
恐ろしげな名前ですねえ。

ゾンビ。
死んでいるのに動いているもの。
「ゾンビ・カトリシズム」とは、カトリック信仰者でなくなってもカトリックの価値観が思考・行動に影響を及ぼしてる人々のことを指すのですが、本書はそういった人達が現在のフランス社会の分断に果たしている役割を暴露しています。
「ゾンビ」とは酷い言い方だけど、言いえて妙と言いますか、いくら熱心に信仰しなくなったといっても、二千年近くその価値観で遺伝子をつなげてきたんだから、そりゃちょっとやそっとのことで価値観が成仏するはずはないでしょう。
ゾンビ化するのもある意味当たり前というか。
問題はそれを悪い方向へ使わせてしまうことで、となると考えるべきはやはり指摘されてるように「政治」ってことになる。

政治となるとEUの支配者ドイツの話になってしまうのですが、ドイツといえばプロテスタントで、家族形態の違いとプロテスタントとカトリックの比較は興味深かったですね。
カトリックの平等主義がフランス革命を生んだというのと、プロテスタントのルターの不平等主義がナチズムを成立させたというのを並べて書いていたのは面白かった。
こっちからしてみれば、「そうだね、両方ともおびただしい死者を生み出した恐ろしいキリスト教の産物だね」って感じだし、社会の病理の処方の仕方がどちらも極端すぎるんだよと言いたいところです。
しかもそれを経験してさえキリスト教はゾンビ化して社会に居続けている。
でもそれがなくなったら何に価値を置いて生きていけばいいのか、社会全体が危ういことになってしまう。
宗教の代わりに拝金主義がはびこってもよしとするのか。
人間は生きるために何の価値を核として生きていくのか。
現在問われているのはそこの部分で、その歪みが現れている一つのわかりやすい地域がフランスということになるのだと思います。

革命、コロコロ変わる政治体制、大戦、植民地主義の産物としての移民受け入れ。
荒々しすぎる大変革の繰り返しのせいで、社会がどんどん分断されていってるんじゃないかなあ、フランスって。
分断されても自分達は平等主義者で同化推進派だから大丈夫って意識なのかもしれないけど、分断は所詮分断じゃないのかという気が。
それで上手くいけばそりゃあ素晴らしいことだし、実際上手くいっていた時代もあったけど、でも今のような危うい社会に簡単になってしまうこともあるわけで、それで自由と平等を国家理念として高々と掲げられてもなあと、微妙な気分にはなりますね。

本書に書かれてある差別と不平等を生み出すフランス社会の倒錯、捻じれの現象には、人間ってやっぱりそんなもんなんだなあという気持ちしか起こらないのが正直なところで、ここまで深く細かく解明した著者の頭脳には感嘆するしかないけど、フランス人に対しては、カッコつけずに楽になってもいいんじゃない?という気になります。
えらそうに「自由!平等!」を自慢しなくてもいいじゃないかというか。
差別してるくせに「平等だー」って言い張るのも、「びょ、平等です」ってコッソリ言うのも、どちらもしんどくない?っていうか。

フランスもそうだけど欧州各国で極右政党が台頭してるのって、結局のところ「綺麗ごと言うの疲れた」「綺麗ごとで飯は食えない」「綺麗ごとで安全は守られない」という意識の表れだと思うんですよねえ。
もちろん良くない傾向なのですが、だから「自由!平等!」を謳うにしても、もうちょっと人間の本能に無理ない程度にやればいいんじゃないの?って感じ。
出来る人もいるけど出来ない人もいるというのなら、その差を正直に社会で自覚しようというか。

この本はフランスで大批判されたとのことだけど、「実はあなたは不平等主義者なのです」って指摘されたら、そりゃフランス人は耐えられないですよね。
国家として自由と平等を大義に掲げてる分、差別と不平等は巧妙に、ある意味フランスではそうと見えない形で存在していて、移民系の若者にとっては見えない檻に入れられている気分にもそりゃあなるでしょう。
ISに走る若者が続出するのも無理ないと思わされますよ。
そういう現状を少しでもなんとかしたいと思うなら、やはり現状の自覚しかないと思うんですけどね。



興味深い本です。
現代フランス社会の欺瞞の複雑さを、よくここまで解きほぐせたなあと思います。
ただ、内容が複雑なら文章も複雑。
正直読みにくいです。

でも新書でこれだけのものが読めるというのはありがたいです。
内容と比較して価格がリーズナブルすぎというか、庶民にとってはありがたい。
シャルリ・エブドのあり方と各国首脳が参加した大規模デモへの疑問を抱いた日本人は多かっただろうと思いますし、そういった人には参考になる一冊ではないでしょうか。

にしても、トッドと日本との親和性、相性が良さげなのはどういう理由からなのかと、そこには別の興味がわいてきます。
トッドに「心理的安定の拠り所」とまで言わしめる日本って一体。

実は本書では「イスラム恐怖症」「外国人恐怖症」に関して日本にも言及しているので、そのことについて次回は書きたいと思います。
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by teri-kan | 2016-02-15 09:56 | | Comments(0)
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