「性のタブーのない日本」

橋本治著、集英社新書。

帯のコピーが全てかなあ。
「タブーはないが、モラルはある。」

タブーがないということは、人間の生理的にあまり無理してないということだから、ゲイが弾圧され続けた欧州の悲壮感なんかと比較したら、当然性的に明るく開放的で、そしてモラルがあるということは、開放的とはいえ人間関係を損なうような外れたことはしていなかったということで、「ん?これはとってもいいじゃないか」と、思ってしまいそうになる。

まあ、そんな簡単なものでもないんですけどね。
でも人間の本能や生理に無理ない生き方ができた日本人は、とりあえず幸せだったかなあと。
そんな性的に幸せノーテンキな人達だからこそ、自由な文化活動が行えてきたんだなあと。
そしてそれが現在の、とことんくだらないけどおかしくて幸せにもなれるサブカルチャーを生み出す原動力につながっているのかなあと。

早々にまとめっぽく書いてしまったけど、いやね、この本すごく面白いんですよ。
なので面白かったところを細かく書きたいんだけど、書くとどうしても下ネタばかりになってしまうというか、そのものズバリの単語をここに書くのはさすがに躊躇われるというか、当ブログの品位が落ちかねないというか(笑)、いやーそれこそが日本である、ありの~ままの~と歌うにふさわしい日本である、と言えば確かにその通りなんだけど、さすがにブログでそのままは書けないわ~、ということで、そういうのとは別に気付いたことをここでは触れておこうと思います。








この本、思わず笑ってしまう話のオンパレードだし、そんな内容に合わせて書きぶりもくだけにくだけてるんだけど、実はこれまでの橋本治の仕事の、ある意味集大成というか、古代から現代までの文学文芸に精通した著者ならではの日本人論になってるんですね。
実はかなり高尚な内容なのです。

なのにこの本のユルさってなんだろうと思って、で、橋本治的に言うなら「日本の性はそういうものだから」となるのだろうけど、おそらく厳格に格調高く表現してしまっては、「日本の性」じゃなくなってしまうということなんでしょうね。
しかめっつらしく書いちゃったら、多分西洋のモラルが導入された明治以後の雰囲気になってしまって、それは本来の日本的な性とはちょっと違うと。
で、橋本治が本書で最も言いたかった事はそれかなとも思って、あんまりここで真面目なこと書いても、多分きっと野暮なんだよね。
でもやっぱり気になるところがたくさんあって、真面目なことを書きたくなってしまうのです。

古事記に著された原初の神の現れ方に見られる日本人の思考の在り方とか、顔がわからないのに恋愛感情を持ってしまう平安時代の男の在り方とか、歌舞音曲のプロである遊女にとっては売春もエンターテイメント提供の一つだったとか、後白河法皇の日本の性文化史における素晴らしいお仕事ぶりとか、芭蕉以前の高尚でなかった俳諧連歌の愛すべきくだらない内容とか、いやもう気になるところがたくさんあるんだけど、特に重要だなと思えたのは、とりあえず顔。
平安時代の恋愛やコミュニケーションに顔は全く重視されなかったということ。

特に女には顔がなく(御簾の後ろで見えないから)、しかしそれが人間洞察に優れた女流文学が出てきた理由かもしれないという説には興味をそそられました。
自分の顔を気にしなくてもよい、自分の在り方が観念的な状態が、自分を棚上げにした客観的な小説が書けた理由だというのは、千年も昔に日本で女流文学が発達した理由の一つとして、研究を進めてみたら面白いような気がします。

あと、日本の文化には平安時代の朝廷の文化がしっかりと沁みついていて、江戸の町人文化と王朝文化の結びつきが意外に深いということ。
町人には武士の文化より朝廷文化の方が馴染みが深かったのか?とか、意識しているよりももっと深いレベルでつながっていたっぽいとか、現在の天皇家への人々の親しみの基盤が、明治以降の教育よりももっと深いところからきているらしい感じとか、新鮮で面白かったですね。
日本の庶民的な文化さえ朝廷と切っても切り離せないってことですから、この辺は平安時代の平和さに、日本的なものを深めることができたあの時代に感謝かもしれません。
あ、後白河法皇の今様好き、遊女好きにも感謝。

あと重要なのは結婚の考え方。
平安時代の結婚の方式には、日本の根本について考えさせられるものが多々あります。
土地家屋を相続するのは娘だけど、それを受け継ぐのはその夫で、夫は今度は自分の娘にその不動産を譲り、また同じように婿をとるという、この財産の受け継ぎ方は今更ながら興味深い。
父親が主体でありながら母系社会の名残があって、母の力が強いんですよね。将来母になる予定の娘も、だから強い。

この結婚システムの肝は、本書でも出てくる藤原頼通の例がわかりやすいんだけど、子供を産んで育てるためのシステムだということです。
日本の結婚ははっきりと、次の世代を産み育てるためのシステムなんですよ。
社会を継続させる者を育てるためのシステム。
現代なら次の納税者を育てるためのシステム。
子供を「将来の納税者」って酷い言い方だけど、ネットでそう書いている人がいて、それを見た時は身も蓋もないなあと心に寒風が吹きましたが、でも平安時代の結婚の説明を読むと、日本においての結婚って今も昔もそうなんだと思わされます。
社会の後継者を育てるための装置だと思えば、いろいろと疑問だったことにも納得がいきます。

そういうことを考えてると、LGBTの人達の結婚についての議論も無関係ではいられなくなって、もちろん子供のない夫婦や、養子もとらない夫婦についてもそうなんだけど、子供を育てることの義務や権利と、二人一組のパートナーとして生きることの義務や権利と、これを同じ「結婚」という枠組みで考えることには限界がきてるような気がしてきました。
日本において結婚が古来よりどういう意味を持っていたのかをまず理解しなければ、家制度がどうとか、夫婦で姓が違うのは構わないけど子供はどうするんだとか、そういったことの解決にはつながらないような気が。
これには欧米の結婚観をそのまま日本にスライドするわけにはいかないですしね。
本書を読んでもわかるけど、性や結婚の価値観の歴史が、日本と欧米では違いすぎます。



なんだか性のタブーはない話から随分ややこしい話になってしまいましたが、結局「性」の話って人間の生きる根本の話になるので、真面目に書けば書くほど重くなってしまうんですよ。
「ハレとケ」を生み出した日本においては、性も立派な「ハレ」の文化になって、江戸の遊女のシステムなんて洗練の極みで、そして俳諧の連歌はバカには詠めない下品なエロいシャレだらけで、なんていうかなあ、そういった意味で笑えるこの本は、洗練されてると言っていいのかもしれません。
こんな感想の方が野暮だよねえ。
と言いつつ、最後の最後にこの本は「書かされて」るのだと明かされて、なんだそりゃ(笑)。

本当に「そういうものだったことをそういうもののように書いた」だけなんでしょうねえ。
日本人の性って、ようするに「そこに体があるから」なのかも。
イザナギとイザナミの国生みの通りなんですね。
そこに体があるから。
でもタブーはないけどモラルはある。

自然体ですね。




[PR]
by teri-kan | 2016-03-04 23:58 | | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 乙女心に詳しい亀助と初恋の林檎 ACLの限界とスタジアム問題 >>