「魔女とカルトのドイツ史」

浜本隆志著、講談社現代新書。

フランス文学を探して手持ちの本を漁っていた時に見つけました。
「そういえば買ってたな」というより「なんてタイムリーな本」という感じで。
フィクションのマイブームはフランスですが、現実世界では実はドイツ。
ドイツは今も恐ろしい。
というか、今また恐ろしい。
なのでちょっと読み直してみました。

この本は2004年発売のもので、当時も「なんでドイツは魔女狩りがひどかったんだろう」という疑問からこれを読んだのだけど、今のドイツの恐さも多分このカルト的なドイツに通じるのだと思います。
で、記憶力の悪い私は、やっぱりこの本の内容も結構忘れていたのでした。
おかげで新鮮で楽しかったです。







趣旨を大雑把にまとめると、本書にあげられている集団ヒステリーの事例、例えば子供十字軍、舞踏病、笛吹男、魔女狩り、ナチス。これらドイツのデモーニッシュさが現れる原因には、キリスト教に抑圧されたゲルマンの精神があると。
ゲルマンの精神とは、北方の厳しい気候と深い森が生み出した父権的で強権的な、例えば神話。
それを更に父権的なキリスト教が抑えつけた結果の、悪に貶められたそれら神々、あるいは古来からの風習。
キリスト教の抑圧が緩んだ時(ルネサンス期)にゲルマン的習俗は生活の中によみがえるが、それは悪とされたものもよみがえるということになり、それがドイツ特有の残酷な集団ヒステリーを呼んだという、非常にざっくりですが、そういう内容になっています。

魔女狩りはヨーロッパ中で起こりましたが、特に徹底的で酷かったのがドイツ。
ドイツほどではなかった南欧との違いについては、南欧の豊穣を尊ぶ元々の地母神信仰、ヴィーナス信仰の流れをくむマリア信仰、享楽的な祭りがあったかどうか等、南欧と北欧文化の差異に原因を求めていました。
ハイネの指摘が面白かったですね。キリスト教はギリシャ・ローマ神話の美化された神々を、ゲルマンの神々のように醜く恐ろしいサタンに変えることができなかった、というの。
寒くて陰気で不機嫌な土地柄そのままに、北の神々は簡単に醜いものに変えられてしまったんですね。
でもその醜いとされたものこそゲルマンそのもの、ドイツ人の本質そのものだったりする。
んー、なんか、ちょっと、これはかなりしんどそうな気がします。

そもそもドイツ(ゲルマン)はその昔から禁欲的だったと。そして好戦的であった。
やはり気候の厳しさゆえなのですが、享楽的な祭で欲求不満を解消するということがドイツではあまりなかったというのは、祭好きの日本人からしてみれば「そりゃ鬱屈するだろうなあ」ってものですね。
そんな民族に更に禁欲的なキリスト教が押し付けられたのだから、そりゃますます鬱屈するでしょう。
そしてハイネによれば、そんなキリスト教でもゲルマンの好戦心を打ち砕くことはできなかったと。
ゲルマンの神はオーディンやトールといった猛々しい神。
何か社会的に不安定になることでもあれば、そういったゲルマン的なものがドイツ人には現れる、ということになるのだそうです。

なんだかどんどんしんどい気持ちになってしまいます。
ドイツ人自身もしんどいんじゃないかなあ。
個人的な感想としては、プロテスタント発祥の地、プロテスタントのお膝元というのも、苛烈な魔女狩りの原因になったのかなあというか、陰気で真面目なところにもってきて厳格なプロテスタントですからね。
ルターが魔女の弾圧を大推奨して、反ユダヤ主義もひどかったのを思うと、ドイツ人の「これは正しい」と信じたこと以外に対する残酷さや容赦のなさは、あの地に歴史を持つ民族の宿命のようなものじゃないかと思ったりします。
非情なんですよね、すごく。
ドイツ人ってとても合理主義的なイメージがあるのに、デモーニッシュな非合理主義が暴走するのはなんで?って、こうして本書を読んで原因がそれなりに理解できても思ってしまうのですが、んー、やっぱり基本的に真面目だからなんですかねえ。
ある程度テキトーにやるくらいの方がいいんじゃないかなあ。

ちなみに他の本によると、ゲルマンの二面性はキリスト教化される以前、紀元前から見られる特徴なのだそうです。
タキトゥスの「ゲルマニア」で指摘されてるのだそうで。
東からやってきた来たインドゲルマン人(インドヨーロッパ語族の元になった言葉を話す人達?)がヨーロッパにやってきて、北方の土着の民族と融合したのが原因なのだとか。
コツコツ農業やってる土着民と、好戦的で放浪的な狩猟人が合わさったのが原ゲルマン人で、その二つの性質はそのままの状態で民族に受け継がれてしまったという説明がされていました。

異なる性質が一つの民族の中に受け継がれるというのは、別にゲルマンだけのものではないのだけど、ゲルマンと他の国との違いを探すなら、近代まで中央集権化がなされなかったというのが、もしかしたら大きいのかなと思います。
ゲルマン民族は大移動をするまで他民族の侵略をほとんど受けずに、部族単位のまま大きくまとまることがなかったし、キリスト教化されて以後も、神聖ローマ帝国というよくわからんものの名のもとに、やっぱりほとんど部族単位の国のままでした。
中央集権化されて極端な性質も融和されるとか、中和されるとか、そういうのがなかったのが原因なのかなあ。
ドイツがドイツ帝国としてまとまったのって19世紀ですもんね。

いや、まあ、全く根拠はないんだけど。
でも神聖ローマ帝国だったことがドイツにどんな影響を与えたのかは、ちょっと真面目に知りたいことかもしれない……。

ちなみに、ゲルマン的デモーニッシュさということで本書ではベートーヴェンもあげていて、特に振る舞いの特異さについて説明されていたんだけど、実は音楽自体についても以前読んだ本で気になる記述があったんですよね。
人々を集団化させる音楽だって。
際たるものは第九の合唱なんだけど、他の曲でも確かにベートーヴェンは扇動的だったりする。
それこそが聞いてて心地いいところなんだけど、でも当時はその集団化に拒否反応を示す聴衆もいたらしい。

ドイツ音楽とカルトとの親和性となると、ベートーヴェン以前に思い出すのはヒトラーとワーグナーなんですが、そこまで行くときりがありませんね。
話が大きくなりすぎてきたので、ここでもう終わります。

ドイツの精神は底が深すぎて、まだまだ理解するのはこれからって感じです。
ドイツ哲学に手を出すつもりはないので理解できるとも思えないけど、でもドイツは怖いからそこそこのことは知りたい。
なんといっても今現在のドイツが怖いし。
彼らが良いことを主張すればするほど怖い。
あの熱狂の源はなんなのか、やはり謎です。




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by teri-kan | 2016-11-24 11:29 | | Comments(0)
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