「ドイツ史10講」

坂井榮八郎著、岩波新書。

10講ってどういうことなのかなと思ったけど、普通に通史でした。
時代を10区分に分けて解説するといった感じ。
ところどころ著者の見解が入ってて、そのおかげで一つ一つの出来事の歴史的意義が理解しやすくなっています。
コンパクトだけど、概略をなぞってるだけといった感じではないですね。
難しいドイツ史がわかりやすい。
高校の授業で出てきた歴史用語は知ってるけど、流れとして頭の中に入ってないという方にオススメです。

というわけで、以下は現在のドイツが「ドイツ第四帝国」なんて言い方されてたりすることと合わせての本の感想になります。







ドイツは現在、世界の運命を握ってる国の一つで、EUを、ひいてはヨーロッパをどうしたいのかというのが、極東の一庶民からしても気になるところなのですが、この本を読んでるとしみじみと「ドイツは帝国という形態と相性がいいんだなあ」って気持ちにさせられます。
問題は何をもってして領邦国家(現在ならEU内の国家)を束ねるかということで、例えば神聖ローマ帝国(第一帝国)だったらキリスト教、ビスマルクのドイツ帝国(第ニ帝国)ならドイツ人という国民意識、第三帝国はナチズムで、現在のメルケルの第四帝国はグローバル資本主義?
それぞれ思想は違えど、帝国形式になるのはもうどうしようもないのかなあ。

もともとの原因は、多分シャルル・マーニュ(カール大帝)に求めたらいいのだろうけど、フランク王国が帝国にならなかったらヨーロッパはどうなっていたのかなあと、さすがに歴史のif に思いが及んじゃいます。
広大な帝国の領土をカバーする行政組織として教会のネットワークが必要だった、というか、むしろフランクが教会組織に乗っかったという話には、「そう言われりゃそうだな」って感じで、フランク帝国が教会国家だったという認識を持つことの大事さは強く思わされました。

と同時に、その帝位を引き継いだ形になっているオットー大帝にも同じことを思ってしまいます。
オットー大帝はドイツのザクセンの王で、神聖ローマ帝国の初代皇帝ですが、ドイツの地に皇帝位が来たことの意味って大きすぎるよなあと、ここでも「もしそうならなかったら今のドイツはどうなっていただろう」という考えがよぎります。
皇帝になってしまったことで、結果的に地元ドイツのことがお留守になって、中央集権化がなされず部族中心的な国家がいつまでも残ってしまったというの、大きすぎますよねえ。
もちろんそうだったからこその良かった点というのもあるんだろうけど、近代になって遅れてやってきた中央集権国家としての急進性には、やっぱりもやっとくるものがある。
なまじ優秀な分、軍事国家として行き過ぎたところとか。
日本も似たとこがあるけど。

第9講(ナチスの項)の終わりに書いてあったことは現在にも通じる、知識人への警鐘として示唆に富んでるもので、ドイツの大学がテクノクラート(技術系の専門的知識人)を生み出しても教養ある支配エリートを生み出してなかったというのは、今の日本には耳の痛い話でした。
理系優遇、文系冷遇はやっぱりダメだ。
かつてのドイツが優秀でありながらどこか偏っていたのもこういうことなのかあと、ここの解説は恐ろしかったですよ。
紹介されてるオルテガ・イ・ガセットの「大衆の反逆」は興味がわきました。
現在エリートと言われてる支配階層に属する人達にはものすごく思うことがあるので。

うーん。
ドイツ史って現在の政治を無視できずに読めないから、やっぱりしんどいなあ。
個人的には近現代史より古代~中世史の方が好きで、なんでこんなドイツになったんだろうという原因を求めるなら、神聖ローマ帝国とかゲルマン社会とかに行きたいんだけど、それだけじゃやっぱりダメだよね。

でも近現代は苦手ー。
プロイセンも苦手ー。
ドイツ、やっぱり苦手ー。
でもドイツは無視できないー。
プロイセンがなぜああいう国家だったのかは気になるし。

とても面白く読んだけど、ドイツは難しいですね。
著者はナチスの反省に立った執筆時(2003年当時)のドイツを信用してるようなのですが、ここ数年のドイツを見てると熱狂が違う方向に向いてるだけでドイツはドイツのような気がします。
先頭に立って走るドイツは、やっぱり怖いかなあ。
もうちょっとゆるくて、もうちょっと寛容さが感じられたら安心できるんだけどな。




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by teri-kan | 2016-12-14 10:11 | | Comments(0)
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