「沈黙」の海

何やら詩情あふれるタイトルですが、内容は全然そんなことありません。
遠藤周作の「沈黙」が映画化されたことで、新たな発見があったので、それについて。






と言いつつ、映画は見てないんですよね。
見に行く予定もなし。
気になる作品ではあるのですが、スコセッシの映画の暴力をかねてから敬遠していた自分にとって、「沈黙-サイレンス-」はちょっとハードルが高い。

暴力が出てくる映画、苦手なんですよー。
スコセッシで見てるのって、だから「エイジ・オブ・イノセンス」だけ。
「沈黙-サイレンス-」は拷問が出てくるので見る勇気がはなから出て来ない。
痛いのが平気な人には「是非見に行って」と言いたいんだけど。

そんな感じで映画とは距離を取っていたのですが、日本が大きく関わる作品ということで、テレビで宣伝はたくさんやってました。
そういうのは結構見てて、で、その紹介映像の中に、なんと海の中での処刑シーンがありました。

水磔(すいたく)という処刑方法で、海の中で十字架に磔にされたキリシタンが、満ちてきた潮に埋もれて死んでいくという、じわじわ殺される処刑なのですが、そのテレビでやってたシーンは、潮の高さは肩くらいなのに、激しい波がどーん、ばーんと、キリシタンの頭からざばざばかかって、顔が潮に浸かる前に波で死んでしまうじゃないか!というくらい、なんとも悲惨な光景だったのでした。
「え!? 昔原作読んだ時の印象と全然違う!」と、私はテレビの前でビックリ仰天。

あんな大きな波、全然想像してなかったんですよね。
でもよく考えたら五島の海なんだから波が激しくて当然だよなあと思い直して、ワタクシ、原作の水磔(すいたく)の場面を、馴染みの瀬戸内海で想像していたことに今更ながら気付きました。
ゆるゆるーとした穏やかな潮が静かに満ちていって、静かに顔が海に沈んでいく、そんな情景を思い浮かべて読んでいたんですね。
それだって十分酷い処刑方法なのですが、でも本来の刑の苛烈さの半分もわかってない、貧しい想像力でした。

瀬戸内海ってホントに穏やかで、冬でも波の高さ50センチという、超ゆるゆるな海で、東北の太平洋沿岸と日本海沿岸の両方で育った人に言わせたら、瀬戸内海ははっきり言って「池」なんだそうですが、まあ潮が上がるのもそういったわけで、そろーっと上がる感じなんですね。
テレビで時々見る宮島の厳島神社の潮の満ち引きが良い例ですが、身近なところで言えば、お風呂の湯張りかな。あんなイメージ。ちゃぷちゃぷって感じ。
なのでデカい波が激しくバサーッと顔にかかるなんて、想像の範囲外でした。
あれは酷すぎる。

そういえば、初めて太平洋と日本海を見た時も驚いたものです。
テレビで見るのとは違いますよね。
海って恐いと思いました。
はるか遠くの水平線には大らかな良い心地にもなったけど、波が大きくて激しすぎです。
ちょろっと見た映画の五島の海も恐ろしかったです。
ロケは台湾だったそうだけど。



残念ながら本から想像するのって限界がありますね。
本人にどれだけ知識と想像力があるか、それ次第です。
その点映像は間違えようがない。
あのシーンは、うっ……、苦しそうすぎて切り取られたシーンでさえ辛かったです。

「沈黙」は学生時代に読んだのですが、当時は棄教かどうか、みたいなことよりも、日本人キリシタンの信じる神と宣教師の教える神は違うというところに興味を持って読んだような記憶があります。
当時の日本人はキリスト教を真に理解して信仰してるわけじゃないっていうの。
それを言うなら仏教だってブッダの教えとはかけ離れてますけどね、日本の仏教。

それをよくない事と言ってたかなあ、「沈黙」。
んー、覚えてない。
今でこそ「オンリー・イン・ジャパン」は国内でも好意的におもしろがられてるけど、ちょっと前までは「だからこんな日本はダメなんだ」みたいな風潮の方が強かったと思うし、どうなんでしょうね。

久々に読み直してもいいのかもしれないと思いました。
映画を見ることが出来ない分なおさら。



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by teri-kan | 2017-02-10 11:43 | | Comments(6)
Commented by あんどれあ at 2017-02-11 23:41 x
私も本で読んだ時は、何でそんなに苛烈なのかピンと来ませんでした。でも、映画のシーンは過酷さが一目で伝わってきて、映像の表現力に圧倒されますよね。
映画、見ましたけど、ほぼ原作通りで、原作で感じた日本人の国民性がちゃんと描かれてたのでびっくりしました。遠藤周作の筆力なんでしょうかねえ。

たまたま「沈黙」読んでる時に平行してなぜか「三銃士」原作を
読み返してたんですが、時代がかぶるのに描かれてる内容がかけ離れ過ぎてて別の世界にワープしてる気分になる一方で、新教徒と旧教徒の争いはどっちの物語にも背景として描かれていて、世界って繋がってるんだなーと思ってしまいました。
Commented by teri-kan at 2017-02-13 11:09
あんどれあ様、こんにちは。

原作はこういう言い方が正しいのかわかりませんが、品がありました。
別に映画が下品というのではなくて、目にそのままが映るのでリアルということなのですが、かといって原作がリアルでないのかと言われればそうではなくて、映画と小説の違いということなんでしょうね。

映画、ほぼ原作通りだったのですか。
海外でもいろんな方に見てもらいたいですねえ。

そういえば「三銃士」と同年代ですね!
うーん、感慨深いものが。
イエズス会の世界進出の理由に欧州での新教の台頭があるので、新教VS旧教の争いって日本にも無関係じゃないんですよね。
キリシタンへの弾圧は酷いものでしたが、秀吉と徳川幕府がキリスト教を禁じた理由はわかるので、個人的な心情としては「そもそも布教活動したのが悪い」です。
拷問されても捨てられない信仰なんて、そんなもの持たせた方が悪いというか。
しかも特権階級の人達じゃなく、貧しい人達。
精神的に救ってあげるのはいいけれど、そのために肉体的苦痛を強いるような布教は、やっぱりやめてほしかったです。
真にキリスト教の神を理解できていなかったというならなおさら。
当時の日本にも問題はあったけど、それをふまえてもそう思います。
Commented by stefanlily at 2017-02-21 16:41
 私も長崎県民ですので、これは見なくてはいけないのでしょうがちょっと酷な場面が多くて見れないかな。。。
でも以前舞台は地元に来たので見ました。

アメリカン人俳優のパアドレ役の人が日本人俳優とは声量も違ってよかったです。

窪塚さんは好きなので見たいですけど。
裏切る役なのか。確か、東京島でも似たような?役だったような。
彼はもっと若い頃に三島の諸作品で演じて欲しかったです。
Commented by teri-kan at 2017-02-22 11:42
stefanlily様
こちらでもコメントありがとうございます。

きっと長崎では地元のTV番組でもよく取り上げられてるのでしょうね。
たくさんの方に見てもらえたらいいのでしょうけど、そうなんですよ、バイオレンスが大きなネックに……。

窪塚洋介のキチジローは評価が高いようですね。
私はこの方の作品ほとんど見てないのですが、三島作品の雰囲気には確かに合ってそうな気が。
独特な雰囲気を持ってる人ですね。
Commented by at 2017-02-22 23:25 x
夜分に書いてます、映画の方は月初めに観たのですがこういった〝邦画〟はもう国内では予算不足で制作不可能なのでしょうかね。映画にかける意気込みも年々萎んでいってるような感じもしまして。

水磔のシーンは小説のある種穏やかな溺死への強制を思わせる描写とは真逆の水しぶきが襲い狂う過酷さを描いてました。
それだけやる必要あるかね、の論旨に多くの人々にキリスト教教義の身分によらない「神に救われる・愛される我」としての個我を自覚させる危惧があるゆえ。なのでしょうが、映画・小説共に書かれた教徒たちの無意識な振る舞いへの「その〝救いあげる〟って上から目線がエラソーに見下してんだよ」も一理ある感じは致します。

>信じる神 教える神
死後にパライソへ赴き救済される、てのが仏教西方浄土性の「救いはあくまで死んだあと」ですものね。じゃ日本人は仏教をそんな風にも咀嚼理解していった経過には何があるのかなーと考えてて、色々読んでたら鎌倉仏教の(難解な)教義をもとに中世に伝わった説教節の影響のが強いと思ってます。
「しんとく丸」にある主人公の母親がふと観音さまの悪口を言ったら天罰が下って死んじゃった。やなやつな後妻が主人公の死を願ってたら観音さまが功徳のもとに成就させて盲目・ライ病のひどい目に合わせちゃった。等から人々は「仏さまも思いのほかシステマティックなもんだなー」と理解しちゃったのかと。
Commented by teri-kan at 2017-02-23 16:40
創様、こんにちは。

原作をあまり覚えてないので、ああだこうだと書けないのですが、救済を説く宗教が流行るのは、確かに人々があまりに救われない生を生きているからなんですよね。
でもだからこそそういった宗教が存在する前提として苦しむ人々は絶対にいないといけなくて、あまりに死後の救いや天国・極楽を強調していると、そのうち今生で苦しむことが絶対条件になってしまうという、いかがわしさと表裏一体なところまでいってしまいます。

これについてはエマニュエル・トッドの言がわかりやすくて、フランス人は革命でカトリックを廃止したけど、その心が「死後に幸せになりたいんじゃない、生きてる間に幸せになりたいんだ」だったというのが、まさしくその通りなのだと思います。

日本は宗教も神仏習合だったし、現世利益を求めれば極楽浄土へ行くことも求めるという、この世でもあの世でもいい目をみたいという人達だったのだと思うけど、個人的にはそれこそが正しいんじゃないかと思ったりするので、外国から救いの教えを持ってきたこと自体は別にいいんだけど、そのために苦しみを与えたということについては、やっぱりちょっと受け入れられないなと感じます。

信仰というものがよくわかってないので、どうしてもこういう考え方になってしまうのですが、その点でスコセッシの解釈には興味がありました。
水磔のシーンが苛烈になった理由、それを考えるだけでもいろいろあるんだなと思わされました。
やっぱり過度に残酷にしなくても……ってちょっと思ってしまいますね。
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