「ダルタニャンの生涯 史実の『三銃士』」

佐藤賢一著、岩波新書。

「マスケティアーズ」から始まったフランス文学&フランス史の旅は、肝心の「三銃士」を読まないまま、デュマとブルボン朝の周辺を行ったり来たり。
シーズン3を見るまでは!と原作を棚上げにしてきたけれど、いよいよ無理がきたと言うか、とうとう手に取ったのがこれ。

原作未読で読むのはどーよ、と思いましたが、しょうがないので読む。
読みたいのだー。

ダルタニアンの生涯。
映画とドラマと多少のフランス史の知識だけで実際の彼に近づいてみました。






ドラマの「マスケ」でも第8話で頻繁にその名が出てくるダルタニアンの故郷ガスコーニュ。
王が「羊だらけだった」と台詞で言ってますが、その王の口ぶり通り、ガスコーニュはピレネーに近い地方の田舎。
王は都会っ子だけど、王の父アンリ4世はここの出身で、実はガスコーニュの人々にとってブルボン朝は我が殿の立てた王朝とでもいうべきものだったりする。
もともと勇猛果敢な兵士を多く輩出してる地域だけど、アンリ4世のおかげで「おれらもパリに!」「わしらも一旗!」みたいな風潮が強まったという指摘は面白かったですね。
ガスコン(ガスコーニュ出身の男達)の気風は興味深いものでした。

この本はダルタニアンの生涯を語る本ですが、そんなガスコーニュの土地柄とガスコンの資質から見るフランス軍政史の側面が大きな本でもあります。
ガスコーニュはその位置ゆえ古来より対外戦争の最前線で、勇猛な戦士が育ちやすい環境にあり、銃士隊でいえば我らが隊長も愛すべき三銃士も元は皆ガスコン。
イケイケゴーゴーなガスコンは物語の主要人物にどうやら適していたようです。

史実の彼らは縁故縁故のコネコネ採用で、仲間意識の強い隊を作っていたとのことでした。
コネってなんだそりゃだけど、当時のことですから軍のみならず官僚も何も皆コネで、別にそれはガスコンに限った話ではないとのこと。
コネコネの地元出身者同士だからこそ力を合わせて頑張ることができたのだそうで、そうでなければ上官の命令さえ平気で聞かないなんてことが普通に起こってたそうです。
その辺の当時のフランス社会の在り方はホント興味深かったですよ。

当時の官職は王から任命される「公」のものであると同時に、おそろしく私物化された「私」のものでもある。
官職が金で売買されるのだから思いっきり「私」ですよね。
銃士隊の隊長職もそうなのだから、ホント「公」ってなんなんだって感じ。

でも王の命令は王の命令。
ダルタニアンも上司の命令には従い、公務員らしくキュウキュウと頑張る。
しかしある面では「私」が全開する。
その「公」と「私」のありそうでない区別、なさそうである区別、カオスとしか言いようのない混在ぶり、無駄だらけで合理性がなさそうだけど、でもそれこそがフランス的洗練なのか?とでも思わされるような、とりあえず上手く回ってる社会。
フランスのこれは一体なんなのだと、ちょっと思ってしまいます。
ごちゃごちゃしすぎてるけど、でも魅力的。

史実のダルタニアンが台頭したのはそんな時代で、そんな時代に生きたガスコンだったからこそ華麗な歴史小説の主人公になりえたというのは、とても面白い指摘でした
公私の混在。それを可能にした古き良き太陽王の時代。
ああもうなるほど!って膝を打ちました。

私がフランスが好きな理由がここにあるじゃないかという気分です。
私はアルセーヌ・ルパンが好きですが、あのキャラが生まれた理由、あれを生み出したフランスとはどういう国なのか、それの答えがここにあるという感じ。
ルパンってああ見えて国家と国家元首に忠実な愛国者で、それでいて「私」丸出しな泥棒なのですが、それが一人の人間の中に同居して破綻しない理由をフランスという国柄に求めた時、答えはダルタニアンの生きた時代にあると言われたら、もうホントになるほどーです。

さすがにルパンはブルボン朝ではなくベル・エポックの人なので、ダルタニアン的なヒーローにはなりえません。
時代が変われば公私の混在を体現するヒーローは泥棒さんになってしまうということなんだろうけど、にしても魅力的なことには変わりない。
これまでも何度か物語のフランス男が好きだと書いてきたけど、いやあ、改めてやっぱり好きだなあと思いました。

いいですよね、このバランス感覚。
公と私のバランス、任務と愛のバランス、国家的正義と友情的な正義のバランス、どの国でもそこに物語は生まれるのだろうけど、「私」の出方、「私」の発露の仕方が、なんかもうフランスってばいいよね!って感じ。

まあそれも革命で一度ガラガラポンみたいなことになってしまうわけですが。



本作中でカトリックについてちょっと触れられてるんだけど、本書に書かれてるような魅力的なフランス的なものは、確かにカトリックの中で育てられたものなのかもしれないなと思えて、プロテスタントを完全に禁止したことが革命の遠因になったという考え方からいけば、ちょっと切ない気持ちにならざるをえませんでした。

無駄を無駄のまま愛する余裕みたいなものが、確かにカトリックにはあるかな。
少なくともプロテスタントにはない。
「マスケ」の第5話でアラミスがプロテスタント教会の無機質な内装を見て、芸術のカケラもないことを暗に批判してる場面がありますが、あれで豊かな文化文芸が育まれるかと言われれば、確かに厳しそうではある。
ドイツ音楽の例があるからプロテスタントが文化的でないとは言わないけど、懐が深いのはカトリックの方かなと思ったりする。
料理だってカトリック圏の方が発達してるし。
経済的な発展はダメだったけど、文化だけはフランスは確かに発達しました。
今だってフランスはその遺産で食べてるわけですしね。
でも革命の原因にカトリックはしっかりとあるんですよねえ。
いやー、もう、ホントいろいろと複雑な気分です。



佐藤賢一、読むのは4冊目だけど、やはり面白いですね。
小説は読んだことないけど評論は楽しい。
先日の「カンパン夫人」の著者も似たような肩書きでしたが、小説家が書く評論って面白いように思います。読ませ方が上手いというか。
きちんとした文章の中にもユーモアがあるんですよね。
これは小説家ならではのセンスなのかな。

とにかく、本書を読んで真面目に「三銃士を読もう」と思いました。
正直言って全部読むのは金銭的に厳しいかもと考えてたんですが、さすがに「ダルタニアン物語」の最後まで読まねばなるまいと思わされました。
まさかこんなところで自分のフランス男好きの理由が説明されるとは。
いろいろ読んでみるもんだなと、今回は心底思いましたです。



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by teri-kan | 2017-02-24 11:20 | | Comments(0)
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