「だめだし日本語論」
2017年 06月 23日
太田出版。
次々と本を出されているお二人の対談本。
「日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まった―
成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論」
と、紹介されている本です。
確かに面白いけど手ごわい本。
手ごわいというか、あやふやなものを掴む感じというか、範囲が膨大で、お二人の言ってることには「ほうほう、なるほど」といちいち思えるんだけど、そこからなかなか発展しないというか、二人の知識は知識として出てくるけど、それがぶつかるなり合わさるなりして新たな発見を得るということがほとんどなかったというか、こう、本当に、空気だけ掴んで終わった、みたいな読後感でした。
到達点がない感じ?
はっきりした結論がないんですよね。
ていうか、結論はわかりやすい「日本語とはこういうものである」という答えだから、そうそう簡単に出るわけない。
ていうか、簡単じゃないから二人が対談してるという、そもそもの趣旨だし。
読んでるこっちに日本語に対する知見がそれなりにあればいいんだけど、二人の知識をそのまま「へええええ」で受け入れてるだけだからなあ。
何回か読み直して内容を自分の中で組み立てて自分なりの日本語の姿を作っていかないとダメな気がしました。
いやー、お二人はそれぞれどちらも面白かったんですけどね。
経典の話とかホントに面白かった。
律令制の話も宦官の話も。
「日本には武士の歴史はありません」
「武士が学問をするとアイデンティティ・クライシスが起こります」
「だからアイデンティティを与えてくれる国学が必要」とか「だから天皇制が必要」とか、ここのくだりは面白かった。
もっと深く知りたい。
ひらかなとカタカナの存在性そのものの違いからくる日本の歴史の作られ方みたいなところも面白かった。
でももうちょっとまとめてくれたらわかりやすかったかなあ。
うん、ホントに対談でしたね。
二人ともまとめようとか、そういう意識はほとんどなかった印象。
どう受け取るかは読み手の力量次第ってことかな。
自分なりに日本語について考えるヒントだけは山のようにもらったって感じです。
日本語というか、むしろ日本についてとか日本人についてとか、そういった大きなものを考えるためのヒント。
とにかく内容が膨大なんです。範囲が広い。
文字量は少ないんだけど。
読み直し必須。