「剣よ、さらば」 その2

最終巻の感想の続きです。
第三部はなぜ「ブラジュロンヌ子爵」というタイトルなのか、ということも含めた、彼らの生きた時代、彼らの生についての考察です。







第三部のタイトル「ブラジュロンヌ子爵」とは、アトスの子ラウルのことだけど、別にタイトルになっているからといってラウルが主役というわけではありません。
主要人物の一人ではありますが、メインはやはりダルタニアンと三銃士の四人。

なので「なぜこのタイトルなんだろう?」と思いながらずっと読んでたのだけど、途中辺りで思いついたのは、ラウルの愛した女性がお話の行方を決めてしまうから、といったことでした。
ルイズの存在が王に影響を与え、影響を受けた王が周囲の人間の運命を動かす、といった図式が出来てしまったので、そういったことでこのタイトルなのかなあと。

ですが最終巻を読んで考えが変わりました。
最終巻ははっきりとダルタニアンとラウルの考え方の違いとか、アトスとラウルの世代の違いが、これでもかとばかりに出てきたのです。

アトスがラウルの育て方について「間違えたかも」と言ってましたが、どのように育てても、多分ラウルは繊細でナイーブな青年に育ったことでしょう。
アトスは自分と比べてラウルは友人に恵まれなかったとも言ってましたが、今はアトスが若い頃のようにバカやってもOKな時代ではなくなっています。
決闘も暴力沙汰も、アトスの若い頃は自分の裁量でやりたいように出来ました。
野蛮さが残っていた時代で、日常から仲間同士で背中を預け合って剣を振るっていたのです。
アトスがダルタニアンと結んだような絆や友情が、ラウルの時代に見られなくなってたとしても、それは仕方のないことでした。
ダルタニアンのような人物が生まれる素地が、そもそも社会にはなくなっていたのです。

野蛮さが残っていた時代ゆえ、アトスらの価値は表面的な儀礼よりも現実の方に置かれており、特にダルタニアンはそうでした。
だから思い悩んで戦地に行こうとするラウルに対するダルタニアンの意見は、とにかく現実的。
言ってはなんですが、女が原因で自殺に走るとかありえない、といった感じでした。
女に酷い目にあったといえば、アトスこそろくでもない経験をしていますが、アトスでさえ酒に溺れただけで死にたいとはひとかけらも思わない。
その酒浸り生活さえ、息子を与えられればきれいさっぱり清算してるのです。
人生どこで何が起こるかわからないし、起これば起こった時のこと、一つ一つ乗り越えてここまで来てるのが彼らなのです。

四人は思いっきり現実に生きているのですね。
生命力が強いのです。
もうやたらめったら強いのです。
四人ともそれぞれ強いけど、四人合わさればそれこそ無敵なくらいに強いのです。
生きる力が強いから、例えばアラミスみたいにとんでもない大作戦を実行することができる。
チャールズ二世を王位につけることもできる。
「ダルタニャン物語」って彼らの冒険を語る物語だけど、描かれているのは彼らの生命力の輝きです。
ということが、ラウルと語り合うアトスやダルタニアンからものすごく伝わってくるのです。

「ダルタニャン物語」がここまで古今東西で愛されてる理由もそこだと思います。
それを読者に伝える手段としてラウルの人生が設定されてると言ってもいいくらい、それくらい四人の生命力は特筆すべきもの。
極限状態で最後まで力をふるったポルトスの最期もそうだし、捕縛から免れるため知力を尽くしたアラミスもそう。
彼らはそれぞれにふさわしく徹底的に生きました。

別に物語はラウルが生命力の弱い脆弱な子、とは言っていません。
しかし彼との対比でアトスら四人がやたら強い人間だったということは語っています。
そして彼らが強かった理由が若かりし頃の時代性ゆえだということも語っています。
この作品が最後に言ってるのは、それぞれがそれぞれにふさわしく、たくましく生きていける時代の終焉。
その象徴が彼らの死、ということだと思います。

ルイ14世は最終盤で王権を揺るぎないものにしたことの自信を語りました。
抵抗勢力としての象徴は王以上の財力を蓄えたフーケでしたが、そのフーケが逮捕されたことで、貴族連中の抑えつけは完了したとの見方をしていたようです。
あらゆることが貴族ではなく王へ直結するシステムが出来上がりつつあります。
末端の貴族まで「ご領主様の家臣」ではなく「王の臣下」。
あらゆることが王へ集約する絶対王政は完成間近です。

既にその芽は見えますが、宮廷はこれからますます洗練されていくのだと思います。
個人の裁量で好き勝手できる時代は完全に終了です。
四銃士が自由に己の力を発揮できたのはまさしくルイ13世時代だからで、ベルサイユ宮殿で銃士が活躍するのが想像できるかと言われれば多分無理でしょう。
彼らの若かりし頃の活躍は洗練されてない時代だからこそのものでした。

第一部「三銃士」のような活躍を銃士ができない時代を作ったのはルイ14世。
ブラジュロンヌ子爵ラウルを死に追いやったのはルイ14世。
ルイズが裏切った愛ではありますが、昔なら相手の男に決闘でも申し込めたものを、今はそれが禁止され、何より国王相手に申し込むことは出来ません。
ルイは二重の意味でラウルの生命の力を抑え込んでしまったのですね。
絶対王政を確立した王はアトス達が輝いていた時代を完全に過去のものにし、アトスの息子を今の社会で生きていけないようにしたのです。

なのでこの第三部は「ルイ14世」とか「太陽王」といったタイトルでもいいんじゃないかと思いました。
むしろそうであるべきとすら思えます。
冗長のようにも思えた王とルイズの馴れ初めもそれなら事細かくてOK。
第三部はルイ14世の壮大な成長物語でもあるのだから。

でも、「太陽王」というタイトルではやはりダメなのです。
王が成長したからこそ失われたものがあるというのが第三部だから。
輝かしい絶対王政時代の到来と共に失われたものは何かというのがテーマだから。

なので「ブラジュロンヌ子爵」は正しい。
もしかしたら正しすぎるかもしれません。
四人が四人とも息子のようにしてラウルを思い、ポルトスなんて遺産のほぼ全てをラウルに譲ったけど、ラウルがこういう風に人生を終え、四人が残したいと思ったものが残されなかったというのが、結局全てなのだと思います。

良き時代は遠くなりにけりです。
ラウルの母親なんて年取っても金と名誉に執着してるのに、せめてラウルに母親の図太さの半分でもあればと悔しく思います。

権力に抵抗する元気のある人は古い人。
新しい人は王に追従する人。
さらば、活気にあふれた良き時代、です。
四人の銃士の活躍は、もはや物語の中にしかありえないものになりました。



最終巻としての感想はここまで。
次は原作を読了しての、私をここまで連れて来てくれた「マスケティアーズ」を絡めての、キャラクターの感想です。




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by teri-kan | 2017-07-14 11:22 | | Comments(0)
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