三銃士が西に東に活躍したパリ

以前パリの古地図が欲しいと書いたことがありましたが、ネットが発達した世の中ってのはありがたいですねえ。
使い勝手のよい貴重な地図がタダで見られる。
なんと素晴らしいことでしょう。

いろいろ探した中で一番のお役立ちはこの地図でした。→ 1716年のパリ
現在のパリと重ねることができるスグレモノ。
なんと右上に古地図と現在の地図を入れ替える機能がついているのです。
航空写真と地図は左上で調節できます。

1716年はルイ14世没年の翌年ですので、1625年から物語が始まる「三銃士」の時代とは離れてるのだけど、革命以前のパリなので雰囲気は十分伝わります。
通りが現在よりシンプルな分、登場人物の行動も理解しやすい。

というわけで、これを駆使してさっそく第一巻の四人を想像しましょう。

(原作では「フォッソワイユール街」というように「街」とあるけれど、ここでは現在の地図に合わせて「通り」を使用します。
地名の単語は古地図から拝借してるので、現代の綴りとは違うところがあります。読みにくいところは適当に書いてるので、違っていたらすみません。)







若かりし四人の活動範囲は、地図でいうならド真ん中にあるシテ島の左下になります。
緑と黄色の線がぐるりと走ってて、そのすぐ外側に敷地の広い公園みたいなところがあるけれど、あれが原作初期にしょっちゅう出てくるリュクサンブール宮殿(Luxembourg)。
その宮殿の真上の界隈が、四銃士の日常の活動圏ということになります。

リュクサンブール宮殿のすぐ上に接した左右に走る道がヴォージラール通り(R.de Vaugirard)で、その通りから(宮殿の建物の西の端から)上に向かって伸びているのが、アトスの住んでたフェルー通り(R. Férou)。
フェルー通りの右に並行してる通りが、ダルタニアンが下宿してたボナシュー宅のあるフォッソワイユール通り(R.des Fossoyeurs)。
フォッソワイユール通りの真上の建物が、これまた原作にしょっちゅう出てくるサン・シュルピス(S Sulpice)。
ここは古地図も文字がはっきりと書かれてあってわかりやすいですね。

サン・シュルピスの広場の上を東西に走っているのがヴュー・コロンビエ通り(R du V.Colombier)で、ここがポルトスの住居やトレヴィル隊長の館があったところになります。
ヴュー・コロンビエ通り(R du V. Colombier)の文字から下に向かってカセット通り(R Casset)がヴォージラール通りまで走ってますが、アラミスの住んでた家がこのカセット通りとセルヴァンドーニ通り(フォッソワイユール通りのこと)の中間にあったということらしい。

この辺原作がちょっと怪しいんですよね。
古地図と現在図を比較したら一目瞭然だけど、フォッソワイユール通りは革命後にセルヴァンドーニ通りに名前が変わってて、原作も曖昧になってるようなのです。
名前の元になってるセルヴァンドーニ(フィレンツェの建築家)はサン・シュルピス教会を再建する際、ファサードを設計した人なのですが、生没年が1695~1766なので、四銃士の時代にはそもそも存在してないよと。
原作をただ読んでると二つの通りがあるように思ってしまいますが、道は一つだし、彼らの住居はやはり近くにまとまっています。



原作によると彼らは仕事や遊びや果し合い等々、あらゆる用事で毎日三度も四度も会っていて、親友を探して界隈を動き回ってるのを町の人がしょっちゅう目撃してたとのことでした。
ケータイどころか固定電話もない時代ですから、ホントに歩いて相手を探してたんですねえ。
「アトス見なかった?」「あっちで見たよ」
といった会話が、毎日通りのあちこちで飛び交っていたと想像。

彼らが仲良しになるきっかけの決闘場の目印、カルム・デショーの僧院は、先に出たカセット通りとヴォージラール通りの交差点の、すぐ西にあります。
現在もサン・ジョセフ・ デ・カルム教会(Église Saint-Joseph-des-Carmes)として存在してますね。
古地図ではカルム・デショッセ(les Carmes dechaussez)になってます。
ダルタニアンとアトスはこの僧院の裏の荒涼とした草原で決闘の約束をして、彼らが二人でいるところにポルトス、続いてアラミスがヴォージラール通りからやってきたということだったけど、古地図だとその雰囲気も想像しやすいのではと思います。

カルム・デショーは「カルム」だからカルメル会の修道院ってことでいいと思うんだけど、「デショー」の意味がよくわからなくて、単語の意味自体は「裸足」ってことなんだけど、「カルメル会が裸足ってどういうこと?」と思って調べたら、カルメル会はかつて原点回帰運動が行われており、一部のグループが改革を意味する跣足(せんそく=裸足)という名をつけて別の派を作ったのだそうです。
跣足カルメル修道会って言うんだって。
へー。

裸足でいるということは、清貧を実践することの他に、神の前での卑下と服従を示すという意味があるのだとか。
神の道を目指すのにもいろいろありますね。
アラミスは坊さん志望で実際司教にもなったけど、清貧とは程遠かったし、卑下とか服従とかナニソレって感じだったなあ……。

「三銃士」原作によるとカルム・デショーは窓がない妙な建物とのことでした。
とりあえずその記述だけで、「極端に真面目な僧院っぽい」と想像できたけど、ホントに真面目だったということになるようです。
そんなところのそばで決闘する彼ら。
定番の場所のようになってたらしいけど、血生臭いですね(苦笑)。

ちなみに彼らはリュクサンブール宮殿の裏手でも決闘をしています。
第二巻の冒頭でイギリス人と。
そこは山羊の牧場で、決闘するにあたってわざわざ番人を金で追っ払ってる(アトスが)。
決闘にうってつけだったんだろうけど、牧場なんかでやるから余計に相手に「珍妙な羊飼いの名前」って思われちゃうんだよね。
「羊飼いの名前の人間とは決闘できない」って牧場の中で(しかもきっと山羊のそばで)言われる三銃士ってのは、やっぱりものすごくおかしな光景だと思いますねえ。

で、地図を見てもホントに辺鄙な感じなんだ。
大きな建物がこの辺りはほとんどない。
ちなみにそこからまたちょっと左下にいくと、まだ山というか、丘だった時代のモンパルナス(le Mont Parnasse)があります。
きちんと山の絵になっています。
モンパルナスは1600年代は学生の遊び場だったそう。詩の朗読会とかをやってたとか。(詩といえばアラミスですよ!)

この辺りは若者達がたくさんいたところって感じなのかもしれませんね。
若々しくて生気にあふれた地域だったのだと思います。

ちなみに原作中に出てくる決闘場として名高かったプレ・オー・クレールは、銃士の生活圏からそう遠くないところにあったようで、名前の意味としては「神学生の草原」とか「書生が原」になるんだとか。やっぱり学生絡み。
場所はサン・ジェルマン・デ・プレ教会の真上一帯で(この絵この地図参照)、草原周辺の土地はなにやらパリ大学とサン・ジェルマン修道院が関わっていたとのことでした。
ちなみに絵は北が左。セーヌが左で右がサン・ジェルマン・デ・プレ教会。
地図は北が上。右下にあるのがサン・ジェルマン・デ・プレ教会です。
1716年の古地図ではだいぶ縮小されてて、セーヌ川の左の下の牧草地っぽいところに「le Pré aux Clercs」の文字が見えます。

プレ・オー・クレールはメロヴィング朝時代から存在する牧草地ってことだから、えらく長い間だだっ広い原っぱで、周囲には大学や修道院、神学校の血の気の多い若者がごろごろいて……なわけで、そりゃあ決闘や暴力沙汰に使いまくられたでしょうねえ。
神学生だから大人しいなんてアラミス見てたら全然思えないし、昔は武闘派な坊さんは普通だったし、もちろん若い貴族も決闘するし、やっぱり活気がありすぎる界隈だったんじゃないかなあと想像。
セーヌ川からリュクサンブール宮殿辺りの一帯は、ある意味四人が青春を送るにふさわしい地といっていい所なのかもしれません。

パリの左岸って大雑把に右岸と比較すると、今でも若くて自由な雰囲気なのかなあと思うけど、シテ島をはさんだ上と下の違いは、長い年月をかけて作られたものなんでしょうね。
四銃士が闊歩した界隈は若者の活気あふれる、とても魅力的なところのようでした。



といったわけで、左岸を楽しんだ次は右岸ということで、次回は「右岸ならではの雰囲気を地図で眺めてみよう」の巻になります。
古地図で原作を味わう企画の第二弾、パリの地獄巡り。
地獄巡りというか、地獄のような思いをした可哀想なボナシュー・ツアー。

古地図はホントに楽しいです!



(追記)14:50 プレ・オー・クレール部分、一部加筆しました。




[PR]
by teri-kan | 2017-07-24 11:07 | | Comments(4)
Commented by あんどれあ at 2017-07-24 21:09 x
おお、いい古地図ですね!電子データだと自在に拡大して見れるのもいいですね。

> 彼らの住居はやはり近くにまとまっています。
考えたら当たり前なんですが、改めて地図で見ると全員が夜討ち朝駆けでルーヴルに駆けつけられる距離に住んでるのが実感できますよね~。夜勤当直とかもあったと思うので、通勤にも便利だったんでしょうけど。

フランスの大学がいつ今のようになったのかは知らないのですが、もとは全部神学校だったと思うので、「周囲には血の気の多い若者がごろごろいて」というのは何だか納得です。
昔は高い知識を得るには修道院か神学校に行くのが手段の一つで、若き日のアラミスは宗教より知識を求めて修道院に行きたかったのかなーと、最近思うようになりました。

サン・ジェルマン・デプレ教会、云十年前に旅行した時に、歴史好きの同行者が「パリで最古の教会」と教えてくれて行ったことがあります。学生街で、昼の定食が定番観光地よりずっと安かったの覚えています。今でもそうなのかなあ。
Commented by teri-kan at 2017-07-25 11:40
あんどれあ様、こんにちは。

>改めて地図で見ると全員が夜討ち朝駆けでルーヴルに駆けつけられる距離に住んでる

なるほどなあという場所だと思います。
宮殿にそこそこ近くて家賃もリーズナブルで、ちょうどよいところだったのかな。

>若き日のアラミスは宗教より知識を求めて修道院に行きたかったのかなー

おお、それはあるかもしれませんね。
むしろそうとしか思えないような気もします。

>「パリで最古の教会」

メロヴィング朝までさかのぼる教会ですから古いですよね。
パリ大学って、それこそ初期がどんなだったかなんて全くわからないけど、今も昔も学生街っていいですよね。
食事がお安くいただけるというのは大事です(笑)。
Commented by まり at 2017-07-25 12:49 x
デユマは新聞連載の形が多かったこともあるのか、細部の整合性はときどき不思議な点もありますよね。アトスが結婚時にミレディーにあたえた指輪の由来とか、「20年後」で季節が逆行(タイムトラベル?)している箇所があったりしますが、読んでいる最中には全然気にならないのです。
三銃士のパリ市内の地図とお話しの展開にも不整合あり、ウンベルト・エーコが分解説明してくれているので、ご興味ありましたら「小説の森散策 (岩波文庫)」もご覧になってみてください。
Commented by teri-kan at 2017-07-25 16:02
まり様、こんにちは、お久しぶりです。

新聞連載の場合はどうしても不整合は起きちゃうんでしょうね。
アルセーヌ・ルパンでもそれは感じました。
でも確かに読んでる時は全然気にならないんですよね。
勢いの方が大事って感じになるので。

>「小説の森散策 (岩波文庫)」

とても心惹かれるのですが、ウンベルト・エーコですか。
「薔薇の名前」さえ読んだことないです。
映画は観たけど内容を覚えてない(涙)。

あまり文学作品を読んでない人間でもついていけますかねえ。
ホントに心は惹かれてます。
ご紹介して下さってありがとうございました。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 牢獄・刑場・墓地ツアー 「ダルタニャン物語」の出版事情 >>