ナチス支配下のワルシャワと未完成交響曲

土曜の夜にNHK・BSプレミアムで、「玉木宏 音楽サスペンス紀行~亡命オーケストラの謎~」が放送されました。
後半部分しか観れなかったのですが、シューベルトの交響曲第七番「未完成」を第二次世界大戦の映像と共に演奏するところは観れたので、それについて。







街が爆撃され瓦礫と化す映像と共に「未完成」が流れるのですが、これが言い方変ですがもうピッタリで、こんなにも「未完成」は戦争に合うのかと感心しました。
「戦争に合う」というのは、ここまで戦争の悲劇性を言い表すのにふさわしい曲だったのか、という意味です。
悲しさとか苦しさとか、呻き、嘆き。
そういったものが「未完成」の中には存在しているのです。

もともと「未完成」は好きな曲だったのですが、思えばもう随分長いこと聴いてなかったというか、十ウン年ぶり? 真面目にじっくり聴いたのは。
若い頃はこういう感じ方はせずに、ただ「聴いてた」って感じだった気がします。

冒頭部分が好きだったんですよね。
あの不穏な感じ、不安な感じ。
単純に「素敵」と思ってました。
それでいて主題は物悲しく美しく、全体的に素人にもわかりやすく、言ってはなんですが、キャッチーな交響曲、といったイメージを持ってました。
聞きやすい曲、という印象だった気が。

それが今回聴いてみたら、なんか全然深い。
底のない悲しみ、慟哭、それでいて一筋の光、癒しはかすかにある。
今すぐ悲惨な現実に対抗できる力強いものではないけど、完全に絶望しきってしまう手前のところではまだ踏ん張れる、みたいな。
完全にはまだ見捨てられてないと思える、みたいな。
それはかすかな希望にすぎなくて、曲の中に厳然としてあるのは悲嘆だけど。

過酷な運命を受け入れざるをえない人に対して、もしかしたら残酷な曲かもしれません。
不穏なのに美しすぎるんです。
冷たくもないんです。
あの時この曲を演奏したポーランド人の心を思うと言葉がありませんね。
とんでもない深い曲だと、思い知らされました。



1943年にワルシャワで行われた、この近衛秀麿指揮による「未完成」の演奏会については、玉木の番組とは別に深夜にも放送されていて、こちらではナチスの侵攻を受けたポーランドがどういう状況に置かれたか、といったことも具体的に話されました。
真っ先に壊されたのがショパンの銅像。
ポーランドの芸術・文化を筆頭に、ポーランドを代表する文化人・知識人たちがまず殺されたのだそうです。
ポーランド的なものを抹殺するのが目的だということがよくわかります。
未開であることを強要するんですね。
支配者は優秀なドイツ人であり、ポーランド人はその下に位置付けられるもの、という考え方です。

ここ最近、憂さや不安をショパンで癒してたので、余計に悲しい気持ちになっちゃったですよ……。
改めてだけど、ナチスやっぱり許せんわ。

音楽を奪うって魂の自由を奪うことなんですよね。
聴く側さえそうなんだから、演奏する人間、ましてや作曲する人間にとっては、音楽の禁止や制限は絶対あってはならないこと。
だからこそ独裁者は音楽家を殺したり、音楽そのものを禁止したりするわけだけど、でもこうして歴史の流れで音楽を見てみると、音楽の力は独裁者や圧政を遥かに凌駕してると思います。

演奏を禁止されて、それでもポーランド人は秘密コンサートを行っていたという話が玉木の番組の方で出てくるんだけど、暴力への対抗措置としての芸術のあり方というのは考えさせられるものがあります。
番組を見ていて映画「生きるべきか死ぬべきか」を思い出したのですが、これは1942年に作られたナチス批判映画なのだけど、ストレートに批判してないんです。
批判は批判なんだけど、捻りがものすごい。

この映画を見ると、こういう抵抗の仕方があるのかと、映画に対する考え方を変えさせられてしまうのですが、暴力の支配に対する芸術の抵抗は時にすごいものがありますね。
今回の番組も、メインテーマであるコンサートツアーにかこつけたユダヤ人亡命も興味深かったですが、とにかく音楽自体がすごかったです。

ホントにすごかったです。
「未完成」は素晴らしい。
良い音楽番組でした。
(前半見れてないですけどね!)




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by teri-kan | 2017-07-31 16:04 | 音楽 | Comments(0)
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