「セルヴァンドーニ街の奇怪な事件」

コメント欄でお薦めいただいたウンベルト・エーコの「小説の森散策」(岩波文庫)から、デュマの「三銃士」について書かれたところだけ先に読んだので、そこの部分の感想を。

この本はエーコがハーバード大学のノートン・レクチャーズで行った文学講義の記録で、全6回分が収められているのですが、「セルヴァンドーニ街~」はその第5回目。
それまでの流れもあっての内容なのだけど、とりあえずそこだけ読んだ印象としては、いやー、面白かったですけど、作家先生は細かいなあ(笑)。

いろいろと勉強になりました。
「三銃士」のセルヴァンドーニ街に関して、自分の読み方は人と違っていたということもわかりました。
読み方というか、パリの街の見方ですね。
パリの街に不案内な人間だったからこそ、エーコのような思索に向かわず、「あれはデュマのミス」で簡単に片づけちゃったところもあったかなと、ちょっと思わされました。

というわけで、その辺のことをつらつらと。







セルヴァンドーニ街の奇怪さとは、以前書いた「三銃士が西に東に活躍したパリ」で私も指摘している「一つの通りに二つの名がダブってる件」のことなのですが、エーコは小説テクストに従順に、1625年にセルヴァンドーニ街を存在させ、なおかつセルヴァンドーニ街とフォソワイユール街を同時に存在させようと、あれこれ辻褄合わせをはかろうとするのです。

その考える様は楽しそうで、なんで自分はそういう想像ができなかったかな?と思ったのですが、パリの通りについてあれこれ考えるには、私のパリの知識はあまりになさすぎたんですね。
もっと知ってる街ならいろいろ想像することも出来ただろうなあと思い、その辺りがエーコの言うところの読者の(脳内の)百科事典次第ってことなのでしょうが、それに加えて私は文明の利器を最大限利用したこともあって、かなり他の方々と違った読み方をしていたようでした。

エーコがそうだったし、おそらく他の人もそうだと思うのですが、デュマの書いてる街や通りを確認しようとするなら、まずは現在のパリの地図を皆さん開くはずなんですね。
そしたらセルヴァンドーニ街は見つけられるけど、フォソワイユール街は見つけられないのです。
アトスの住んでた通りもポルトスの住んでた通りもあるのに、ダルタニアンの住んでた通りは地図になくて、「ん?フォソワイユール街だけデュマが作った架空の通りなのかな?」なんて考えに至ってしまいそうになる。
真実に辿りつけるのは革命前の古地図を手に入れられる人だけで、となると例えばエーコが「三銃士」を読んだ時期にそれを見られる所となると、大学の図書館とか?
多分一般の読者が独力でそこに辿りつくのはかなり難しかったと思います。

で、多分私も下手にパリの街の知識があったなら、まずは現在のパリの地図を開いていたでしょう。
でも幸か不幸か私はパリの街並みに詳しくなく、同じパリの地図を見るなら当時の地図を見た方がてっとり早いよね、ということで、なんと直に古地図に手を出したのでした。
今の世の中、大きな図書館に足を運ばなくても古地図は見られますしね。
で、古地図を見れば存在してるのはフォソワイユール街の方で、セルヴァンドーニ街は影も形もないのです。

ようするに、私はエーコや他の方々とは逆で、「フォソワイユール街はちゃんとあるけど、セルヴァンドーニ街はどのように捉えたらいいのかな?」となったわけです。
例の古地図を見たらどちらも同じ通りだというのが一目瞭然だし、となるとこの謎の解は「デュマの単なるミス!」ってことにさっさと行き着いてしまう。
エーコのような思索には行かないのです。

「三銃士」が執筆されたのは既にフォソワイユール街がセルヴァンドーニ街に変わっていましたから、実は「三銃士」を読んだ人全てがフォソワイユール街が存在してないパリが前提になっていて、特にパリに詳しい人ほどそうだったと思います。
セルヴァンドーニ街ありき、なんですね。
私のように現在のパリをよく知らないまま、直接1625年のパリに旅立ってしまう読者は……果たしてどのくらいいますかねえ。

古地図にアクセスするのは今の時代簡単だけど、現在のパリをすっ飛ばす人は、もしかしたらあまりいないかもしれません。
パリの近現代史は全く興味ないけど中世史は好き、というのが大きいかもしれませんが、現在どころか、私はデュマの生きた19世紀も飛び越えていきなり17世紀のパリに飛び降りましたから、そんな17世紀視点で「デュマはミスした」とサクッと指摘するのも、もしかしたらいけなかったのかなと、ちょっと思ってしまうのでした。

170歳ほども年下の極東の小娘(年はくってるけど)に、革命前のパリ目線で「ミスしてる」と指摘されるなんて、まさかデュマも思わなかっただろうよ……。



エーコが言ってるけど、作者の指示通りに小説を読むのがあるべき読者なんですよね。
はい、私もそう思いますし、古地図を見るまでは原作の記述どおりにフォソワイユール街とセルヴァンドーニ街の両方が同時に存在してると思ってました。
それで楽しく読めてたし、全く問題ありませんでした。

だからですね、これはもう「古地図を見たい」「三銃士が活躍した当時のパリを知りたい」と読者に思わせたデュマがいけないのです。
そこまで思わせたデュマの筆力が悪い(笑)。
エーコは小説をどのように読むかは読者の持つ百科事典次第と書いていましたが、確かに既存の百科事典次第でもあるし、百科事典のページを増やしたいと思わせ、実際に増やさせてしまう作者の筆力次第でもある。
エーコの言うところの「歴史と博識の世界へむけて心躍る冒険にのりだそう」です。
私も同じく読み通した後はネットで調べ物の連続でしたよ。
でもエーコに言わせるとこの行動は「健全な経験的読者のすることではありません」だそうだ(笑)。

でもこうして作者と読者のコミュニケーションが図られ、より作品の深い所に入っていくことができれば、別にミスだのなんだのではなく、そのミスさえ作者の思想を知ることにつながって、もしかしたらこれほど有意義な読書もないのかもしれないと、ちょっと思いましたです。

なんていいますか、エーコの文を読んで、私は「三銃士」でとても幸せな読書体験をしてたんだなと、気付かせてもらえたようです。
確かに「ダルタニャン物語」の感想を自分で読み直しても、「幸せそうだなあ」と我ながら思うんですが(笑)、別に銃士の四人が愉快だっただけじゃなくて、デュマとの関係がとても幸せだったなあと。

文学史上に名を残す遠い作家、というのではなく、地続きに繋がってる感じがするのです。
年月は隔たってるけど、近く感じる。
あまりこういう感じ方は他の作家ではないのですけどね。
だから170歳ほど年下の小娘、なんて言い方になりました(笑)。
170歳年上のおじさんですよ。デュマはそれほど近く感じられました。
多分私の趣味趣向にピッタリなんでしょうねえ。



エーコの文章はちょっと小難しかったりするんだけど、広い層の聴講生を対象にした講義な分、これはまだわかりやすい方なのだと思います。
これから最初からぼちぼち読んでいこうと思っていますが、なんとかついていって楽しめたらいいな。
頑張ろうー。




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by teri-kan | 2017-08-18 11:42 | | Comments(0)
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