カテゴリ:事件・出来事( 62 )

4年目の3.11

震災直後の感情の高ぶりは、もうかなり落ち着いているという感じでしょうか。
むしろ復興はここからが本番のような気がします。
気力がわかずに今まで何もできなかったという被災者も、無理矢理でも足を前に踏み出さなければならないこともあるでしょう。
それはそれで辛いだろうと想像しますね。
気力がわかないまま何もせずに亡くなっていくというのも辛いですが。

前と同じに決して戻れないというのは苦しいです。
津波の被害者も原発の被害者も、まだその被害は継続中だということを、忘れずにいたいものです。

今年は戦後70年ということで、東京大空襲も70年、広島長崎の原爆投下も70年。
阪神淡路大震災も20年の区切りの年なんですね。だから地下鉄サリン事件も20年。
こういう区切りの出来事をテレビでよく報道しているので、今年は特に記憶の継承について考えさせられます。
どれだけ意識を高く持ち続けられるか。
言うのは簡単だけど、どれも難しいものだよなあと、自分の生活を振り返ってみて思うばかりです。

とにかく今日は祈りの日。
津波で亡くなった方、その後の過酷な生活で亡くなった方(この1年で亡くなった方もいるでしょう)、そういった方々の鎮魂の日ですね。
安らかに眠っていただきたいです。
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by teri-kan | 2015-03-11 16:05 | 事件・出来事 | Comments(0)

表現の自由の説明の疑問

守り人シリーズを楽しんでいる間に、世間ではいろいろなことがありました。
その中で一つ、ずっとモヤモヤしている件について、ちょっと吐き出しておきます。
ものすごく素人っぽい話ですが、シャルリエブドの反論について感じたことです。



例の風刺画の件で、怒ったイスラム教徒に対してシャルリエブド側が、「イスラム教だけでなくキリスト教も風刺している」と答えてたんだけど、これに違和感ありまくりなんですよね。
シャルリエブドのやったことは、例えて言うなら、「俺の親父はろくでなしのバカだ」と言ってたC君が、I君をつかまえて「お前の親父はバカだ」と侮辱したようなものです。
そりゃI君は怒りますよ。
でもそんなI君に対してC君は、「俺はお前の親父だけでなく自分の親父も侮辱している」って正当化したのです。
おいおいちょっと待ってよと、こちらとしては思わずにいられません。

自分の父親に対しては、育ててくれた過程で子供本人にしかわからない鬱屈も出てくるだろうし、親子ならではの言い争いも起こって当然だけど、他人の父親を外側だけ見て侮辱するなんてありえないです。
どれだけ侮辱に値すると思っていても、その父親を尊敬している子供がいるなら、彼らに対する配慮は必要でしょう。
父親と宗教を一緒にするなと言われるかもしれないけど、根っこの部分は似ているし、むしろそういった人間的感情を無視するから諍いが起きるんじゃないですかね。
人間の本性や本能的な感情を無視して机上の空論のような理想を語っているだけでは、対立は深まるばかりではないかと思います。

フランスが権威と権力に対抗して、戦いの末に手に入れた自由を重宝する気持ちはわかるのです。戦った自分達を誇りに思うのもわかる。
でも一日本人として先ほどの親父の例をとってみるなら、「そんなに厳しかったなんて大変だねえ。親父さんを殺さなきゃやってけなかったなんてどんだけ? うちのお父さんはユルくてヨカッター」くらいのものなのです。
I君にしてみれば、「俺は親父と上手くいってんだよ、親父の言うこと聞いてるのが俺には合ってんだよ」ってところでしょうか。
厳しいお父さんに抑えつけられて、自由が欲しいーっ!!って爆発したC君とは、育ってきた環境も家庭状況も何もかも違うのです。
その「何もかも違う人達がこの世にはいる」ってことが、このC君、もといシャルリエブド側の人達はわかってないんじゃないかということが、モヤモヤ感として残るんですよねえ。

日本人にとってもフランスで勝ち取った自由はありがたく、大変お世話になっているものなので、あまり批判めいたことは言いたくないし、むしろ言えない雰囲気すらあるようですが、もうちょっとその傲慢なところをどうにかしてもらえないかなあと、この件では思います。

ていうか、なんでこんなに極端なんだろうと思いますね、キリスト教圏の方々は。
さんざん抑圧されて、とても息苦しかったから、血を流して戦って自由を手に入れた。そうなるや自由を極端に謳歌して、なんでもかんでも自由、ちょっと反論したら自由の侵害!って叫んで、そうしてるうちにフランス式自由に「ちょっとおかしくないかな?」と思う人達が抑圧され息苦しいと感じ始める。
次はそういう人達が自由を批判するための自由を得るために血を流すのか?
どうにかならないものかって感じです。

新聞っていまや権力ですからね。
もうちょっと発信の仕方には配慮をするべきだと思います。
特に一面にデカデカと絵を載せたら見ない自由を行使できない。
あれは一度視界に入ってしまったらお終いですからね。

高圧的な宗教に苦しみ、人をたくさん殺して自由を手に入れた歴史以外の歴史を持つ民族がいることを、もうちょっと理解してもらいたいものです。
そういう人達をバカにすることもやめてもらって、その上で表現の自由を謳うなら、いくらかは対立が和らぐのではないかと思います。
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by teri-kan | 2015-02-25 12:01 | 事件・出来事 | Comments(0)

自由の氾濫

今年に入ってからいろいろな「自由」がメディアで騒がれました。

最初はサザンの桑田ですかねえ。
思想信条をコンサートで主張する自由。紫綬褒章をぞんざいに扱いオークションネタで茶化す自由。
それはまあ日本国内でなんとかなる問題にしても、それ以後はシャレにならない自由ばかりでした。

宗教を侮辱した絵を描いてもよい自由。信仰を侮辱されたら人を殺してもよい自由。
郷に入っては郷に従えなど関係なしに移民先で好き勝手生活する自由。
多文化共生を掲げながら区別と差別をする自由。
行くなと言われている地域に入る自由。無害の外国人を人質にする自由。
人質が危険な状況にあることすら政権批判に利用する自由。
テロリストに同調するかのような発言をしてもよい自由。
人質救出を訴える記者会見で反原発・地球環境保護を訴える自由。
残忍な方法で殺害し、その映像を世界中にばらまく自由。
サッカー観戦していた少年達を殺す自由。
自分の意に従わないだけで公開処刑をする自由。

自由が氾濫しすぎて、頭の中がぐるぐるです。
皆好き勝手しすぎだろう。
イスラム国、もといISILは論外だ。
でも他の人達だって少しは節度というものがないのか。
だから自己責任が云々なんて話になるんだ。
別にシリアに入るのだけが自己責任じゃない。
これだけ自由があふれてるから何にでも自己責任が問われるだけで。
だから殺されても仕方ないとかそういう話じゃなくて、とにかく、なんていうか、もう、自由って一体なんなんだ!ってことですよ。
皆が自由に好き勝手振る舞えば、そりゃどこかで何かとぶつかって、それが取り返しのつかないことになってしまうなんて、普通にあるに決まってるでしょう。
なんだって皆そんなに自由気ままなんだろうか。

だから自由を最大限拡大解釈して振る舞っているISILは、全方位に喧嘩売ってる最低最悪な集団です。
特に現地の普通のムスリムの方達は気の毒極まりない。
同朋をあれだけ殺しておいて、それでイスラムの教えだのなんだの何を言ってるんだかって感じだし、各国のイスラム教指導者はこの状況をどう考えているのか、ちょっと教えてもらいたいですよ。

あまりうかつなことは言えないけど、イスラム教って宗教として考えた時にどうなんでしょうか。
人間に自由を与えたら欲望のままに自由が氾濫して収集つかなくなるのは決まりきってて、それをコントロールするための宗教の発生だったはずですよね、最初は。
古代人がタブーや禁忌と言われるものを作ったのは、人間の自由気ままを制限して、社会的安定を求めたからですよね? 
当たり前だけど、殺したい放題盗みたい放題の社会じゃ人間は生き残っていけないわけで。
そのためにどんな形式であれ宗教は絶対的に必要で。

で、ISILはその縛りを完全になくして、最も原始的なタブーからも自由になって、人を殺しまくってるわけですよ。特にイスラム教徒を、イスラム教の名のもとに。
ムスリムのほとんどの方はISILの蛮行を「イスラムの教えに反している」と仰るけれど、イスラム教の教えに凝り固まった人間が、行き着くところまでいけば宗教を飛び越えてタブーなしの原始人に戻るというのが、もう、理解の範囲を超えていて呆然とする。
ただのテロリストで宗教は関係ないとか言われるけど、あるいはイスラム教は利用されてるだけって言われるけど、イスラムの戒律を守ってないからイスラム教徒を殺すという図式に、イスラム教は無関係ですと言っていいものなのかどうなのか、申し訳ないが判断がつかない。
個人個人のムスリムには、必要なものだとは思うけれども。
宗教はやはり心を救ってくれるものだから。



湯川さんと後藤さんが殺されたショックから私もまだ抜け出せてないので、なんだか書いてることが支離滅裂ですが、彼の地がなんとか少しでも良い方向に向かっていってほしいと切に願います。
時間がかかってもISILは壊滅へ。
そしていつかイラクやシリアが再建される時、難民となっている人々が無事に故郷へ戻れるよう、日本には支援を続けてもらいたいと思います。
それが日本のためにもなるはずだと思います。

お二人は本当にお気の毒でした。
心からご冥福をお祈りします。
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by teri-kan | 2015-02-02 17:02 | 事件・出来事 | Comments(0)

カラーでよみがえる東京

昨日のNHKスペシャルは「カラーでよみがえる東京 ~不死鳥都市の100年~」でした。
今までモノクロでしか見たことのなかった映像がカラーになってて、いろいろと気付くことの多い番組でした。

色がつくと人の表情や動きが俄然イキイキするんですね。
単なる記録映像としか捉えていなかったものが、私達に繋がる親や祖父母世代の生きた時代の映像として、一気に血の通ったものになる。
現実に生きて生活していた感じがすごく伝わってきて、こういう営みの積み重ねの上に今があるんだなあと、時間の重さも感じることができました。

日本人はしなやかですね。
未来への備えができないなどと言われますが、その分今を生きることにしなやかだ。
多分、結局、負け続けてるからなんだろうな。
別に震災や戦争で負けたってだけじゃなくて、この番組見てたら、最初から負けてるんだな日本、って感じ。
維新が起こってそれまでの価値観を捨てて、西洋風の建築で街を埋め尽くしてる時点で既にそうなんだけど、実はそれ以前から負けてるような気がする。
別にアメリカに負けたとか、中国に負けたとか、そういうんじゃなくて、人間の営みって素晴らしいけど、ある意味業(ごう)の積み重ねですからね。
どれだけ、どういった風に、人が傷ついて死んでいったか、つまるところはこれ。
歴史は大切だけど、こういう風に映像でクリアに残されると、いろいろ考えてしまいますね。

といったことを思ってしまうくらいに、この番組はなんだかとても深刻で悲劇的でした。
歴史なんてどの時代を切り取っても悲惨だけど、「不死鳥都市」と銘打っておきながら、全然前向きじゃありませんでした。
モノクロ映像に色がついて、それだけで凄味とインパクトが大幅アップなのに、更に音楽でも煽って、ちょっと内容が押し付けがましかったかな。
同時代に生きた人物の言葉は重みがあったし、広瀬中佐の歌も映像と合わさって雰囲気抜群でしたが、全体的な編集というか、番組の意図はちょっとなあって感じですね。

彩色された東京の街をもっとシンプルに楽しみたかったです。
最後に紹介された最も古い映像なんて、あれこそしっかり見せてほしかった。
ああいうのを楽しみにしていたのに。

浅草の賑やかさ、銀座のネオンの華やかさは良かった。
モガは超オシャレ。ご婦人の着物も粋で綺麗。
宝塚は昔から宝塚。
今見ても素敵な舞台なんだ。当時の人にはどれだけ夢の世界だったろう。

有名な学徒出陣の映像は、彩色をしてもほとんど変わらないという色のなさがかえって印象的。
紅白幕がやけに目についた。
アメリカ占領下の映像は辛い。戦争で死ぬのはイヤだけど、他国の支配下に置かれるのもイヤだと痛感。

東京のこの100年は壮絶でしたね。
カラー化でより実感しました。
でもプライベートフィルムに救われた。
あの映像には愛がありました。
撮ってる目に愛を感じられて、なんだかそれにとてもホッとしました。
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by teri-kan | 2014-10-20 17:16 | 事件・出来事 | Comments(0)

ノーベル物理学賞と文学賞と平和賞

うれしい話と重い話。

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by teri-kan | 2014-10-09 15:49 | 事件・出来事 | Comments(0)

御嶽山の噴火

九死に一生を得た方々の話が本当に恐ろしい。
たくさんの映像が地獄さながらの話を補完して苦しい。
何をしたら助かった、しなかったから助からなかった、という話じゃない。
生きるも死ぬもただの運、ただの巡り合わせなだけで、それでこれだけたくさんの人が亡くなったということが、本当に辛い。




かなり打ちのめされています
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by teri-kan | 2014-10-03 14:34 | 事件・出来事 | Comments(0)

スコットランド独立運動

スコットランドというものに初めて触れたのは、多分アニメの「キャンディキャンディ」でした。
バグパイプにキルト、丘の上の王子様。
スコットランド文化だと知ったのは随分後のことだけど、出会いがそれだったので、以降スコットランドにはずっといい印象を持ってましたね。

「ツーリングExp」のディーンの出自がスコットランド貴族だったとか、ジェームズ・ボンドもスコットランド出身だったとか、優秀な人材の輩出国みたいなイメージも強くて、そういうのもあってなんとなく「いいところ」という印象がありました。

だからイングランドに主導権取られて同じ国やってるっていうのは、好きでやってるならいいけど、ショーン・コネリーとか昔からものすごく熱心に独立に向けて活動してたし、それならば独立させてあげればいいのにって、心情的にはそっちの方に傾いていました。

でも今回独立が決定してたら、今頃大変なことになってましたよねえ。




続き
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by teri-kan | 2014-09-26 11:53 | 事件・出来事 | Comments(0)

八木蛇落地悪谷

やぎじゃらくじあしだに。

広島市を襲った土砂災害で、最も被害の大きかった八木の古い地名だそうです。
八木蛇落地悪谷 → 八木上楽地芦谷 → 八木。
このような変遷を経ているのだそうです。
なんて言うか、すごいとしか言いようがないですね。

続き
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by teri-kan | 2014-08-28 13:33 | 事件・出来事 | Comments(0)

大規模土砂災害

広島市が大変なことになってしまいました。
多くの方が犠牲になられて、悲しいとしか言いようがありません。
知ってる地域がこういう風になってしまうと、なんていうか、ガックリくるというか、ひときわ堪えますね。
行方不明になられている方々の一刻も早い救出と、避難されてる方々の一日も早いご帰宅をお祈りするとともに、亡くなられた方々に心からお悔やみ申し上げます。



あの夜、天気予報に反して、うちの方では全く雨が降らなかったんですよね。
晴れといってもいいくらいで、でも深夜一時に外を見たら西の空がピカピカピカピカ稲光がすごくて、でも雷鳴は一切聞こえないという、「なにこれ?」といった状況でした。
「変だねえ」と思っていたら、まさかの土石流、土砂崩れ。
広島市に大雨警報が出ていたのは知っていましたが、まさかこんなことになってるとは想像もしていませんでした。
あの光が広島から届いているというのも、全く思いもよりませんでした。
本当に恐ろしいです。

被害が甚大になった原因をTVで解説していて、地質や宅地造成や時間帯や、それぞれいろいろ説明してくれたけど、どっちにしろこれだけの雨が集中して降ったら、被害が出ない方がむしろ不思議と考えるべきなんじゃないかと思いました。
今回は避難するにも無理な状況だったし、どうにもならなかったという感が強いです。
無力感と言ったらいいでしょうか。
家に閉じこもって災厄が通り過ぎるのを待つしかないといった、原始からの身の処し方をするしか思い浮かばないです。

宅地造成の在り方を考え直すべきという意見は、必然的に出てくるでしょうね。
山の斜面に張り付くように家が建っているのは、別に広島のここだけではないし、今でもどんどん山の緑が住宅地になっていってるところ、普通にあるんですよね。
山の形をしているのに、緑じゃなく家がみっしり立ち並んでる光景って結構異様ですよ。元の緑を知っていれば尚更。
でもそれでも皆市街地に近いところに家を建てたいんです。
安佐南区はそれこそ住宅地としてホントにちょうどいいところだし、あんな所に住むからだとか、危険だと知っていただろうにとか、あまりそういう事は言えないんですよねえ。

山まで住宅地にするのなら、せめて山の管理をするべきなんでしょう。
杉をやめて照葉樹林に戻すとか、木のことは詳しくないのであまり書けないけど、個人的にも杉が植林された山より照葉樹林のモコモコの山の方が好きだし、そちらの方がより雨に強いのなら、そういう方面での対策を模索するのもありじゃないでしょうか。
温暖化が進めば気象が荒くなるのはわかりきってることだし、川の水質を戻す運動をして魚が帰ってきたように、山も本来その地域にあった木々を植えることで、気象や地質に最も適応できる環境を作るということ、出来ないものですかね。

そこから考えていかないと、15年前にも起こったと同様、これから15年後にもまた今回のような災害が近い場所で起こってしまうような気がする。
幼い子まで亡くなってしまって、今後の抜本的な対策を本気で考えないと、その子達に申し訳ないし、広島市は都市計画から何から、一度見直すべきじゃないかと思います。
運が悪かったで済ませてしまうには可哀想すぎるんです。
避難のあり方を考えるのはもちろんだけど、ちょっとずつでも雨に強い山を作っていくということ、必要なのではないかと思います。
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by teri-kan | 2014-08-21 15:39 | 事件・出来事 | Comments(0)

仁和寺の御室桜

御室の八重桜、9割が一重に変異? 京都・仁和寺

「徒然草」の「仁和寺にある法師」のおかげで日本人なら誰でも知っている仁和寺。
ここは春に盛大に花を咲かせる御室桜が素晴らしいのですが、なんと、八重に改良されて長年やってきたはずの桜が、九割がもとの一重に戻っていたということで、いやー、面白いですねえ、桜って。
ていうか、品種改良で出来た桜だったんですね、御室桜って。

ここの桜は一回しか見たことないのですが、その一回がちょうど満開の時だったこともあって、すごくいいもの見せてもらったという記憶が強烈に残っています。
桜の大群が目に入った時は、「ここはどこの天国?」ってマジで思いましたからね。
「桃源郷ってここでしょ!」って本当に思ったくらいでしたから。

ホント、笑えるくらいモコモコに桜が咲き誇ってて、しかも木の背が低いから人間を取り囲むようにして咲いてるんです。
まさしく自分の周りすべてが「花!」って感じ。
ほら、ソメイヨシノって見上げないといけないじゃないですか、花を見ようとすると。
でも御室桜は花が目の前にあるので本当に極楽。
こんないいところ他にないってくらい素晴らしかった。
あれはお金払って見る価値がある。
見るというより、体感させられるって感じです、あの感覚は。

で、私が見たのはもう十年以上は昔のことなんだけど、あの時から一重の桜が多かったのかどうなのか、ちょっと気になる。
実は八重も一重もどちらもそれぞれに綺麗だけど、八重の方がたくさん咲いた時のモコモコ感が出るように思うので、超満開時のモコモコ感が一重の割合が増えたことで薄れることになったら、ちょっと寂しいかも。
まあ基本どっちでも構わないんだけどね。一重は一重の可憐さがあるし。
八重でも一重でもいつまでも元気に咲いてくれればというのがなんといっても一番だし。

にしても、桜って不思議です。
古来より品種改良されまくってますけど、先祖返りなんてことあるんですね。
遺伝子ってしぶといな。
他にもちょっとずつ変わってる桜もあるのかもしれませんね。




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by teri-kan | 2014-04-16 14:45 | 事件・出来事 | Comments(0)