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平家納経と崇徳院

今週の「平清盛」はいろいろと画期的な回でした。
まずは平家納経。

キレイでしたねー。
美術さん、細かいところまで頑張ってました。
あんな風にして作られていたのかーと感心しました。
こういうところをきちんとやるのがこのドラマのいいところですね。

平家納経については、以前実物を見た事があるのですが、本当に素晴らしくて、平家の財力と信心をこれでもかってくらいに思い知らされたものでした。
ホントのホントに美しかったんですよ。
しかもお経のそれぞれが個性的でね、見ていて飽きない。
あんな昔のものが今も変わらず美しいまま存在していることにも驚くし、本当に、一族はあんな形で滅んでしまったけど、この人達とんでもないものを遺したんだなあと、感慨深いものを感じずにはいられません。

そして崇徳院。

ある意味この方も現代までとんでもないものを遺している御方。
実害を被ってるのは天皇家だけのようですが、院が自らに流れる血を呪ったという説に従うならば、そうなるのも当然かなと思います。

怨霊化した崇徳院の映像は凄まじいの一言でした。
怨霊というか生霊? 
スゴかったですねえ……。スゴイの一言しかありえない……。
例の歌川国芳の絵みたいなお姿でしたよね。ていうかモロあのまんま。
スタッフ、変なところで伝説に忠実だ(苦笑)。

今回のドラマは、現実の崇徳院は讃岐の地でそこそこ平和に生涯を終えたという説と、院の祟りがコワイヨーという京で育まれた怨霊伝説と、その両方をちょうどよい具合に混ぜ合わせた演出になっていたと思います。
崇徳院自身は、一時の激情と絶望にかられて生霊化しつつも、西行の読経や船を厳島へ到着させるという努力のおかげでなんとかそれ以上の悪化を免れ、讃岐の日の光と子供の声で人間に立ち戻り、きちんと成仏する。
それとは別の思惑として、京では京の理論が展開するということで、災いが起こったりすると人々は崇徳院のことをどうしても思い出さずにいられない。
で、後に院の祟りに怯える人々が勝手に想像するのは、まさしく今回の生霊の院なんですね。彼らが思い浮かべる院の祟りを具現化するなら、まさしくアレなんですよ。
そりゃあ恐ろしかろうというものです。あれに呪われてるなんて考えるだけで恐ろしい。
でも実は崇徳院自身は既に成仏されていて、祟りも怨霊も都の人々の疾しさが生み出したものにすぎない。彼らは勝手にあれを想像し、勝手にあれに慄いているだけで、生前の院を好き勝手に扱っていたのと逆パターンさながら、死後の院のありもしない祟りに勝手に振り回される。
まるで崇徳院に絡んで起こった全ての出来事が、どれもこれも院の意思とは無関係に行われてきたことの証明のようであります。
そう、何もかも院の意思とは無関係なのです。生前も、死後も。
せめて意思がなければ院の心は穏やかだったろうに、悲しいかな、崇徳院にはその生まれと与えられた地位に即した意思があり、しかし世の中はその意思の横を無常にも素通りしていく。院が成仏した後でさえ。

面白い解釈ですよね。これには崇徳院を演じた井浦新の思いがかなり反映されているようですが、歴史と伝説の狭間にいる実在の人物の描き方としてはとても面白いと思います。
しかし、やはり哀れであります。この世に生まれてきた甲斐のなさを院が嘆いたとしても無理からぬことです。
でもそうやって院のお心内を忖度することこそ怨霊伝説に振り回されてる証かもしれないと思ったりもして。
すごい人物を日本史は作りあげてしまったものですね。

なんていうか、こうやって考えると、つくづく崇徳院と後白河院って真逆の人生を送ってるんだなあと思います。
崇徳院は「大魔縁」で後白河院は「大天狗」。人間離れした呼び名をつけられてるところはそっくりなんだけどね。

これで実の兄弟なんだもんなあ。
なんかいろいろ考えちゃいますねえ。
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by teri-kan | 2012-07-30 16:28 | 大河ドラマ | Comments(0)

関塚ジャパンがなでしこに続いた!

先陣を切ったなでしこに続き男子代表も初戦を勝利! スペインに勝利!
これはマイアミの奇跡ならぬグラスゴーの奇跡!
いや、奇跡にはあらず!
かつてのマイアミ同様今回もすさまじい試合だが、そのすさまじさとは日本の恐るべきシュート力の方なのだ!

というわけで、体張ってギャグやってんのかというくらいシュートを外しまくった日本。
どう考えても3-0か4-0の試合でしたよねえ。
つーか、スペイン相手に3-0とか4-0とか、試合前に話してたら妄想でしかなかったけど、サッカーってやっぱやってみないとわからない。
まさかここまで日本のやり方がハマるとは思ってもいませんでした。

日本もそうだけど、やっぱりスペインもフル代表とは違うんですね。
スペインの守備のボロボロさも、日本の攻撃のツメの激甘さも、なんていうか、U23らしく青々しかったですね。
そこがこの年代の面白さでもあるんですけどね。



永井のシュートはことごとくアレだったけど、チャンス自体を作れたのは永井のおかげなんで、あんまりキツくは言えないな。スペインの高い最終ラインにプレッシャーをかけ続け、最後までよく走った。
清武はもうここ何ヶ月も解消されない便秘を抱えているかのよう。そこそこ良いのに後一歩何かが足りない状態がずっと続いてる。
大津は持ってるね。大会前のニュージーランド戦はチャラい性格が表現されたかのような空回ったプレーだったけど、大舞台に強い。これはいい。

守備が大改善されてて驚いた。オーバーエイジ効果は絶大だ。
特に吉田。ナニアレ? すっかり頼れるお兄さんになっちゃって、わずか1年前とか1年半前には考えられなかったことだ。
まあオーバーエイジとはいえ吉田はまだ若いし、U23の面々も短期間でどんどん成長してるし、こういった若い伸び盛りの選手を見るのは楽しいものです。
勝ち点3がスペイン戦で奪えたという事実を糧に、これから先も自信を持ってプレーしてもらいたいですね。

懸念材料は怪我人続出ってことかな。
軽症であることを願ってます。
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by teri-kan | 2012-07-27 11:38 | スポーツ(サッカー) | Comments(0)

「日本霊異記の世界 説話の森を歩く」

三浦佑之著、角川選書。

「日本霊異記」とは平安時代初期に書かれた日本最古の説話集。
オリジナルを読むのは敷居が高いけど、本書はテーマ別にお話を紹介している上、解説付きでわかりやすく、初心者に向けた入門書といっていいと思います。



「日本霊異記」に記された説話のいくつかは長い年月をかけて形を変え昔話となり、現代まで語り継がれている……。
ということで、一寸法師や浦島太郎の原型のような話も紹介されているんだけど、読みながら「昔話ってどのくらい昔の話なのかなあ」と以前考えていたことを思い出しました。
アニメの「まんが日本昔ばなし」をたまたま大人になって見た時に、おじいさんとおばあさんの生活様式がやたら気になって、「この着物や食事の感じだと江戸時代後期の生活レベルかな。でも江戸時代だと昔話としては新しすぎるから室町時代かな」といった疑問が浮かんだのです。
本書を読んでてそれを思い出して、昔話の時代を特定させようとか野暮の極みだったんだなと気付かされたのですが、アニメで絵がついたからといってその絵に目を向けすぎちゃダメですね。いつの時代も説話や昔話は昔々のお話。同じ話でも平安時代の人間が聞いたなら彼らが想像する登場人物の髪型はみずらとかで、現代人なら江戸時代辺りのちょんまげ。
まあ現代人がみずらスタイルの人達を思い浮かべたっていいんですけどね。日本の昔ということには変わりないんだし。

本書はそういった「時空を越えて昔の人と繋がってる感」が感じられるのがいいです。「日本霊異記」に出てくる人物は主に奈良時代の人間ですが、1300年前でも人間は人間で変わりないと思えるし、庶民感情はやっぱり庶民感情だなと思えるし、怪異伝承とか現代では考えられない不気味話には当時と現代の科学と信仰の違いを感じさせられるし、特に怪異話は超絶ぶっとんでいて、お話としては最高だったりする。

まあ、全体的に説教くさいのがちょっとなあという気はしますが。
話のオチも完全にパターン化されちゃってるようだし。

「日本霊異記」は著者がお坊さんで仏教説話がメインだから、説教くさくなるのはしょうがないんですよね。
良いことをしたら良い報いを受ける、悪いことをしたら悪い報いを受ける。動物は大切に、いじめたり殺したりしちゃいけません等等、本書によるとそういった概念は仏教導入以前の日本にはなかったということで、こういった仏教説話が日本人の道徳心を高め、より文明人として進歩させたというのならば、ここに書かれている説話こそ日本人の道徳心の原点と言っていいのでしょう。

感心するのはその道徳心は今の日本人にも通じるもので、こんな昔の教えを未だに実践してるのがすごいというか、今でも言われる「悪いことをしたらばちが当たる」とか、「ご飯を食べてすぐ横になったら牛になる」とか(これは怠けてると重労働させられる牛に生まれ変わるよという戒めの名残ではないかと思う)、「情けは人のためならず」とか(他人に良い行いをすれば回り回って自分の身に返ってくるの意)、行いと報いの関係って仏教伝来以来1300年か1400年かかけて、徹底的に遺伝子にすり込まれてるのです。
まあ道徳心というより、宗教心?
日本人は無宗教なのではなく、宗教が日常の生活に浸透しているのだと言ってる人がいましたが、八百万(やおよろず)の神々や原始的な先祖崇拝と一緒に仏教もこういった形で日本人に沁み込んでるんだということ、本書を読んでると成る程と思えます。



というわけで、この先は報いについて最近思うことを。
私は宗教については全くの不勉強ですが、いろいろな出来事を合わせて思うところをちょっと書いてみます。





大問題になっている平成大津事件
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by teri-kan | 2012-07-25 12:23 | | Comments(0)

くるくるパーマ

平治の乱の後始末も終わり、大河ドラマ「平清盛」は世間がイメージするお公家化した平家の物語へと一直線。

家がキレイになりました。
お召し物がキレイになりました。
衣装に着られてる感のぬぐえない皆様ですが、時子は似合っていました。
いまいち色合いが娘さんでしたが。

ていうか、公卿になったから平氏から平家になったんですね。知らなかったー。
長年の謎1コ解決。



滋子の天パ話がなんていうか、いくらなんでも天パはないよなあとやっぱり思います。
意図は理解できるんですけどね。でも天パはないよなあ。

「滋子は良い女性だけど院の側に上がるのに巻髪は……」と当代随一の貴婦人であろう上西門院に言わせることで、滋子自身の美質と、天パがいかにあの時代の美の基準から外れているかを説明し、平家一門総出で髪ストレート作戦に奮闘させることで、世の常識はこういうものなんだということも説明する。
その上でそんな概念から自由な男がこの世界には二人いるということを描き、彼らの破天荒さを今一度ドラマ内の登場人物にも視聴者にも印象づける。

とまあ、こういう捉え方でいいのでしょうが、それって別に天パじゃなくても、とはどうしても思っちゃいますね。
視覚的に訴えるものは大ですけど、完全に大を通り越してるし。



婚礼を心待ちにしてるのが顔に表れてる後白河院は面白かった。
結構可愛いところがあるじゃないか。
宋風の結婚式だかなんだかわからんけど、毛色の変わったことをしてもらったことも割と気に入った様子。
確かにあれは帝でいたなら出来なかったことではありますね。院という立場ならではの気安さのおかげかな、あの宴の演出も、滋子の宋風の衣装も。
面白いことやってもらって、院の自尊心は随分満たされたことでしょう。



梅雀の家貞、死去。
唐果物が食べたかったから交易頑張った、という告白は良かったと思います。
うん、ああいうものですよね。行動の原点になってるものって至ってシンプルだったりしますよね。

美福門院逝去。
鳥羽院と待賢門院の愛憎劇に巻き込まれ、若い頃はキーキーうるさい女性でしたが、年を経て良い雰囲気になりました。
この人がいなくなるとますます重々しさが失われるなあ。

この二人がいなくなってオープニング曲の出演者のシメは誰が務めるんだろう。
池禅尼でもいいけれど彼女だってそのうち退場するわけで、なんていうか、大人がいない。立派な大人がいない。
鱸丸がいるとしても(鱸丸の今の名前はなんだっけ?)、本当に彼しかいない状態なんで、鱸丸不在時はどうするのか、かなり気になります。
出てない回、今までも結構あったよね?

オープニング曲の字面や文字量のバランスが悪くなりますんでねえ。
全然どうでもいいことですけど気になりますねえ。
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by teri-kan | 2012-07-23 14:29 | 大河ドラマ | Comments(0)

サンフレッチェ広島がリーグ戦首位に立っている件

強豪クラブが勝手にコケてるからとかたまたまとか、何をどう言おうが首位は首位。
勝負はこれからですが18年ぶりの首位、まずは喜ぶべきでしょう。



18年。

長いですねえ。気が遠くなりそうですねえ。
思えばその間いろいろありました。
今ではGKからつなぐパスサッカーの元祖のような評価をもらっている広島ですが、ここまでくるには山あり谷あり、まさにクラブに歴史あり、つまらないサッカーからの脱却のため二度のJ2落ちという代償まで支払って、ようやく日の当たる場所に辿りつきました。

18年前の1stステージ優勝から数年後の90年代終わり、貧乏と安定の中位力のせいで全くパッとしなかった広島。
やってるサッカーは背の高いCBでゴール前を固め、背の高いCBがセットプレーで点を取るという、アンチフットボールも真っ青のアンチフットボール。
あまりに手堅いサッカーのおかげで降格争いとは無縁なものの、優勝争いとも完全に無縁で、さすがにこれは如何なものか、もっと攻撃的に行かなければ上位を目指せないじゃないか、ファンも増えないじゃないか、という声が高まるのは必然でありました。

というわけで2001年に実績十分のヴァレリー招聘。この監督の下で広島は超攻撃サッカーを手に入れるのですが、来年こそは優勝を目指せるかもと希望を持ちつつあった矢先にヴァレリー退任。
この退任劇にはいろいろ裏があるのですが、とにかく広島はヴァレリー退任のせいで地獄の道、苦難にまみれた茨の道を歩まざるをえなくなってしまうのでした。

ヴァレリーが紹介したダメダメ監督の下、チームは崩壊、屈辱のJ2降格。
1年で昇格するものの翌々年再び守備崩壊、ペトロヴィッチを招聘してなんとか残留。
しかし翌年再び守備崩壊。ペトロヴィッチ攻撃サッカーは前半こそ機能したものの守備に足を引っ張られ得点力が急低下、壮絶な入れ替え戦の末、涙涙のJ2降格再び。

もとより貧乏なクラブ。選手の流出は止められないだろう。チームは弱体化するだろう。
と思いきや、ペトロヴィッチをここで切らなかった事が思いっきり吉と出る。
移籍金を残してくれた良い子の駒野以外はほとんど残り、J2で素晴らしい攻撃パスサッカーを習得。
昇格1年目で4位に滑り込み、運も味方につけてACL出場権ゲット。
J2に落ちても信じるサッカーを継続すれば即昇格・即上位進出が可能という手本を見せ、その後に続くセレッソ、柏の先鞭をつける。ボールも人も動くサッカーが日本中で当たり前になる。浦和や東京といった兄弟(?)チームが誕生する。
個人的には18年ぶりの首位よりこの過程にこそ感慨深いものを感じますね。



守備的サッカー脱却を目指し試行錯誤の日々を重ね、今では面白いサッカーやってるねと言われるまでになった広島。
貧乏は相変わらず貧乏のままで、実は来年の陣容すら定かではないクラブだけど、今回シーズン途中ながら首位に立つことができて、ようやく「上位進出を目指すために攻撃サッカーに転換する!」というかつての目標が実現できたといっていいでしょう。

最終順位はわからないし、なんといっても層の薄いチームなんでいろいろ心もとないですが、歩んでる道は間違ってないと確信できるので応援のしがいはある。

良いクラブになっていると思います。
是非後半戦も頑張ってほしいです。
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by teri-kan | 2012-07-19 14:20 | スポーツ(サッカー) | Comments(0)

タイトルは「平安末期の難しさ」

大河ドラマ「平清盛」、とうとう頼朝の伊豆流罪まできました。
これからは権力街道をひた走る清盛、というストーリーになるはずで、言ってみればここからが平清盛という人の本番。

ここまで長かったですねえ。

平家が滅ぶ仕込みがやっと完了、といった感じでしょうか。
平家がなぜ滅ぼされたのか。戦闘員だけではない、女も子供も、多少の例外はあれ一族もろとも海の藻屑となるにはそれ相応の複合的な理由がないといけないわけですが、その理由の仕込みが半年以上かけてようやく出来上がってきたって感じ。
滅んだ理由は清盛台頭までを含めた特殊な時代を抜きにしては考えられず、平氏と源氏とお公家さんのそれぞれのお家事情を抜きにしても考えられず、しかしそれがあまりに一般的に知られていないとなればそこの説明は丁寧にするしかなく、それを楽しくドラマとして見せながらまとめていくというのは大変だったでしょうね。

やはりこの時代は難しいんだろうな。清盛を悪役として描くだけなら平家物語をなぞればいいだけですが、それではあの時代を描けたことにはならないし、「清盛以前」に今まで手がつけられなかったのもわかるような気がしますね。一般的に知られていない時代というよりも、一般的に知るということ自体が難しい時代なんだと思います。



清盛に殴られた頼朝の顔が義朝になるところ、びっくらこいたけど意図はよくわかりました。はっきりいって上手いなあって感心したし、ちょっと感動した。
義朝に思いをぶつける形をとったことで清盛の叫びも説明調にならなかったし、観てるこっちも清盛の思考のまとめといった感じで現状の整理ができた。
何より頼朝が清盛の真意を知ることができた。
頼朝が義朝と清盛両方の意志を受け継ぐ存在ということがこれで明確になり、初回からさんざん言われていた「ナレのチョイスが間違ってんじゃないの?」という疑念もこれで振り払えたんじゃないか。
というか、主人公が頼朝でもいいんじゃないかと思うくらいで、いくら今後清盛が今までよりも主人公らしくなるとしても、肝心のタイトルには今更ながらかなり疑問が。

というのも、このドラマのテーマはどう考えても平安末期という時代の特殊性と、そこで生きる武士のあり方なんですよねえ。
武士でありながら位人臣を極めたという意味では清盛主人公でもいいけれど、ドラマで平家滅亡・幕府設立までするというのなら、清盛の一人主人公というのはやはりちょっと違うかなと思います。
死んだ後も清盛の意志は物語を支配するだろうから理解できなくもないけど、意志を継ぐのは頼朝で、肝心の清盛の子孫は滅びますからね……。
本が先に書かれていたなら人名をタイトルにすることはなかったんじゃないかとすら思う内容ですよね。



清盛は「武士の世を作る」と早くから口にしてたけど、武士の世って具体的には何?って感じで、もしかしたら視聴者の中には江戸幕府も鎌倉幕府も同じようなもんと思ってる人がいるかもしれなくて、でも清盛が言ってることは後に言われる「天下をとる」というのとは違っていて(そもそもこの時代の天下の意味がどの程度のものだったのかよくわからん)、それなら天皇の存在を武士は、というか後々まで考えるなら幕府はどう捉えていたのかという話にもなって、まあそれを言うなら清盛以上に義朝はそんなの全然深く考えてなかったわけで、なのに「ニセモノの武士(だったっけ?)」って頭に血が上っていたとはいえ頼朝何言ってんだって感じで、なんていうかなあ、もういかにも試行錯誤な時代って感じですよね。武は確かに存在するけど、その使い方をめぐって試行錯誤してる時代。

それまでの日本って、律令体制が確立された時から数えても400年とか500年、大王(おおきみ)と言われる人達(天皇)が支配を強めてきた頃からだと800年か900年か、とにかく清盛の時代まで天皇を頂にして貴族が補佐する形の政治体制が連綿と続いてきたわけで、それ以外の体制を頭の中だけで想像するなんてこと絶対無理だったと思うんですよね。天皇に成り代わるなんて発想が思い浮かぶわけないし、となると清盛の思い描く武士の世が今から見れば制限かかっているのは当然なんですよね。
だから頼朝の「ニセモノの武士」発言は、まあドラマだから仕方ないとはいえ、後世の「平家は公家の真似をしたから滅んだ」という評価は、ちょっとひどいなあと思います。



どちらにしろ平清盛を描くには平安末期という時代を描かなきゃ描けないというのは、考えれば考えるほど思うことで、となるとやはりタイトル問題は悩ましいですね。
清盛を描きたいと思えば清盛から離れることも大いにあるということで、時代を描きすぎて大河ドラマの主人公らしさから外れていくというのもこれまた悩ましい。

それもこれも日本人が私も含めてこの時代のことをあまり知らないせいであって、本当に、今年の大河は難儀なテーマを選んだものだと思います。
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by teri-kan | 2012-07-17 17:24 | 大河ドラマ | Comments(0)

「古事記講義」

三浦佑之著、文春文庫。

古事記編纂1300年ブーム、絶賛継続中。
今回購読したこれはとても面白かった。

かなりオススメです。
古事記のお話はとりあえず知ってるけど詳しくは……といった方にオススメ。
神様のあの行動にはなんの意味があったんだろうとか、物語の背景を知りたいなとか、そういう興味を持ってる方にはとても良い本だと思います。

「古事記」はもともと日本で語り継がれてきた「語り」を記したもの、というのは、誰でも納得できるものだと思います。あれが机の上で一からひねり出したお話なんてことありえないし。
で、その語られてきた内容の変遷というか過程というか、もともとこういう話だったものがこういう都合でこういう変更がなされてこういった記述になったのではないか、などという説明が「へーなるほどー」で、特にアマテラスとスサノオのくだりは本書を読んで初めて納得できたかも。
あの姉弟が口から神様を生み出して争う場面はシュールすぎて理解不能でしたもんね。

権力から遠いところで成立した歴史書というのも「なるほどー」。
その結論にいたるまでの出雲神話の解説も面白かったです。
言われてみれば出雲神話が古事記にあって日本書紀にない理由、それしかないような気がします。まあ他にも諸説あるのかもしれないけど、少なくとも本書の説には素直に納得できるかなと。
となると「序」が権威付けのために後に加えられたかもしれないという説もアリかな。
まあ、古事記を記した人物が権力から遠いところの人といっても果たしてどれほどの遠さなのか、近いのに遠いスタンスで書いてるってこともあるんじゃないかとか、いろいろ考えることはありますが。



どちらにしろ面白いです。
現在著者の他作品も読んでるところで、今は文字で書き表される前の、語り継がれてきた古代のお話に興味津々です。




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by teri-kan | 2012-07-12 15:23 | | Comments(0)

永遠に不滅です!

大河ドラマ「平清盛」はとうとう源平の戦いに突入。
賀茂川での対決は大量の矢が映画並みに降ってきて、「ちょっとこれは大げさすぎるんじゃ」と思わないでもなかったですが、圧倒的な戦力差はよくわかりました。

源氏側のまんまとしてやられた感、悲しいものがありましたね。
まあ、焦らし作戦にはまったり帝を奪われたり、空回りな雰囲気プンプンだったのですが、所詮義のない信頼一派、分裂も絵に描いたように無様でした。

二条帝派のお公家パートはギャグ丸出しだったなあ。
あれはあれで面白いけど、なんだか無性に摂関家がなつかしいぞ。
威厳が足りないというか、個人的に威厳渇望症ですよ。
白河院のような重石が欲しい。重々しさプリーズ!

だけどそんな重石がないからこそ乱が起こるわけで、この重石のなさゆえの世の定まらなさがなんか気持ち悪いというか、この時代はどうしようもないねって感じです。

当時生きてたら不安でしょうがなかっただろうなあ。
仏門に入って救いを求めたくなるのもわかるというか、まだまだ平治の乱は序の口だけど、「方丈記」の冒頭がなんか身に沁みますわ。

「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」

妙に悟るしかなくなっちゃいますよねえ。
お公家ギャグパートを見ながら「方丈記」に思いを馳せるのも変な感じですけどね。



宮廷工作は義朝より清盛の方が上手でした。
信頼があまりに浅かったのが敗因ですが、結局義朝は戦う才しかなかったって感じですかね。
でも信頼を罵倒し、鎧を押し付けるところは良かったです。
兜かぶってべそかいてる信頼の姿はいい感じでした。(史実は残酷ですけどね。)

帝救出作戦はちょっとモヤモヤが残る。
中を覗かれた時に「あれぇ」くらい言ってくれたらよかったのに。
なんのためにあの声の持ち主を二条帝役に起用したんだ。
せっかくの女声が無駄になってるじゃないか。

源氏の息子は3人とも良かったと思います。みんな頑張って戦ってました。
平家の息子も良かったです。
宗盛はまあ……あれはあれとして、重盛はさすが。今から「惜しい出来のいい嫡男」のオーラが漂っています。
息子達の一騎打ちはなかなかだったのではないでしょうか。特に長男同士の戦いは良かったです。
名乗りのあげ方もよいですね。変な言い方だけどバカには戦は出来ないな。

父親達の一騎打ちは、戦い自体はあれで良いと思うけど、終わらせ方があんなんでいいのだろーかって感じ。
本来なら義朝が負けそうなところで家臣の邪魔が入るのがお約束だと思うんだけど、清盛が完全に勝っちゃいましたからね。戦略で負けて、個人の武でも負けて、義朝のプライド木っ端微塵になっちゃって、それ以上追い詰めることが出来なかったってところがもしかしたら清盛の甘さで、これが頼朝助命の流れになっていくのだとしたら「源氏を滅ぼす!」と言ってたのはなんだったんだって感じだけど、まあ仕方ないのかな。なんだかんだでこの清盛は甘い人だし。

ただ、そろそろ厳しさが欲しいかなあ。
それは松山ケンイチの演技的にってこともあるんだけど、若年の清盛では許せたところが、そろそろ完全に合わなくなってきていて、特にしゃべり方はどうにかした方がいいと思うんだよね。
基本的に朴訥とした声で、洗練された感じが薄いんだ。言い方変だけど玉木義朝の方が都会的というか、清盛にはイマイチ都会っ子らしさがない。

もうちょっと声で演技できないものかなと思います。
これからは重々しさも必要になるし、なんとか頑張ってもらいたい。



「源氏は不滅」と言われて「巨人軍は永遠に不滅です」を思い出した私は古い人間なんでしょう。別にリアルタイムで聞いたわけじゃないけど、不滅と言われたらなんとなく長嶋さんが浮かぶ。
でも「方丈記」じゃないけれど、不滅なんてものはありゃしないんだよ義朝、と言ってやりたいかな。あれがあの場で振り絞った最後のプライドだったとしても。

まあ「不滅だ」という強い念があったからこそ後の大逆転につながったと言えるのかもしれないし、鎌倉将軍家は絶えても源氏の名はありがたがられるところまで地位が上がったし、口に出して言った甲斐はあったのかもしれない。
親兄弟を殺し、息子も家臣も多く死なせて、ある意味義朝は独りよがりだったけど、徹頭徹尾、源氏のプライドだけは揺るがなかったなあと、振り返って思います。
プライドのある男はいいですね。玉木義朝は見ていてとても清々しかったです。
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by teri-kan | 2012-07-10 10:43 | 大河ドラマ | Comments(0)

うおー、フェデラー優勝

フェデラー、ウィンブルドン史上最多タイの7勝目。
ランキングも久々1位返り咲き。
凄まじいマレーコール。さすが地元。
でもフェデラー強かった。
強い上に美しかった。

フェデラーの双子のお嬢ちゃんが可愛い。
パパのグランドスラム優勝シーンが見れてよかったですね。
というか、見せることができてフェデラーにとってよかったか。

マレーのスピーチが感動的でした。
いつかウィンブルドンで優勝してもらいたいなあ。
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by teri-kan | 2012-07-09 02:29 | スポーツ | Comments(0)

心・技・体

愛国心不足で負けた? =国歌歌わぬサッカー選手に批判―ドイツ

ユーロ閉幕後、こんなニュースが出ました。
驚いたけど、結構納得。
他国人から見ても「ゲルマン魂どこいった?」って感じだったし、当のドイツ人からしたら「ドイツ人としての気合が入ってない!」ということになるんでしょう。
準決勝の対戦相手のイタリアが思いっきり国歌を歌い上げる選手ばかりだったのも大きいですね。どうしても比較してしまうし。
でもイタリアだって試合前の国歌を選手が歌うようになったのは2000年代半ば辺りから。
90年代までは黙って立ってるだけでした。

98年くらいだったと思うんだけど、「ただ立ってるだけじゃダメだ、心を一つにするために国歌の時は肩を組むことにしよう」ということになって(提案したのはアルベルティーニかな)、11人が皆肩を組んで国歌を聞くようになったのですが、しばらくしてまた「口を閉じてちゃダメだ、心を一つにするために皆で国歌を歌わなければならない」ということになって、で、今の肩を組んで歌うスタイルになったんですね。
で、面白いのが、さあいざ歌おうとなっても選手のほとんどが歌えなくて、皆が集まって練習をしたということ。
聞けばイタリアは日本と違って学校で国歌を習わないそうで、歌詞を覚えてないという人の方が普通なんだとか。
実はブッフォンの熱唱は練習のたまものなのです。

ドイツの場合は今はまだそうでもないけど、この先タイトルを取れない時期が何年も続けば、選手も国歌を歌うべきという声がもっと大きくなるのかもしれません。
となると特に移民系の選手は練習しなきゃいけないでしょう。でも強制するのは問題があるし、移民系が代表の大半を占める国は難しそうです。
国歌以外の方法も考えたらいいのかなと思いますが、まあ別にドイツ代表は内部分裂してるわけじゃないし、今はそこまで言うことはないかな。

イタリアに先んじてそういう行動を取り入れたというところでは、セレソン(ブラジル代表)の手つなぎ入場があるのですが、W杯アメリカ大会で心を一つにするために手をつないでピッチに出てきた彼らの姿はものすごく話題になりました。
あれを始めたきっかけは当時のチーム事情(いわゆる内紛とか内輪揉め)があったからですが、自分達でなんとかしよう、まとまろうと思ったのが良かったんですよね。自発的だから効果があったと思うし、日本代表だって南アフリカ大会の時は自発的にまとまっていったんだし、こういうのって外からああだこうだと言っても無駄だと思うんですよね。

というわけで、ドイツ代表に対して「国歌を歌ってないからだー」と言うのは、ドイツ人であってもちょっと違うんじゃない?って感じ。
今はサッカーも運動量の時代で、限界を超えた体力を出すための精神の充実は不可欠で、ゆえに団結心とか愛国心とか、そういった思考にも行きやすいのだろうけど、ドイツがそれを言うようになった、または言えるよるようになったというのがどっちかというと驚きで、それは時代のおかげなのかなと思います。
ま、戦後何年もたってるし、移民が増えてくるとその辺で遠慮してられないっていうの、あるのかもしれませんね。



タイトルの「心・技・体」ですが、元は柔道家の言葉で選手個人に言うのが普通だと思うのですが、個人の集団であるチームにも言えると思って書いてみました。
心を一つにしないとチームとしての心技体は揃わないわけで、実はその部分で苦労してる代表、結構あるんですよね。
仲良くまとまる方法は国によっていろいろだろうけど、ブラジルもイタリアも、伝統的に強いと言われてるチームはやっぱりいざという時まとまれるし、それならドイツだって伝統がある。
移民系選手が増えたとしても、ドイツはドイツらしくなんだかんだでそのうち新しいゲルマン魂見せるんじゃないかと思うし、まあまだ若いチームなんで、先が楽しみな方が大きいです。

ちなみにスペイン代表は昔勝てなかった理由に、チームがまとまっていないからだ、というのがありました。
今は仲が良いということなんで、以前より地域間のわだかまりは薄くなってるのかな。
バルセロナが圧倒的に強くなったので、かえって代表内のバランスがとれてるのだろうかと思ったりしますが、その辺のカタルーニャの選手の胸の内はちょっと気になるところです。
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by teri-kan | 2012-07-06 10:32 | スポーツ(サッカー) | Comments(0)