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気温上昇に伴い引きこもり終了

最近ネコが寝坊するのです。
冬の間は人間が起床したら、サッとコタツから出て、やれ「ストーブつけろ」「コタツをつけろ」とうるさかったのだけど、今はいつまでたっても「ぐーすかぴー」。
コタツの中のお気に入りベッドでガーガー寝てます。

その代わり夜中に活動をする。
冬の間は0時を過ぎたら、最後の夜食を食べて「じゃ、おやすみ!」とばかりにさっさとコタツに戻っていたけど、今はコタツの外でずっとダラダラしてる。
うちのネコ、自力でコタツ布団にもぐれない人なので、いつも人間がわざわざコタツ布団をめくって中に入れてあげてるんだけど、最近は寝る前にコタツに入れても、すぐに楽しげにむくっと外に出てくる。
で、年のくせに暴れて遊ぶ。

かわいいんだけどね。
でもこっちも寝ないといけないので、無理矢理またコタツに押し込めてます(笑)。

コタツに火を入れなくても、コタツ布団はネコのためにまだ掛けてあるのですが、夜はともかく日中はほとんど中に入らなくなって、陽のあたる場所&人間の膝を求めてウロウロしています。
こういうの見てたら「あー暖かくなったんだなー」と実感します。
冬よりもネコの姿が見れるようになって楽しいし、いい季節になりました。
コタツに籠もるネコもかわいいけど、やっぱり活動するネコですよねえ。




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by teri-kan | 2015-04-30 11:46 | その他 | Comments(0)

ネパール大地震

人命救助に必要な時間が少なくなっていくことに焦りを感じます。
地形の問題や標高の高さ、諸々の悪条件が救助活動を困難にしているとのことです。
完全に崩れきった建造物の中からでも、なんとか助け出そうと努力する方々がテレビに映っていましたが、画面で見るだけでも絶望的で、ちょっと言葉がないです。

あの辺の大地震というと、中国はもちろんのことイラクやパキスタンでよく起こる印象がありましたが、ヒマラヤ山脈のお膝元ですからね、当然ネパールで起こったって全くおかしくなかったのでした。
でも歴史的な建造物が壊れたというくらいだから、今回の地震はこれまでのと比べても大きかったのでしょうか。
観光客も多かっただろうし、運の悪いことにエベレストは登山シーズンだったし、テレビで映らないカトマンズ以外の町や村などの詳しい被害が判明するのはきっと先のことだろうし、今現在の救出ももちろんだけど、今後のことを考えると非常に重い気持ちになります。
ネパール、国として大丈夫なんだろうか。

ニュースによるとインドと中国の支援合戦が行われているようで、そんなことでもネパールのためになるなら良いことなのかなと思うけど、大国の狭間でネパール国民が余計にしんどい思いをすることがないようにと思いますね。

とにかく、今のことを考えても先のことを考えても重い気分にしかならないのですが、まずは瓦礫の下から一人でも多くの方が救出されるように、エベレストに取り残されている方々が一刻も早く安全な場所に移動できるように、願っていたいと思います。
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by teri-kan | 2015-04-27 17:08 | その他 | Comments(0)

ナイスバディの作り方

ちょっと古い話題なんだけど、浅田舞が林真理子との対談で、「15kg太って胸がついた」と語っていたのを読んで、芸能人だかタレントだか誰だったか忘れたけど、やはり胸の大きかったナイスバディな女性が、昔テレビで同じようなことを話していたのをふと思い出しました。

10年か20年前くらいのことだけど、「20kg太って胸をつけた」と語っていたんですよね。
そんなの初めて聞いたものだから随分驚きました。
その人、確か故意に20kg太ったんですよ。
人間は部分痩せはできるけど、つけたいところだけ都合よく肉をつけることは出来ないから、まず全体を太らせて、後から痩せたい箇所だけ肉を落とすやり方でないとダメだって。
で、確かそれは十代のうちにやらなければいけないんです。
その人は16歳か18歳か、そのくらいの時にやったんじゃなかったかな。
肥満化して伸びきった皮膚を綺麗に縮めるためには若いうちじゃないといけないから、体が作られる十代後半という時期にやらなきゃいけないとか、なんかそんな話だったと思います。

「凄いな~」と当時は感心したものだけど、でも「20kgも故意に太るなんて無理だよ」って感じで、その人がすごかっただけ、普通はそんなのムリムリ~ってずっと思ってたんですね。
でも今回の浅田舞も同じでしたからねえ。
結構この方法はやりやすく、その上効くんですね。

故意に太るというのは非常に大きなハードルだけど、まあ十代後半って、何もしなけりゃ普通の女の子はまず太るものなので、18~19歳くらいまでは自然にまかせて、太るなら太るままにした方がいいのかもしれませんね。
で、20歳をめどに健康的に部分痩せ体操(笑)をする。
これは自分の経験だけど、この頃に作った体は、確かにその後の自分の基本になります。
この頃太りにくい体作りができたなら、その後の体重&体型コントロールは割と楽なんじゃないですかね。

で、20kg太って胸をつけた人の話を思い出したのはいいんだけど、あまりに「20kg」のインパクトが強すぎて、肝心の痩せ方の方法を全く覚えていないのが我ながらどうよって感じでした。
浅田舞の話もそうなんだけど、太って胸がついたのはいいとして、どういう風に胸だけ残して痩せていったのか、そこがものすごく曖昧なんですよね。
雑誌を読めば載ってたのかなあ。ネットの抜粋記事だけ見たのがいけなかったのか。
まあ今更そんなことどうでもいいのですが、とにかく、「激太りして胸をつける → 痩せて胸を残す」というやり方は有効らしいということで、トライしたい方は是非やってみたらよいのではないかと思います。
十代のうちに。
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by teri-kan | 2015-04-23 14:35 | その他 | Comments(0)

思えば「あまちゃん」は現代劇だけど絶妙だった

「マッサン」の最終回を見終わった後、「ああ、このドラマはファンタジーだったんだなあ」と思ったものでした。
主人公夫婦には困難もたくさんあって、しかもそれらはリアルなものばかりだったのですが、なんていいますか、普遍的な困難はイヤミにならないとでもいいますか、物語として美しかったですね。
成功物語だから下手すれば作り物臭の強い作品になりかねなかったと思うのですが、実在の夫婦がモデルという確固たるリアルが中心にあったからこそ、悪人が登場しない美しすぎる話でいいバランスになっていたのかもしれません。
実在の人物をモデルにした朝ドラは成功したものが多い印象があるけど、現実と虚構の組み合わせがやりやすいのかな?
嘘にならない作り物を上手く作れてるような気がします。

こういう「マッサン」を見た後に「まれ」を見ると、「まれ」は現実が強すぎて結構辛かったりします。
今日も腹黒い嫁と孫の同居話で、こういうのってちょっとしんどい。我儘な移住者もいるし。
根性の悪い登場人物って、そういえば「マッサン」だけじゃなく最近の朝ドラにはほとんど出て来なかったよなあ……。
「おひさま」みたいに上品なだけじゃ、これまた「ウソくさい~」ってなるんだけど、でも楽しく品の良いしらじらしくない作り物を望むものとしては、今の「まれ」は辛いかな。

そういう意味で「あまちゃん」はその辺のバランスが現代モノとしては絶妙だったなあと、振り返ってみて思います。
東日本大震災という現実が底に流れていたからこそだろうと思いますが、にしても現実とコメディの組み合わが上手くはまって、とてもいい物語になっていました。
描かれているのはやっぱり普遍的なことなんですよね。
こういうのは歴史に残っていくのだと思います。

あ、別の意味で「純と愛」はファンタジーだったかもしれない。
極悪ファンタジーだけど。
リアルのない物語を展開だけで見せていこうとしたドラマでしたよね。
あれはあれでああいうのが存在したというのがすごいことなのかもしれません。

まあとにかく、「まれ」には明るく頑張ってもらいたいものです。
明るくといっても明るさの押し付けにならない程度に、品良く。
今ちょっと微妙なんで頑張ってほしい。




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by teri-kan | 2015-04-21 14:16 | 朝ドラ | Comments(0)

広島空港

ゴールデンウィーク前になんてことしてくれたんだアシアナ!

という気持ちでいっぱいのアシアナ航空の事故。
知れば知るほど「よく怪我人だけですんだな」という事故内容で、一歩間違えれば山ごと大炎上していたところでした。
乗客は不運でしたが、怪我だけですんで本当に良かった。
でも空港とその周辺の損害はただ事ではない……。

事故機の機長、今どこで何をしてるんですかねえ。
気になって調べてみたら、なんか変な話ばかりがネット上に転がってて、うーん、どうよ、これって感じ。
アシアナが信用ならん航空会社なのはサンフランシスコの事故でも明らかなのですが、こうも同じようなのが続いて、しかも機長の技量と責任感がやっぱり怪しいとなると、もう関わり合いたくないと言うしかありません。
とにかく、機長の聞き取り調査を一刻も早く行って、事故原因の究明と、空港の完全復旧を全速で成し得るよう頑張ってもらいたいです。

で、ニュース等で言われている通り、確かに広島空港は山の中にあって霧が出やすいのですが、海岸にある空港と比べて霧の程度ってどのくらいひどいんですかね?
広島空港が開港して20年以上たつけど、これまで事故とは無縁の空港だったんで、こちらとしては今更ながら「え?そんなに難しい空港だったの?」という感覚なのです。
難しい空港と言われると、例えば香港とか、ああいうのを想像してたんで、まさかそこまで広島が難しいとは思ってもいませんでした。
まあ確かに夜は周りが山ばかりなんで、とてつもなく暗いというのはありますが。
そういうので見えにくいと言われれば、まあそうかもしれませんね。
「でもパイロットはプロなんだしさ」と素人は考えるわけで、今まで無事故の空港だったのにいきなり「天候がー」「空港自体の場所がー」とか言われても、「うーん、そういう問題か?」ってなってしまうんですよねえ。

とはいえ、変わってる場所にあるなあとは思います。
山の上を飛んでると思ってたら、いきなり着地しますからね。
このいきなり感には慣れてても驚く時があります。
眼下に山を見て、平地を見て、ゆるゆる地上に降りていくという感じではないから。
海の上に埋め立てられた空港に着地するのとは確かに違いますね。

でも山の上には山の上の良いところもあったりするのです。
ネットで見かけた意見だけど、離陸直後に既に高度330mというのは、とても良いことなのです。
この空港の立地にはアクセスの問題でいろいろ揉めてきたし今も揉めてるんで、不満点や問題点の方が多い印象だったんだけど、少なくとも燃料節約になっているのなら、人に優しくなくても資源と地球には優しい空港と言えるのかもしれません。
効果がどの程度あるのかは全くわからないけど。

とまあ、事故が起こったせいでいろいろ考えたりしていますが、まずは事故原因の究明と再発防止の対策と空港の早期完全復旧をなんとかしてもらいたいと思います。
とにかく機長ですよ機長。
本当に、今一体どこで何を?
ネットで噂されてるような物騒なことは御免なんで、早くまともに事情聴取して下さい。
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by teri-kan | 2015-04-17 16:47 | その他 | Comments(0)

「出雲大社の謎」

瀧音能之著、朝日新書。

そういえば、出雲大社は縁結びの神社なのでした。
古事記や古代史本を集中して読んでると、そういうことが頭から飛んでいってしまうのですが、出雲大社は古代への興味を掻き立てるものであると同時に、ご利益を求める現代の一般人にも大いにありがたがられている神社なのです。

縁結びの神社として若い女性が数多く訪れる。
日本中の男女の組み合わせを相談するため、日本中の神様が出雲に集まる。
でも出雲だけが10月に神在月になるのは、実は古代からのならわしではなく、案外歴史は浅い。
浅いと言っても中世から近世のことのようだけど、でも出雲の歴史の長さでみれば超浅い。

出雲大社が日本で確固たる地位を築いたのに貢献した人達(御師)の記述なんかを読むと、人の努力なくして神社の繁栄はないんだなーと思っちゃいますねえ。
努力といっても、営業努力というか売り込みというか、悪く言えばお話捏造というか。
出雲大社のことを考える時、どうしても古代のスサノオやオオクニヌシ、国譲りばかりになってしまいがちだけど、信仰という面で考えればそれ以後の出雲も重要だよなあと、なんだか今更なことを思わされました。

といったように、これは出雲大社をいろんな角度から考えられるようになる本です。
日本海沿岸の地形と縄文時代の巨木文化の関係には「なるほどー」だったし、なんであんなデカい建造物を造ろうと思ったのか、その発想の源までこれまで考えることなかったけど、巨木文化の流れを汲んでると言われたら超納得というか、自然で無理がなく、そのことを思うだけでも当時の文化が急にイキイキしたものに感じられます。

出雲の歴史を出雲大社だけで見るのではなく、他の神社との関わり方やそれぞれの神事の変遷の仕方とか、出雲を多角的に考察するためのポイントがいろいろ書かれてあって、とても勉強になる本です。
事実と歴史と信仰と、出雲を知るための切り口は多岐に渡っていて、出雲を研究するって大変そうだなあと思わされたりもしますが、とりあえず出雲と出雲大社についていろいろ知りたいという方には、この本はとても良いものではないかと思います。
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by teri-kan | 2015-04-15 16:36 | | Comments(0)

幕末と松陰のパワーとしんどさ

昨日の大河ドラマ「花燃ゆ」はとうとう視聴率が1桁になってしまいました。
統一地方選の影響もあったと思いますが、1桁は「平清盛」以来ということで、残念ながらニュース扱いです。
確かに1桁はちょっと寂しいですね。

「平清盛」の時は、世間の評判は評判として、個人的には「実際に見てみたら楽しいよ」と、しょっちゅうブログで感想書いたり、人にオススメしたりしてたのですが、「花燃ゆ」はさすがに辛いかな。
やっぱり幕末ってしんどいですよ。
外国の圧力の絡んだ政治信条の戦いってお互い引きどころがないというか、行き着く先がどうしてもテロや暗殺というか、戦だらけの戦国と比べても、爽やかさに大いに欠ける。
なんだかんだで戦国モノは楽しいんだなあと、去年と比べて題材の重さに今更ながら打ちのめされています。
幕末は誰にスポットを当てようと、しんどさに変わりないですね。

最終的に長州は勝ち組なんで、幕末とはいえ案外気楽に見れるんじゃないかと思ってたんですが、実際はそんなこと全然なかった。
松下村塾シンドイ。
松陰先生、ホントしんどい。
文さん目線で見た松陰&松下村塾というドラマなら、血生臭さや猛々しさが少しは和らぐかなあという希望的観測は大外れでした。
長州藩士の妻や妹になって泣くドラマよりも、いっそ渦中に入り込んでしまった方が気は楽なのかもしれません。
やっぱり男主人公で久坂玄瑞やら高杉晋作らになりきってしまえるドラマの方が良かったんじゃないかな。
イケイケ松陰ゴーゴーと能天気に思えるようなドラマだったら……。
今時そんなドラマじゃそれこそ薄っぺらすぎてやめてくれって感じだけど、そうでない長州藩はなんだかしんどいばかりです。

幕末男子ウンヌンというコピーは、今では全く気にならなくなりました。
ていうか、はっきり断言するけど、あれは全く以て不要だった。
なんて言うかなー、たくさん男がいればいいってもんでもないよね。
この先もっとそれぞれの個性が立って皆魅力的になっていくのかな?

今後は塾生がどれだけ魅力的になれるか、それでこのドラマが持ちこたえるかどうかが決まってしまうと思います。
松陰死後誰がドラマを引っ張っていくのか、そこがカギかなあ。
久坂にほとんど期待できないので高杉には頑張ってもらいたいなあ。
伊勢谷友介が結構ハマっていて、本人が松陰にかなり傾倒してるからだろうけど、そういうのって結構ドラマを見ていてもわかるものだし、そういったパワーのある人が今後出て来てくれたらなと思います。

文さんは今でも悪くないので何も言いようがない。
井上真央の心がくじけないことだけ願ってます。
文さん役に意味を見つけ出せるとしたら、幕末の志士の妻として生きた当時の女性達の代表というものでしょう。
同じ幕末でも鉄砲持って戦った「八重の桜」とは違います。
あれは超特殊な例で、だからこそドラマの主人公にもなった女性。
でも文さんは本来主人公にはなりえない、その当時普通にいた女の人で、だから案外女優さんを選ぶ役柄ではあるのです。決してイヤミのあるタイプにはできない。
で、井上真央は確かに万人に受け入れられるタイプの女優なんですよね。気立てが良さそうというか。
だからくじけず頑張ってほしい。
なんか主役に決まった時からことあるごとに書いてる気がするけど、井上真央はこのドラマに関しては全く悪くないと思うので、主人公として視聴率の低さを嘆くことはしないでもらいたいですね。
低いのはもっと根本的な問題だから。
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by teri-kan | 2015-04-13 16:22 | 大河ドラマ | Comments(0)

粛々と

話題の「粛々」。

「上から目線」と言われたということで、官房長官は今後使わないことを決めたそうですが、「粛々」という言葉自体に「上から目線」成分があるわけではなく、地位が上位にある人が使うからそうなってしまうというのが多分正しいと思うので、今後使わないからどうなるってことでもないような気がします。

政治家が多用する言葉って、言葉本人にしてみれば結構不憫ですよね。
政治家言葉で真っ先に思い浮かぶのは「遺憾」だけど、抗議すべきことにも謝るべきことにも「遺憾」を用いるという、政治家にとって超使い勝手の良い言葉になっているため、一般人にしてみれば嫌悪の対象にもなってるという不憫さです。

まあ今ではそういうのにも慣れてきましたが。
年食ってくると言葉の裏にある政治家の思惑なんかも少しは察することができるようになるので、表面上の文言だけを捉えて脊髄反射的に腹を立てることは減ってきますね。
でも「粛々」は、言葉にとってはちょっと気の毒かも。

「粛々と」は、静かに黙々淡々と、という感じでしょうか。
「粛」の意味を見ると「静まり返っているさま」「つつしみかしこまるさま」とあるので、それが二つ並ぶとなると、いっそう静かに、いっそう畏まって、厳かに、といった意味合いになるのでしょう。
それだけを考えれば、「これのどこが上から目線?」となるのだけど、現実に「上から目線」と言っているということは、「自分が下にされてる」と思ってるということで、平たく言ってしまえば「バカにされてる」「ないがしろにされてる」と感じさせられているってことですよね。

多分「粛々と」の「粛」が言葉としてかなり強いからなんだろうなあと思うんだけど、厳粛、静粛、粛清といったように、「粛」には問答無用の静けさを強いるような雰囲気があって、国のトップにある政治家がこの文字を使うと、なんとなく触れられない感じになっちゃうんですよね。
「うるさく騒いでも聞かないよ、静かにやるんだから」とバッサリ断ち切られるというか。
きっとその辺が「上から目線」なんじゃないかなあ。
「粛々と」の裏には「意見受け付けません」というのが、なんとなく感じられるというのが。

そういうのとは別に、「上から目線」の理由に、もしかしたらこれもなるかなあと思うのが、「しゅくしゅく」という音(おん)。
これはもう、なんとなくだけど。
「しゅくしゅく」という音は、もしかしたら「バカにしてーっ!」という怒りを呼び起こすのかもしれないなと、ちょっとだけ思わないでもありません。

ちょっとだけですが。

どちらにしろ沖縄の問題はそういうレベルの問題ではないので、言葉についてはそこそこで終わらせてもらいたいなあと思います。
言葉狩りのようなことになってしまっては絶対いけません。




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by teri-kan | 2015-04-08 17:29 | その他 | Comments(0)

走る女の子

朝ドラ「まれ」について興味深いコラムがありました。

早くもハマる人が続出! 『あまちゃん』と『まれ』11の共通点

「あまちゃん」と共通点が多いから面白いという、よく考えたら「それってどうよ」という内容なのですが、共通点の第一にあげられていた「オープニングタイトルでヒロインが走る!」については、以下のように書いてあり、なるほどと思いました。

「なぜ「走る」映像は人を惹き付けるのだろう?
 考え出すと不思議だが、とにかく若い女性が走っている映像というのは
 見ているだけで元気をもらえる。」

若い女性が走っている映像が人を惹きつけるというのは、もう絶対に「究極の自由の象徴だから」ですよね。
走る女の子は「自由であること」そのもの。
だから朝ドラでは主人公の走る姿が印象深いシーンで使われる。
「あまちゃん」のラストではアキとユイが一緒に走ってたし、「マッサン」ではマッサンとエリーが手に手をとって未来に向けて走り出すシーンで終わった。
「花子とアン」ではラストシーンじゃないけど、花子と蓮子が文化祭から町に逃げ出すところが印象的だった。
あれは最も蓮子が自由だった時代の象徴的な出来事で、こういう風に走る女の子の姿に私達は自由や希望といったものを自然と感じるようになっているのです。

少女が走ることの自由さについて、初めて教えられたのは橋本治の「源氏供養」でしたが、このブログでも書いた通り、走る少女がいずれそれを許されなくなるというのは、今に続く女性達の問題として厳然と存在しています。
だからこそ走る若い女性の映像に惹きつけられるし、その瞬間の彼女達は確かに輝いている。
そして朝ドラにおいてはそれはものすごく大事な意味を持っていて、走る少女の対極として走らない年齢を重ねた女性という存在があって、それはたいてい主人公の母親。
両者のあり方や関係性の問題は、永遠のテーマとしてあり続けていると思います。

話はちょっと変わるけど、現在の駐日マケドニア大使は長く日本研究をされてきた方で、日本男性は寅さんや子連れ狼のようなさすらい人に憧れていると分析されていました。
日本女性については芯が強いと。
日本を支えているのは女性とも書いていたかな? 
とにかく、思いもよらなかった日本人論を披露されていて面白かったのですが、この「日本男性はさすらい人に憧れる論」は朝ドラにも割とよく反映されていると思います。

なんといっても現在の「まれ」のお父さんがそうです。
「花子とアン」のお父さんも音信不通だった時期がありました。
で、そんな夫を持つ妻たちは皆しっかり者です。
まれのお母さんも花子のお母さんもそう。
でもそうなると話はややこしくなってきて、「さすらい人」は日本男性が憧れるある種の理想像ではありますが、ではそんな男と、走り続けたい女の子の共存って可能なんだろうかという疑問が起こってくるのです。
そしてそれはどう考えても無理そうで、男はさすらうのを憧れの中にとどめ、女の子は夢を追って走ることを大人になって放棄するということになる。

「まれ」の面白いところは、主人公が小さいうちから「さすらい人」を嫌い、自分自身も夢に向かって走ることを既に放棄してるところなんですが、思えばこういう朝ドラは初めてで、でも朝ドラってそこの関係性のいろんなパターンをお話にしてきたドラマなんですよね。
かつては「つばさ」のお母さん(高畑淳子)のように、「母になっても自分の夢を追う女性」が登場したこともあるし(視聴者受けはよくなかったけど)、女性が夢を持つこと、夢を追い続けることが現実的に困難だからこそ朝ドラが支持されるというのは、結構あるんじゃないかと思います。

実はこの問題を考えるとどんどんディープになって、収拾がつかなくなってしまうんですよね。
でも走る女の子はそういうのを吹き飛ばしてくれる爽やかさがあります。
あれは結構、割と真面目に、絶対的な正義だと思うんですよ。
走る女の子はとても大事です。
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by teri-kan | 2015-04-06 15:17 | 朝ドラ | Comments(0)

ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 作品16 / プロコフィエフ

プロコフィエフのピアノ協奏曲です。
5曲あるうちの2作目で、作曲されたのは1912年末から1913年4月。
初演は第一次世界大戦開戦の前年になります。

実は今秘かにピアノ協奏曲がマイブームで、これまであまり聴かなかった曲を中心に毎日少しずつ聴いています。
で、今聴いてるのがこのプロコフィエフの2番なのですが、いやー、カッコいいですねえ。
こういう曲の感想って難しいし、説明しにくいのですが、凶暴だけど破綻はしてなくて、野生的なものを感じさせつつもモダンでオシャレ。
なんのこっちゃって感じですが、とにかくカッコいい。

素人まるだしの感想を書くなら、「映像的だなあ」ってところでしょうか。
フィルム映像の背景として流れてる音楽みたいです。
NHKスペシャルとかEテレのドキュメンタリー番組とかの。
20世紀初頭の革命や戦争を扱った「映像の世紀」なんていう番組に、いかにも流れてそうな曲です。

聴いていて思い浮かぶのが、どうしてもスクリーンに映し出されたモノクロ映像なんですよねえ。
帝政ロシア末期、あるいはソ連をフィルムで見てる感じ。
ショスタコーヴィチとかだと革命の只中にいる人間の息遣いが聞こえてきそうな生々しさを感じるけど、この曲はそういうものからはちょっと距離がある感じ。
激しいけどクールですね。

まあ他のプロコフィエフ作品でそういうのを感じたことはないので(ほんの僅かしか聴いてませんが)、だから彼の曲がそういうものというより、この曲がそういう感じだということなんでしょう。
抒情的でちょっとキュッとくるフレーズなんかもあったりして、それが物語っぽい雰囲気も出してたりして、うーん、やっぱり映像的ですよねえ。
大作ドキュメンタリー、ていうか、ドキュメンタリー風映画でもいいかも。
そういうのを音楽で感じさせる曲、というのが正しいかもしれません。

で、聴き終わって気付くのは、ピアノ曲を聴いてたみたいだったなあということ。
驚くほどオーケストラの影が薄い。
でもオーケストラがなければここまで劇的ではない。
案外良いバランスなのかもしれません。
とにかくピアノがカッコいいです。
聴きやすいと思うし、プロコフィエフに馴染みの薄い方でもオススメなのではないかと思います。
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by teri-kan | 2015-04-03 16:40 | 音楽 | Comments(0)