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「三種の神器 〈玉・鏡・剣〉が示す天皇の起源」

著者、戸矢学。河出書房新社。

本屋さんで「武内宿禰」本の隣に積まれていたので目に留まった本。
あれの隣になければするーっと見逃していたかも。
それくらい表紙が地味で、なんというか、一般人には手に取りにくい空気が漂ってます……。

が、中身は面白い。
天皇家と三種の神器の関係は想像してたよりはるかに複雑怪奇で、これはもうミステリーなのです。日本最大のミステリー。
歴史の下に埋められた真実っていろいろあるんだろーなーってワクワクしちゃうくらい謎だらけで、いやー、本当に面白かったです。

そうですよねえ。日本人って恐ろしいものほど丁寧に神社に祀ってますよねえ。
大事にしてるってことはそれだけ恐かったってことで、そんなに八咫鏡(やたのかがみ)が恐ろしかったのかあと考えると、単純にご先祖の鏡だから厳重に祀っただけとは言えなくなりますよね。
八咫鏡について語るなら当然伊勢神宮の成り立ちにも筆は及んで、となるとこれまた伊勢神宮って謎だらけで、まあよくも現代まで謎が謎のまま残ってたなと感心するんですが、ホントにね、全国各地に神社があるおかげで文字資料に乏しくてもこれだけ古代のことを推測できるのがすごいというか、撃ち滅ぼした敵こそ魂を鎮めるために祀るというやり方万々歳ですね。

実は神器の中で最も知りたかったのは勾玉についてだったのですが、あれは魂の形だといわれれば、確かに幽霊と一緒にドロドロドロ~と出てくる人魂もそうだし、元は胎児の形からきているというのも、発想としてはありえるので納得できます。
あの形って人為的に型通りに作られているのに、なんか自然なんですよね。
人工物だけどどこかそれだけでもないように感じるのは、あの形を自然の形だと潜在的に認識しているからかな。胎児しかり魂しかり、何らかの根本だという感覚がもしかしたらあるのかもしれません。

この本は神話と真実の間の曖昧になっている部分にかなり踏み込んでいて、「ほおーそうか」と面白く思う反面、「こんなにはっきり解明しちゃっていいのかね?」という心配も出てきます。それどころか「謎が謎でなくなったらかえって面白くなくなるなあ」という思いまで起こったりします。
もちろん本作で書かれていることは数ある説の一つにすぎないのだろうし、これに反論してる本を読まないまま鵜呑みにすることはできないんだけど、しかしなんだかやけに説得力があって、なにやら決定版の如くに「大和政権の誕生これで確定!」みたいに思わされてしまいます。
いや、確定なら確定でいいんだけど、なんていうかなあ、やっぱり謎は謎のままでいてほしい気持ちがどこかにあるんですよね。国生み神話でドロドロかき混ぜたものがボトリと落ちて島が出来たとか、ああいうのにロマンを感じちゃう心のどこかが「全部わかっても面白くないよな」と感じてしまう。
でありながら「知りたい」と思う気持ちは止められないので、これ関連の本はこれからもいろいろ読むんだろうな。



ところで、本書は日本の剣を扱っているだけあって、大河ドラマ「平清盛」で清盛が使用していた剣にも話が及びました。
当然のことながらあの時代の日本人が宋剣を振るっていたことを歴史的・性能的にみてありえないと非難、それをドラマに取り込んだ製作者の意図も厳しく批判していました。
あのドラマの低視聴率の原因に剣や王家呼称問題があったのは初回から明らかだったのですが、私はドラマを観ている間はそれらは完全スルーすると決めていました。でないと絶対に楽しめないことわかってたし。
でもそれに触れないところでドラマを楽しんだとしても、その問題が存在していたことは変わりなくて、で、剣についてここまで研究されてる学者にあそこまで批判されるなんてさ、やっぱりNHKダメじゃんって感じです。

物って単に物じゃなく、歴史の積み重ね、人の思想の積み重ねの上に存在しているもので、歴史ドラマで小道具一つバカにできないのはわかってるはずなんですよね。ましてや剣のような重要品で歴史を無視した演出をするとか、「ドラマだから」で済ますにはちょっとたちが悪かったかもしれません。

本書に書かれている剣の歴史は面白いですよ。草薙剣の解説なんて「へええええ」の連続です。
鏡も剣も勾玉もそれぞれ読み応え十分で、古代大和民族の精神史の一端を知ることができます。

残念ながら装丁がちょっと地味というかマニアックなのがね……。
もう少し万人受けするようなものだったら手に取る人が増えるかも。
そうしたらもっとたくさんの人が読むと思うのに、そこだけがちょっと惜しいです。




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by teri-kan | 2013-01-29 13:48 | | Comments(0)

海の底にも都はありました

大河ドラマ「平清盛」、とうとう最終回を迎えました。
最後は駆け足というか、平家滅亡ダイジェストと言っても足りないくらいの走り抜け状態でしたね。
ここだけ見ると清盛の青年時代をもっと短くしていればバランス悪くならなかったのにって感じですが、これは平家物語ではなく清盛の物語なのだから、配分はまあ納得できます。

清盛は何をやった人なのか、武士の世を目指すと本人は言ってたけれど、そのセリフ通り武士の世を作った人なのか。
……ということを問われれば、それは残念ながら中途半端に終わって、結局のところ「旧体制を変えようとした人」「旧体制を壊した人」という評価に落ち着くのではないかと思います。
となればその旧体制をドラマ内で描くことは重要で、むしろそれをどこまでわかりやすく表現するか、清盛とどのように関わらせるか、そこがドラマの肝の部分だったんだなあと、振り返ってみて感じます。

武士には全く付け入る隙のなかった白河院時代、綻び始める鳥羽院時代、ガチガチの政治体制に徐々に食い込み、ついには位人臣を極める。
やはり最大の功績、というか清盛の見所はここで、あの麻呂麻呂しい貴族連中を好き放題できるようになるなんて、ほんの数十年前じゃ絶対にあり得なかったことだし、清盛が年齢を重ねていくにつれ古い体制が崩れていく過程は、一年通して観ていて本当に面白かったです。

朝廷の権力構造の描き方は難しかっただろうと思います。摂関家一つとっても、氏長者の意味とか、現代人はその言葉自体知らない人も多いし、天皇家のゴタゴタはかなり詳しくやったけど、摂関家内の争いごとは描ききれなかったし、ホント難しかっただろうなと想像するんですが、とはいっても旧体制の衰弱過程の説明にはかなり力を注いでいたことは感じられたし、ほんのちょっとのカットとはいえ麻呂達は終盤までちょこちょことドラマに出ていました。

と考えていくと、やっぱり弁慶の立ち往生と義経自害のシーンは不要だったなと。
シーン自体は良かったですが、ドラマのテーマ的には頼朝のナレだけで良かったのではないかと思います。
むしろ平家の都落ち後のお公家連中の反応こそ入れるべきだったのではないか。
高熱を発して死んだ清盛について「天罰が下ったのだ」と盛り上がる麻呂の描写は必須だったと思うし、京に入った木曾義仲を「田舎者の武士」と嫌う麻呂とか、「やっぱり武士は野蛮だ」と改めて陰険陰口を叩く麻呂とか、そういうのを描けば「こんなヤツラと清盛は渡り合ってたんだよなー」と改めて振り返られるし、旧体制を壊すことがどれだけ大変か思い知ることができるし、最終的には清盛の事績の確認にもなったのに。

忠清が清盛に進言したように、清盛の失敗は京システムの中で武士政権を作ろうとしたことにあると頼朝も理解していたのだから、義経が後白河院から官位を受けたら激怒するに決まってるんですよね。
で、このドラマで義経を描くならそこの部分だったよね。清盛が離れたかった腐った京都をとことん描いて、清盛と頼朝の境地に達してなかった義経の純粋な浅はかさを強調すべきだった。
そうすれば頼朝が武士政権確立のために血を分けた弟を殺した理由もわかりやすくなったし、清盛の失敗の原因と上手く絡ませることもできたのに。

ていうか、一年間そこを延々描いてきたんじゃなかったんかいー。

最終回では「一蓮托生」がキーワードの一つになっていたけれど、それと対応させるのが義経討伐だけでは足りないのも問題で、自分の死も語るなら子と孫が暗殺されたことにもナレで触れないと!
源氏は最後まで一蓮托生とは真逆の一族でしたって言ってこそ、清盛が生前さんざん言っていた「平家一門は一蓮托生」の言葉も生きるというもので、結局武士の世とは身内同士でさえ血を流し合う殺し合いの世であるという提示もできたのに。
武士の世なんて別に立派なもんでもなんでもない。頼朝の血筋は北条氏によって早々に断絶し、北条氏は足利氏によって滅亡し、その足利氏は殺し合いの極致の戦国時代を招く。
「武士の世を目指す」がテーマだったならば、頼朝をめぐる源氏の血生臭さはドラマ内で最後まで徹底的に説明すべきだったと思いますね。途中までは描けてたんだからさ。

なんかねえ、最終回はいろいろな意味でそれまでの内容とは違った方向を向いた作りになってしまいましたよねえ。

今の時代に清盛を取り上げるということで、こっちとしては清盛の再評価につながるようなドラマを作るのかなと思ってたんですよ。いや、そのつもりで作ってるなあとずっと観てたんだけど、なんでこう最後の最後でこうなっちゃったかな。
別に悪くはないけど、なんか中途半端に終わっちゃったよね。

最後はまさかの小兎丸。
結局清盛の夢が最も純粋な形で残ったのが船での交易ということで、唐突ではあるがそういえば清盛の原点はここだったのでした。
武士の政治と中国との交易がセットになって日本が豊かに富むのは結局室町時代まで待たなくてはいけなくて、さり気なく頼朝がナレでも言ってたけど、室町時代にならなければ実現できないようなものを平安末期に既に清盛は思い描いていたなんて、清盛はメチャクチャ先進性があって、時代の先を行っていた人だったとも言えるわけなんですよね。

時代の先を行き過ぎる人は大概嫌われるもので、実際清盛は日本史上に残る悪人として長年扱われてきたのですが、死後800年以上たってもいまだ嫌われ役を担っているなんて、もしかしたら日本人はいまだ彼に追いついてないのではないか。清盛は日本史上稀に見る大人物だったのに、800年以上たって尚まだ正当な評価を与えられていないのではないか。
……なーんてところまでドラマで訴えたら面白かったと思うんだけどなー。
というか、ヒーローとして描きたいと言ってたんだから、それぐらいヨイショしてもよかったんじゃないかと思うよ? どうせドラマなんだし。

まあ、馴染みの薄い時代なんで大変だったと思いますが、こうしてかなりふみこんだドラマを作ったことで、次への課題も目標も出てきたことと思います。
視聴者がこの時代を知らないから~、なんて言い訳は安易に戦国モノばかり作ってきた人達には言われたくないし、これからも馴染みの薄い時代をドンドン作ってくれと言いたいですね。
「平清盛」は問題も多かったけどチャレンジは見えたし、表現方法や演出に「?」なところも多かったけどテーマははっきりしていたし、いろいろな意味で見ごたえがありました。

なんにしろ一年楽しませてもらいました。
皆様お疲れ様でした。
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by teri-kan | 2012-12-25 13:39 | 大河ドラマ | Comments(0)

成り上がりの権力者

なんかねえ、今週の「平清盛」の清盛ねえ、実のパパもビックリのスーパー暴君でしたねえ。

こういうの見てると成り上がりが最高権力者になるのって恐いなあと思う。
生まれつきの権力者は上に立つ者としての責任を幼少時から叩き込まれるものだけど、それを教えられていない人って、上に立っても結局やりたいことだけをやるってことにしかならないのかな。アフリカやアラブの独裁者なんか典型だけどさ。

上の人がずっと同じってのは社会が硬直化するからダメで、でも上の人しか上の責任がわからないとなると簡単に上を排除すればいいって話にもならなくて、……と考えていくと、いろいろな政治体制を歴史で経験してきた日本が辿り着いた今の象徴天皇を頂く国の在り方は、もしかして結構ベストに近い形?
天皇陛下の背負ってる責任って想像を絶するくらい重いと思うし、他の誰かが担えるものでも決してないし、まあ、清盛だってとりあえず帝を奉ってはいるけど、なんていうかなー、天皇の存在って本当にユニークというか、天皇って何かをする立場ではなく天皇であること自体が仕事という、そこんところの役割の歴史的変遷みたいなものは、じっくり勉強したら面白いのかもしれないなと思います。



んで、武士の世です。
今週のタイトルは「頼朝挙兵」。
いかにも武士! 武士の時代キタキタって感じのタイトル。
真に暴力がモノを言う時代の到来です。

昨夜NHKの「歴史秘話ヒストリア」で頼朝を扱っていたんだけど、いやあ、やっぱり野蛮だわ、源氏。野蛮にもほどがある。
源氏の魂って何だよ、ただの野蛮じゃんって感じ。
北条氏はもっと野蛮だわ。つーか鎌倉武士の血みどろを観てて思ったんだけど、ローマ帝国崩壊後にゲルマン人が野蛮に活動してた頃の雰囲気になんか似てる? 兄一派だか弟一派だか、王一家が夕食をとってるところにワーッと押しかけてワーッと殺して、ワーッと王妃を塔から放り出してはるか下の川に落としたってやつ。ブルグンド族だっけ? なんかあの話を思い出しちゃったよ。
野望のためには一家皆殺しなんてへっちゃら、女子供も殺してしまえ~。
……野蛮だよねえ。

清盛は何を思って「武士の世をめざす」と言ってたのかなあ。
武士が権力層になるってこと、あまり深く考えてなかったのは確かっぽいよね。ていうか、そこまで想像することなんて無理に決まってるか。幕府の到来なんて思いもつかないし、そう考えるとこの後の歴史はすごくて、結局大政奉還まで続いたんだから、すごいですよね、武士。

武器を常時携帯している人間が支配者って思いっきり軍事国家で、フツーの一般庶民からしたら物騒極まりないです。江戸末期の土佐なんて「龍馬伝」見てたらサイテーだし、武士の世ってさ、武士の世って……なんなんだろうね。殺し合いが普通であるという社会は血なまぐさすぎですよ。殺して奪った権力は殺されて奪われるってことを何度も繰り返して、血塗られてるなあって思います。
平家は海の藻屑、源氏は頼朝の息子達を暗殺され、北条氏も最後は一族郎党自刃で滅亡。でもその中でも平家は殺して権力を奪ったわけじゃないんだよね。とりあえず清盛は合法的に(という言い方も変だけど)太政大臣になったんだ。

権力者に成り上がった後の清盛はいただけないけど、際立った悪人扱いされるのはやっぱりちょっとと思うな。
殺し殺される方がドラマチック~みたいなのって、確かに後からみたら物語的で人気出るけど、野蛮なことには変わりない。
もしかして殺して権力を簒奪していた方が清盛の人気は高かったりして? なんてことを想像してしまうくらい、武士は殺して殺されてナンボなところがあるような気がします。
確かに清盛は当事の人にも後世の人にも好かれる要因がまるでないもんね。
なんだかいろいろと損してるなと思います。
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by teri-kan | 2012-11-29 14:38 | 大河ドラマ | Comments(0)

そして暗黒面へ

大河ドラマ「平清盛」は、今まさしく「驕る平家」。
後白河院という重石を排除してからの清盛は、欲望全開のエロジジイとなってしまいました。

ジジメイク、頑張っています。
薄汚い顔にキンキラ衣装が素晴らしい。
グロテスクですね。外見と行動がしっかりと清盛の心を表現していて、まさしく破綻の道、滅亡への道を造成中、時忠の「弔い」の言葉が身に沁みます。

京都をいかにして切り捨てるか。
武士政権確立の肝はここにあるんでしょう。
だから清盛は福原に固執するし、帝や上皇の福原行幸に固執する。
でも清盛一代でやりきるにはあまりに性急すぎる。
本来なら二代三代かけてやるべき事業なんだけど、清盛はそこまで待てなかったんだな。もしかしたらそこまでの信頼を息子達に持てなかったのかもしれない。

遷都には膨大なエネルギーが必要で、歴史を振り返れば桓武天皇の平安遷都もとてつもない労力と犠牲が伴いました。しかしそれ以前の遷都と同様、主導したのは天皇自身で、遷都のためのエネルギーを絶対的権威が生み出すことは可能でした。
残念ながら清盛、というより平家には権威のケの字もなく、周囲を巻き込む遷都エネルギーを発生させるには清盛個人の急ごしらえのカリスマに頼るしかない状況。
だから清盛はそこを確固たるものにしようと頑張る。そのためのあの数々の振る舞いなのです。
清盛には逆らえない。清盛が言えば白も黒になる。清盛が全て正しいのである。
全ては権威づけのため、福原を都にするためです。

もちろん老いを意識したからこその焦りも存在したでしょう。
早いとこやるべきことをやっておかないとという気持ちと、実際に老いているという現実。
柔軟な考え方が既にできなくなっていますね。視野がとても狭くなってるなあと思います。
重盛が生きていたらどうだったのか、生きていたらそもそも清盛はこんな風にならなかったのか、という疑問は浮かびますが、どちらにしろデカすぎるカリスマの後を継ぐ二代目は大変の一言。
生真面目な重盛は父に振り回されて胃を痛め、宗盛は父の権威をかさに着るアホぼん。有能な息子はそれゆえに自滅し、無能ゆえに周りが見えない息子は気楽に生きのびる。(最後は斬首だけど。)
カリスマの息子が偉大なことを成し遂げるのは至難のわざということかもしれません。

清盛は暗黒面に落ちたというより暗黒を自らの周りに作り上げたような感じで、だからこそ自分は変わっていないと思うことができるという、ちょっと恐ろしい状態にあります。
絶対権力者の気持ちは絶対権力者になった者でしかわからないのだろうから、今こそ清盛には実の父・白河院のことを思い出してもらいたいですね。孤独をわかりあったらいいと思います。

そして肝心の宗盛。
全く期待できない……。
完成されなかった昔の遊び道具に何を思ったのかといえば、あの調子だとろくなことじゃないのは明らか。あれは屈辱だった時代の象徴、朝廷にいいように使われていた犬時代の象徴で、「今のオレたちは違うもんねー」という思考にしか辿り着いてないような気がする。

うーん、根が「持たざる者」というのは清盛も宗盛も同じかな。
武士が権力を持つ、それを行使するというのは、かくも難しいことなんだなあというのが今のところの感想ですね。
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by teri-kan | 2012-11-21 13:34 | 大河ドラマ | Comments(0)

そこからの眺め

大河ドラマ「平清盛」。
後白河法皇が幽閉され、とうとう清盛は国の頂に立ちました。
こういうクーデターを見せられると、やっぱり武家だなあと思いますねえ。
まぎれもなく軍事力にモノを言わせた権力者です。

良い悪いは別にして、これをやっちゃった清盛は確かにすごいかもしれない。
清盛あっての源氏の最終的勝利というのは正しんだろうけど、どっちかと言うとより苦労したのは清盛の方で、しかもその苦労がちょっとばかしわかりにくいのは気の毒かもしれない。
古い体制を引っ掻き回すことを常識知らずの不敬ととるか、価値観に縛られない画期的出来事ととるか、そこの違いは大きくて、歴史的評価で言えば平家はずっと「驕る平家」と断じられてきたけれど、それはやっぱり偏りすぎた見方だと思いますね。
いや、清盛が今回やったことも無茶苦茶なんだけど、じゃあ歴史上稀に見る悪事なのかと言われたら別にそうではないし、じゃあなんで清盛がこうまで嫌われてるかっていったら、初めて天皇家&公家政治にたてついた人だからってことしかないんだよね。
まあ、もうちょっと上手いやり方があったのかもしれないけど、それを後から言ってもね……。



今週は重盛と盛子が死んでしまいました。
今だってそうだけど、昔はとにかく長生きしないとダメなのです。早く死んだらそれだけで負けなんだ。
で、ドラマ観ててずっと思ってることなんだけど、なんで後白河法皇は長生きしたんだろう。
この人が自分の兄弟や子供達並の寿命しかなかったら、この時代の歴史ってもっと変わってたはずですよね。
ホントに、この人が早くにいなくなってたら平家も源氏もどうなってたかなあと、どうしても考えてしまいますね。

で、ドラマのゴシラカワくんについてですが、彼はホントにどーしよーもなさすぎる人です。
今にも死にそうな重盛にあんな仕打ち。
重盛……可哀想に。

これまでずっと重盛は胃に悪い人生を送ってきましたが、病気も胃潰瘍でしたっけ?、ボロボロの病みやつれた状態でも法皇様のお相手を務めて、最後まで胃に負担のかかる人生でありました。
懐かしの重盛お子様時代が回想で出てきたけど、結局そういう星回りだったんだなあと諦めるしかないのかな。最初から清盛と後白河院の間で翻弄されるさだめで、いやあ、ホントに胃に悪そう。
アレとアレの間に立つんだよ? まっぴらごめんの人生ですよ。

と考えると、「とく死なばや」の言葉はかなり重いです。清盛、ホントはここで一端立ち止まってちょっと考えるべきだったんじゃないかとさえ思います。
でも考える猶予を与えなかったのは後白河院で、なんていうか、ホントに後白河院は後白河院なんですね。

そして清盛も清盛で、そこからの眺めなんてさ、結局何もないだけなんだよ、ホントに。
立ちふさがるものがない景色なんだから、本当に何もないんだよ。
で、何も見えなくなった人間が何をするのかという話にこれからなるのかな。

辛い展開になりそうですねえ……。
ブラック清盛、たくさん見ることができそうで戦々恐々です。
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by teri-kan | 2012-11-14 14:05 | 大河ドラマ | Comments(0)

流罪もいろいろ、死に様もいろいろ

今週の大河ドラマ「平清盛」、鹿ケ谷事件の罪を問われて西光は斬首、成親は備前へ流罪となりました。
これまでドラマに出てきた主な流人は崇徳院、頼朝、京に復帰した時忠といったところですが、この3人が当地でそれなりの扱いをされたのと比べ、成親の流人生活は悲惨極まりないものでした。

というか、最初から殺す気まんまん。
仕方ないとはいえ悲惨だなあ……。

吉沢悠、迫真の餓死演技です。
ボロボロの吹きっさらし牢がいいですね。囚人同様何の手入れもされてません。
蝉が入りっぱなしの荒れ屋、暑い盛りに食事なし。
せめて水くらいは飲ませてもらえたのでしょうか。
脱げばいいのに格好をきちんとしたままだったのがなんとも哀れです。

色白で柔和な面相のお貴族様の死に際に、なぜか力を入れる「平清盛」(苦笑)。
思わず頼長を思い出しましたよ。あれも悲惨だったよなー。
武士が戦死したり斬首されたりするのは職業柄仕方ないので、彼らのそういったシーンに思うことはそう多くないんだけど、普通の貴族の場合はそういうわけにはいかなくて、正直言って興味津々、どういった様子で死んでいくんだろうとか、どういう顔を見せてくれるんだろうとか、実はかなり期待してました。
そういった意味で頼長の死も成親の死も、このドラマは期待に大きく応えてくれたのですが、いまだに残念に思うのが信頼の斬首シーンがなかったこと。
信頼がどんな風にあがくのか、死に恐怖するのか、すごく見てみたかったのに、サラッとスルーされちゃいましたからねえ。
斬首が残酷だからやらなかったのか、山本耕史や吉沢悠のように美しくないからか、六条河原のセットはお金がかかるからか、映像にならなかった理由はわかりませんが、お貴族様の斬首ってすごいことだし、できれば見てみたかったです。
こんなこと書くと残酷な人みたいだけど、実際にそういうことがあったのは確かだし、グロい演出ではないドラマ的表現で見てみたかったなあと思います。



清盛はとうとう東宮の外祖父に。
実質的な臣下としての最高の地位に君臨しようとしています。
この東宮が後の安徳天皇。
壇ノ浦がそう遠くない未来になってきました。

赤ちゃん安徳天皇のかわいらしいお顔をTVで眺めながら、「これでドラマに出てきた赤ちゃん何人目だろう?」と思ったんですが、ドラマ内で出てきた歴代の赤ちゃん、みんな全て違う赤ちゃんなのかな。そうだったらすごいですね。
このドラマは子役の数もすごくて、最初から最後まで子供がわらわら。
彼らも一人一人俳優が違うんでしょうか。
このドラマは小さい子供から大きい子供まで、お子様がたくさん出てくるドラマだなあという印象も強いですね。
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by teri-kan | 2012-11-07 11:30 | 大河ドラマ | Comments(0)

鹿ケ谷事件とブラック清盛

どこから来たのかわからん男。

これを言われると清盛はツライなあ。
「オレは誰なんだーっ!」で少年時代さんざん苦しみましたからねえ。
ここをえぐられると清盛のネジはピョーンと外れてもしょうがないし、多分西光はこの辺の事情を信西からそれなりに聞いていたな。そうとしか思えない傷のえぐり方だ。

西光の言ってることはいちいち尤もなんですよね。
清盛のやってることは日本中を振り回していて、何を隠そう一番振り回されているのは平家一門で、おそらく真の意味で清盛についていけてるのは少年時代の彼を知る盛国(鱸丸)だけで、まさしく「どこから来たのかわからん男が人とは違うところで人と違うものを見ている」状態。

人と違うところで人と違うものを見てるというところだけ言えば、まさしくかつての白河院。というか、他に並び立つもののない権力者そのものです。
で、西光の言う「復讐」にしても、自分を捨てた実の父以上の権力者になることが復讐と言えばそうだし、武士が頂に立つことが社会への復讐と言えばそうでもある。
しかしそれを他人が言っちゃあね。
西光、それはちょっと清盛を馬鹿にしすぎてないか?って感じです。

あそこまで西光を足蹴にしたのは西光がこれ以上ないほど清盛を馬鹿にしたからで、「あー、西光は心の底でずっと清盛を蔑んでいたんだなー」と思わずにはいられなかったです。
西光は保元の乱から武士をいい使い走りとしか捉えてなくて、武士をいいように扱っていたのは彼の師・信西がまさしくそうだったんだけど、時が流れて時代は変わっても結局西光はあの時から全然変わってなかったってことなんでしょうね。
んー、やっぱりちょっと頑なな人だったかな。



西光が清盛に文句を言い続けている時って西光の顔はほとんどTVに映らなくて、それがかえって清盛にとって図星っぽくてよかったと思います。
西光の顔が見えていたら、多分彼の私怨が表に出すぎて焦点がぼやけたでしょうね。

あの場面と頼朝が武士の誇りを取り戻す場面が重なるのもわかりやすかったです。
武家が政権を担うことを全く歓迎されてない事実を明らかにされ、武士であることを今なお馬鹿にされ、しかし自らのアイデンティティを武士であることに求めざるをえないジレンマを抱える清盛と、シンプルに武士として生きることを取り戻した頼朝。
公家と折り合いながら政治を行っていくことの限界が露呈されつつある今、大雨の後の伊豆が眩しかったです。

もしかして頼朝は初めて笑った?
「おおー笑顔だー」と、妙に驚いた今週の大河ドラマ「平清盛」でした。
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by teri-kan | 2012-11-02 14:56 | 大河ドラマ | Comments(0)

滅びの言葉

といっても、「バルス」じゃなくて「面白うないのう」ですが。

まあ、滅びの言葉っていうより……呪いの言葉?
自らに呪いをかける言葉ですね。
これを発した人間は遠からず破滅するという、強力な呪文です。



大河ドラマ「平清盛」、とうとう成親がこのセリフを吐いてしまいました。
ああ、なんだか丸い顔が懐かしい。
そういえば信頼って人、いたなあ。

このドラマは「面白き世を作る」というのが大きなテーマの一つなんだけど、清盛が自らにとっての面白き世を目指せば目指すほど、それが面白くないと思う人間は次々出てきて、結局清盛の前にバタバタと倒れていく。
権力闘争ってことなんだろうけど、だから「面白うないのう」は負け台詞なんだな。
吐いたもんが負けなんだ。

側近は負け確定の雰囲気ぷんぷんだけど、後白河院はそうではなくて、なんだかね、今週から松田後白河がユル・ブリンナーに見えてしょうがない。
「王様と私」、エトセトラ、エトセトラ、エトセトラ~。
権力欲むき出しにして表情メラメラさせてたからですかねえ。
やけにイキイキして見えましたねえ。



昨夜NHKのEテレで鴨長明を扱った番組があったんだけど、彼の無常観についての出演者それぞれの見解が面白かったです。
昨日と同じ日が明日も来ることが幸せであると普通の人は考えがちだけど、それは普通のことじゃないとか、明日は常に新しい別物の明日だとか、聞いてて大河ドラマ「平清盛」の頼朝を思い出さずにいられないことがちらほら出てきました。

頼朝は今伊豆で「昨日と同じ今日、今日と同じ明日、明日と同じ昨日」を生きていて、流れてない川の上で停滞してるんですね。
川というより池? 人生はゆく川の流れだけど、頼朝はもうずっと長い間流れることなく同じところに留まっているんです。
停滞してるから実は今現在は無常な状態じゃなかったりするんだけど、でもそれじゃ生きてることにならないわけで、実際ドラマ観ててもわかるけど、今の頼朝は生ける屍。
彼が再び流れる川に身を投じ、生きるということをするにはもう少しかかるんだけど、まあ川に流されれば岩にぶつかったり渦に飲まれたりいろいろ失ったり、たくさん苦しい目にもあったりするのですが、でもそれこそ生だとなれば、無常と生はまったくもってセットなのだなあと、今更のように思ったりするのでした。

頼朝を川へ引き戻すのは政子ってことでいいのかな。今はまだ頼朝の周りでばたばた泳ぎながら止まってる水を動かしてるだけって感じだけど。
でも政子の言う通り、明日は自分次第なんだよね。どう転ぶかわからないそれは、やっぱり無常としか言いようがないけれど。



ひるがえって、「面白うないのう」。
よくよく考えたら、この言葉は確かに危険かもしれない。

うん、呪いの言葉になりうるかな。
上手く川の流れに乗れていない不平不満って誰にでもあるけど、それの吐露の仕方はちょっと考えた方がいいように思いますね。
成親の「面白うないのう」は愚痴にしては禍々しかったです。
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by teri-kan | 2012-10-22 15:53 | 大河ドラマ | Comments(0)

酒と歌謡と男と女

大河ドラマ「平清盛」はとうとう建春門院滋子が死去。
これを機に政治対立、陰謀、闘争……雰囲気が一気にきな臭くなります。
いよいよ平家滅亡ロードの始まりです。



「武芸もいいけど芸事もネ」というより、「むしろ芸事だよネ!」とばかりの平家の坊ちゃん方に、時代の流れを寂しくかみしめる白髪の目立ってきた忠清。
ところがどっこい彼の出番はこれからで、止まった的に向かってのんびり矢をつがえていた坊ちゃん達はこれから大変なことになるのです。

「戦の時代はもう終わったんだよ。これからはずっと平和なんだよ。歌と踊りの時代なんだよ」と、平和ボケの現代日本人に馴染みの感覚にどっぷり浸かっていらっしゃる坊ちゃん方。
誰が彼らを責めることができるでしょうか。
あの時あの状況では後白河院の五十の賀で青海波を完璧に舞うことが政治だったのです。酒をぶっかけられながら屈辱の中で舞いを披露した彼らの曽祖父忠盛も、維盛達の舞も、同じようなもんと言えば同じようなもんなのです。

とかやってる間にも西光と成親はふつふつと平家への不満を蓄積中。
登場したての頃は区別のつきにくい二人でしたが、今ではすっかりキャラも分かれて、理想主義者信西をスケールダウンさせた理想主義者西光と、典型的日和見腹黒お貴族様の成親といった感じで、それぞれいい味出しています。はっきり言ってメインキャラよりいいくらいです。
特に成親のお上品な陰険さ、ソフィスティケートされた腹黒さは好きですね。表情の一つ一つがいかにも腹に一物持ってるお公家さんで、イメージそのまんまの平安貴族です。

そんな彼らと平家の間をとりもっていたのが滋子ですが、うーん、最後までヘアスタイルに慣れなかったなー。
性格はいかにも松田後白河の好きそうなタイプでしたが、絶賛された美貌の持ち主といったイメージからはちょっと遠かったかも。
酒好き設定はいいのか悪いのか正直判断がつきにくいです。
一昔前まで女の酒好きなんて誉められたもんじゃなかったし、そもそも戦前までは(戦後しばらくもかな)女が堂々とごくごく飲める雰囲気じゃなかったみたいだし、土地柄もあるのかもしれないけど、家付き娘だった曾曾祖母はダンナより立場が上だったから女でもお酒をたくさん飲めたんだよって話なんか聞いてると、女の酒豪は昔は存在しにくかったんじゃないかなと思います。
でもドラマの滋子にとってお酒は清盛と後白河院をつなぐアイテムでもあって、酒を酌み交わして結びつきを強める象徴としての滋子、なんですよね。両者で酌み交わされた酒はイコール滋子なのです。
そこらへんの暗喩は手がこんでるなあというか一歩間違えれば無駄だよなあなのですが、意図したいことはよくわかるからまあいいか。
酒豪で天パって、国母のキャラとしてはやっぱりピンとこない設定だけど。



滋子を亡くして今様を歌う後白河院……それはまあいいんですが、院は歌は詠んでないのかな。後白河院は歌が上手くなかったらしいけど、滋子を亡くした心境を自分の言葉で詠んだりはしていないのだろうか。
自分の感情を正しく言葉にする、歌にするってかなり高度な技で、しかも文字数とか用法とか決まりもたくさんあって、そんなの平安人だからって誰でもできるわけじゃないよなあって感じで、でもそれでも発散したい自分の感情というものは普通の人間なら誰でも持ってて、そういう時に今様があったなら、確かにその歌に自分の思いを乗っけたいと思うでしょうね。
それってまんま現代人の歌の聴き方楽しみ方と一緒で、後白河院ってそういうところがすごく近しい感じがします。

で、本当に詠ってないのかな、滋子の死を詠んだ歌。
それとも詠んだはいいけど遺せないくらいに下手くそだったんですかね。
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by teri-kan | 2012-10-19 13:31 | 大河ドラマ | Comments(0)

弁慶の泣き所

弁慶の泣き所、アキレスのかかと。
ジークフリートの肩というのもあるんですね。
唯一の弱点という意味などで使われる言葉ですが、大河ドラマ「平清盛」では五条大橋での義経との出会いで脛をやられて苦悶する弁慶が見られました。

こういうのを外さずやってくれたりして、結構楽しいドラマなのですが、視聴率的にはいよいよ厳しいところにきているようです。
そんなに言われるほど悪くないと思うんですけどねえ。

と言いつつ、今更「弁慶の泣き所」について語る私も先週分をやっとビデオで観たって感じで、世間同様少々遅れをとっております。
この時期は行事やら旅行やらで時間通りに視聴するのが難しいんですよね。3連休だと特に難しい。

そういった事情に左右されやすいことがドラマとして強くないって証明なのかもしれませんが、でも内容自体は先週もそんなに悪くなかったと思います。
兎丸があんなことになって残念ではあったけど、現在でもよくある理想と現実の軋みのお話なわけで、そこら辺はきちんと表現できていたのではないかと思います。
綺麗なだけで政治家はやっとれんと言われますが、そういう難しさ、兎丸との対比でわかりやすくなっていたと思います。
清盛の思いそのものは理解できますしね。
言葉狩りみたいなやり方は絶対にダメだけどね。

でも権力者からしたら言葉狩りや密告制度みたいなものは、やれるならやりたいものなんだろうなー。いろいろと楽だろうし。
「平家物語」の禿(かむろ)の記述については真偽のほどが怪しいらしいけど。



にしても、清盛もえらくなったもんです。
三上鳥羽が生きてた頃がはるか遠い昔のようです。
あの頃は宮廷は宮廷として手の届かないところにあって、愛だの恋だのにうつつを抜かしてそれでヨシみたいな雅がありました。
水仙をボーっと眺めて「璋子……」。
なんだかんだでのどかな時代でした。

「大河ドラマ」とは名付けて妙といいますか、人生も時代も川の流れるが如くですね。
ホントに流れ流されてここまで来たなあって感じです。
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by teri-kan | 2012-10-15 16:45 | 大河ドラマ | Comments(0)