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「だめだし日本語論」

橋本治、橋爪大三郎著。
太田出版。

次々と本を出されているお二人の対談本。

「日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まった―
成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論」

と、紹介されている本です。




感想
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by teri-kan | 2017-06-23 10:18 | | Comments(0)

「たとえ世界が終わっても」

副題は、その先の日本を生きる君たちへ。
橋本治著、集英社新書。

時事問題を扱った橋本治の本を久々に読みました。
90年代から2000年代は読みまくってましたが、あの頃は執筆ペースも鬼のように早かったですよね。
ペースが落ちた時は心配したものでした。
まえがきで著者本人が体力の減少に触れてたんだけど、なんと、もうすぐ70歳なんですか。
自分も年くったんだから当然なんだけど、時は流れてますねえ。

まあそういったわけで、本作は橋本治がつらつらと書くのではなく、体力温存のために会話形式になっていて、質問をする登場人物が二人も出てきます。
これがなかなか効いていて、かなり内容を理解しやすい。
初めて橋本節に接する人にはおススメではないかと。
あっちへ飛びこっちへ飛びのウネウネ解説も、会話だととっつきやすいのではないかと思います。

肝心の内容ですが、扱っているのはEUと、EUを生み出したヨーロッパというもの、というか、ヨーロッパの経済事情かな。
それと絡めて日本のバブル時代。
バブル以前と以後の日本の違いと、その前を知ってる人間と知らない人間の違いについての解説。

知らない世代の代表のような質問者その1の青年くんは、私からしてみれば面白かったですね。
知らない世代の人間がどういう人間かということを、言葉遣いは柔らかくも冷徹に述べる橋本治に対して、自分が批判されてるように思ってしまうところが、んー、若いってことなのかな?
世の中の悪口を言ったら自分への悪口のように思ってしまう人って、まあ、いますよね。
社会と自分との距離の持ち方の問題なのでしょうが。
距離と言っても、脳内の話だけど。

天動説と地動説のたとえは面白かったですね。
社会と自分のどちらを中心に置くかというの。
この考え方で結構いろいろと社会で起こってることの疑問が解決しそうな気がします。
「心のない論理」と「心の論理」と「心のある論理」の話も、世の中の人達を理解するのに助かる解説。
こういうのを読むと、やっぱり橋本治はこの世に必要だよねと思います。
なんで世の中が上手くいってないのか根本から理解できますもん。

本書の内容は多岐にわたっていて、いちいち感想を書けないんだけど、全体的な感想となると、西洋的近代をきちんと振り返って反省するってことになるのかなあ。
これは私がここ数年ずっと考えてることでもあるので、私が自分のテーマに合わせてこの本をそのように受け止めたってことかもしれませんが。

でもどうすればよいかというのはわからない。
必要なのはよく言われる「身を切る改革」で、切るべきは既得権層の身なんですが、自分で自分を切りつけられる人ってのはいないから、必要な改革はきっと永遠にやってこない。
なのでタイトル通りずるずると世界が終わることになるのかなあと思うけど、たとえばフランスはバリバリのエリートを大統領に選んだけど、彼が自分とお仲間の身を切ることができたら、ちょっとは変わるかなあ? 
ガラリと変えることができなければEUはホントにもたないと思うけど、ドイツは自分の身を切れるかなあ、どうだろ。
過去を反省してるなら切ってみてよと思うけど、まあ無理ですよね。

「戦争の反省からEUを作ったのだ、平和のためにEUの促進は大事なのだ」という論調があるけど、今の状態は「平和のために中間層は貧困層化することを受け入れろ」って言ってるだけのことになってるから、さすがに額面通り「EUは人類の幸福のために必要」とは信じられない。
爆弾を使う戦争はやらないけど経済戦争にはこのまま突き進みますってことだし、普通の人々が不幸になるという意味では実はどちらもあまり変わらなかったりする。
「爆弾で死ぬのと仕事がなくなってのたれ死ぬのとどっちがいい?」って問われたら、そりゃ爆弾の方が嫌だけど、でも仕事ができないのは人間の尊厳に関わることだから、それで人として生きているといえるのか?という論争に進んだりしたら、ヤバイ方向に向きかねません。
EUはホントに岐路に立ってると思います。

本書もその辺ははなから期待してないっぽいのですよねえ。
未来は暗そう。
これってEUの話だけじゃないし、ホントに未来は暗い。

誰か何とかして下さい。



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by teri-kan | 2017-05-10 11:03 | | Comments(0)

「性のタブーのない日本」

橋本治著、集英社新書。

帯のコピーが全てかなあ。
「タブーはないが、モラルはある。」

タブーがないということは、人間の生理的にあまり無理してないということだから、ゲイが弾圧され続けた欧州の悲壮感なんかと比較したら、当然性的に明るく開放的で、そしてモラルがあるということは、開放的とはいえ人間関係を損なうような外れたことはしていなかったということで、「ん?これはとってもいいじゃないか」と、思ってしまいそうになる。

まあ、そんな簡単なものでもないんですけどね。
でも人間の本能や生理に無理ない生き方ができた日本人は、とりあえず幸せだったかなあと。
そんな性的に幸せノーテンキな人達だからこそ、自由な文化活動が行えてきたんだなあと。
そしてそれが現在の、とことんくだらないけどおかしくて幸せにもなれるサブカルチャーを生み出す原動力につながっているのかなあと。

早々にまとめっぽく書いてしまったけど、いやね、この本すごく面白いんですよ。
なので面白かったところを細かく書きたいんだけど、書くとどうしても下ネタばかりになってしまうというか、そのものズバリの単語をここに書くのはさすがに躊躇われるというか、当ブログの品位が落ちかねないというか(笑)、いやーそれこそが日本である、ありの~ままの~と歌うにふさわしい日本である、と言えば確かにその通りなんだけど、さすがにブログでそのままは書けないわ~、ということで、そういうのとは別に気付いたことをここでは触れておこうと思います。





野暮な長い感想
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by teri-kan | 2016-03-04 23:58 | | Comments(0)

「失われた近代を求めてⅢ 明治二十年代の作家達」

橋本治著。朝日新聞出版。

「Ⅰ 言文一致体の誕生」「Ⅱ 自然主義と呼ばれたもの達」 に続く、「失われた近代を求めて」の第Ⅲ巻にして完結編。
浪漫主義の詩人・評論家だった北村透谷を中心に、明治二十年代の文壇&夏目漱石を解説してくれています。

大変難しいです。
何が難しいかというと、引用されてる透谷の文章が難しい。
読むには読めるが意味を解するのが大変。ていうか正直解せない。
同じ文語体でも小説ならまだなんとかなるけど、評論は難しすぎる。だから橋本治の言いたいことも我ながらあまりよくわかってないような気がする。

だから感想書くのがためらわれるんだけど、ⅠとⅡは書いたのに総論について何も書かないのもなあ……ということで、頑張って書いてみる。





頑張ったら長くなった
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by teri-kan | 2014-11-21 00:01 | | Comments(0)

「失われた近代を求めてⅡ 自然主義と呼ばれたもの達」

橋本治著。朝日新聞出版。

「失われた近代を求めてⅠ」の続きです。ツッコミどころ満載の田山花袋再び。

今回主に取り上げられているのは自然主義の代表として田山花袋、島崎藤村、国木田独歩。
独歩はいいですね。とてもまともで安心感が漂ってます。
花袋は「日本人」。ヘンだけど、なんかしみじみ日本人だなあと感じる。
藤村はムチャクチャ。姪を孕ませて外国へ高飛びしたことに「はあ?」なのか、それをダラダラ小説にしちゃうことに「はあ?」なのか、自分でも判別つかないがとにかく無茶苦茶。

花袋がやたら日本人だなあと感じるのは、結局花袋の「蒲団」や作家としてのありようが、後の私小説として日本の主流になっていったからなのかもしれません。
が、本当にそうなのかどうか、自分ではちょっと判断がつかない。
花袋的なものが日本的に感じること自体が正しいのかもわからないし。
ただ、花袋や藤村の、今から考えたら「ナンダコレ」と言いたくなるような作品が、日本文学の成長に欠かせない通過儀礼のようなものだったとするなら、藤村は子供時代に一回かかれば終わりの「はしか」で、花袋はずっと抱えてしまうことになった持病といった感じかな。ちょっと変な例えだけど。

橋本治の説明は相変わらずウネウネしていて、年代すらあっちに行ったりこっちに行ったり。
とにかく細々と説明してくれて、日本文学の自然主義がどういうものなのか、文学史上の名称だけではなく、当時の明治の文壇の空気感から再現してくれてるようでした。
明治という時代の、文章表現しかり書かれる内容しかり、いろいろな面で新旧入り混じっていたカオス状態の当時を理解しなければ、なぜ日本的な自然主義文学が起こったのか、その内実はどういうものだったのか、理解することはできないってことなんでしょう。
実際本書で説明されてる自然主義は得体がしれない。自然主義と言うレッテル貼りはされているが、そのレッテルの貼り方そのものから考察する必要があって、貼り方以前に貼らなければならなかった状況の説明も必要であって、それならレッテル貼られた当の作品はどんなものだ?となると、書いた本人は「自然主義です」とは決して言ってなくて、じゃあ自然主義と言われてるものは実際どういったものなんですか?となると、花袋の変さだったり藤村の無茶苦茶さだったり、「牛の涎(よだれ)」扱いされるようなもので、じゃあ性的なものを書けば自然主義?となると、別にそういったわけでもないんだよねとか、そもそも日本はフランスみたいな宗教的タブーはなかったし、あるがままの人間の描写なんて昔からやってたじゃん、わざわざ真似しなくてもいいじゃん、ていうか真似してかえって混乱してなくね?とか、なんかね、明治の文壇って、ホントのホントにカオスなんですねー。

カオスを説明しようとするから、そりゃあ文章がウネウネにもグルグルにもなる。
でも説明しないと始まらない。
なんていうかなあ、俯瞰でみれば明治の自然主義は、例えばきちんとした紫色なんだけど、近付いてよく目をこらしてみれば、その紫は赤や青や緑や黄色や、さまざまな色の集合から成り立っているんですね。
で、確かに遠くからだと紫に見えるくらいだから赤や青がほとんどなんだけど、かといって例えばそこから黄色を外したら、遠くから見た紫の色は確実に変わってしまうわけで、いくら小さかろうが黄色の存在を無視するわけにはいかないのです。
どんなに小さくてパッと見気付かないような黄色でも、その紫色を説明するには黄色の存在は不可欠で、だから、橋本治は赤や青の説明と同時にその黄色がなぜあるのか、青や赤とどう絡んでいるのか、黄色だけじゃなくて緑も黒も、いちいち説明するのです。だからどうしても細々ウネウネとなる。

……ということなのかなと。
今回いつにもまして読みにくかった(特に前半)部分を思い返して、そんなことを思いました。
なんか今回は我ながら進みが遅かったなー。

でも、面白いことは面白いです。
藤村や花袋を読んでなくてもきちんと説明してくれるし、門外漢でも大丈夫。
今からⅢ巻が待ち遠しいですね。




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by teri-kan | 2013-04-25 11:51 | | Comments(0)

「浄瑠璃を読もう」

橋本治著。新潮社。

浄瑠璃とは人形浄瑠璃のことで、今でいう文楽のこと。
個人的に全く馴染みのない伝統芸能で、ストーリーを知ってる作品は皆無。
そんな超ド素人がこんな本を読んで理解できるのかって話だけど、橋本治だから理解できるだろうと思い購入。
浄瑠璃のことばかり解説されたら寝ちゃうけど、橋本治なら浄瑠璃を通して江戸時代に深く切り込んでくれるはずだし、実際内容は期待通りで、作品のストーリーも粘っこく(笑)説明してくれるし、全く浄瑠璃を知らない人にもオススメできるくらいの日本論、江戸時代の芸能論、庶民論になっています。

当たり前ですが、歴史は継続していて、戦国時代が終わって江戸幕府が始まったとか黒船来航で明治維新が起こったとか、時代の区切りはあれど流れは全てつながっていて、例えば明治に近代化を受け入れたから日本人は変わったとか、そんな簡単なものではもちろんなくて、江戸時代に培われた思考や価値観なんかは明治になっても当然人々の中に継続されている。
……なんてことをいちいち「なるほどなあ」と感じさせてくれます。
明治以後軍国化に突き進む日本の、出来るかどうかどうやってやるかより先に「まず覚悟を決める」ことを求める極端な性質が、実は江戸時代に出来上がったものだという解説にも「へえええ」でした。
価値観が固定化されてる江戸時代の、理屈のつけ方とかこじつけ方とか、日本人ならわかるわかるってところもね、ホントに日本人を細かく分析した本になってます。

にしても、浄瑠璃のストーリーって簡単に人が死ぬんですねえ。
江戸時代のあるべき形に合わせるためなら我が子の命さえ簡単に捨てるんだからすごすぎる。
本当にね、あっさりと死ぬんですよ、いくら死が身近な時代とはいえ人の命が本当に軽い。
でもこの本に紹介されていた中で一番観てみたいなと思ったのは一番ぶっとんだお話の「本朝廿四孝」。
他の話も無茶苦茶だったけど、これは本当にすごかった。
これこそジェットコースタードラマ?
振り落とされずに最後までお話についていくのが大変そう。

有名な「義経千本桜」には桜の季節がストーリーには全く絡まないそうで、なのになぜタイトルになってたり背景に満開の桜が使われたりしているのかというと、義経自身が桜だという捉え方を江戸時代の人達がしていたからだそうです。

ようするに「ベルサイユのバラ」みたいなもんですかね。
あの話だって別にバラが話に関わってくるわけじゃない。ていうか、バラはマリー・アントワネット自身のことで、例えば彼女がページにドンと登場する時なんかはバックにバラが書き込まれていたりする。
もちろんそれはアントワネットがカゴを背負ってバラを背中に生けているわけじゃなく、彼女自身を象徴するものとしての表現なわけで、義経の桜もそれと一緒だと考えれば、当時の人間にとっての義経のイメージも理解しやすくなります。
よほど愛されてたんですね。桜LOVEの日本人が桜にたとえるのだから、判官贔屓も納得です。


この本には8本の作品が紹介されていて、どの解説も面白いのですが、最もオススメするのは「冥途の飛脚」かな。
これがあの時代に書かれたというのだからすごい。近松門左衛門はやっぱり天才なんだ。
でも辛い内容です。人間社会のままならなさ、そこに生きる人間のままならなさがリアルに書かれていて、近松の作品は辛すぎて江戸時代では次第に上演されなくなったっていうの、わかるような気がします。
上演されなくなったからこそ芸能ではなく文学作品として評価されたなんて面白いですね。
ホント、読んでて初めて知ることばかりで、本書はとても楽しかったです。




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by teri-kan | 2013-03-01 13:39 | | Comments(0)

「失われた近代を求めてⅠ 言文一致体の誕生」

橋本治の近代文学論。というか日本文学論。文学史論。小説家論。といったようなもの。
朝日新聞出版社。

第Ⅰ巻とあるように、これはまだ続きます。そういう意味での中途半端さは確かにあるのですが大変面白い。
語る対象があちこち飛ぶのがいかにも橋本風で、言文一致体を説明するのに「古事記」と「日本書紀」、それから慈円の「愚管抄」、二葉亭四迷の「浮雲」「平凡」、そしてなぜか田山花袋の「蒲団」と、扱う作品も広範囲にわたります。

取り上げられた作品の内容と背景を語ってもらうと、なぜこれらを取り上げたのか意図が理解できるのですが、ようするに日本文学は、輸入した書き言葉と会話としての日本語とのぶつかりあいの産物で、日本語を文章化する際にそれぞれの作家に起こった葛藤について理解する事が不可欠なんですね。古代に導入された漢文、明治の西洋文学、話し言葉として何千年も日本人に語られ続けてきた日本語、それらが作り上げてきた日本文学の流れについての考察は、ホント、並みじゃなく面白かったです。



本作で最も大きく取り上げられている作家は二葉亭四迷で、それはこの本のタイトルからして当然なんですが、それでも一番面白く、というか笑いながら読んだのは田山花袋の「蒲団」についての考察。
橋本治の「蒲団」解説はこれだけでも人にこの本を薦めたいくらい素晴らしいんですが、花袋の内実を解く筆はともかく、「蒲団」の主人公に対するツッコミは、絶対ニヤニヤしながら書いただろうと思わずにはいられない程とにかく可笑しい。

実は私は「蒲団」は読んだことなくて、「若い女が使ってた布団に入って女の残り香を嗅ぐヘンタイ中年男の話」という認識しかなかったんだけど、その認識は今回少し変わりました。残り香を嗅ぐ行為自体は、まあよく考えたら普通にある行為で、むしろ「蒲団」のヘンタイ加減は、主人公の頭の中のあり様にあるんですね。それと、そのヘンタイ主人公と花袋との距離の近さに。
「蒲団」と共に解説してくれた花袋の「少女病」の主人公も、もうどうしようもなさすぎて頭がクラクラしそうで、ちょっとねえ、ホントに笑えるくらいどうしようもなかったなあ。

まあ、その笑いの奥に隠された花袋の真実を語るのが橋本治の目的ではあるのだけど、「蒲団」の主人公があまりに強烈すぎて、そしてその強烈さを語る橋本治の筆が面白すぎて、「蒲団」の主人公のヘンタイさの方が結局印象に残っているという、なんともいえない読後感です。


「蒲団」にしろ「浮雲」にしろ「愚管抄」にしろ、文学史の年表の中でしか触れたことのない作品がなぜ文学史上燦然と輝いているのか、日本文学史の捉え方の難しさの理由とか、橋本風解釈を本作はとても丁寧にうねうねと説明してくれます。
二葉亭四迷、はっきりいって名前しか知らなかった作家だけど、面白い人ですね。
「二葉亭四迷」「浮雲」「言文一致体」は三単語セットで習ったけど、ホントに単語以上の知識はなかったし、今回は本当に勉強になりました。

ここで疑問が一つ。
日本は作家の自殺者が多い印象があるのですが、外国人作家の自殺者ってどうなんですかね。やはり多いのか、それとも少ないのか。
外国人作家と比較して日本人作家の自殺者の割合が多いというなら、本作で指摘されている「蒲団」から始まる日本文学の不幸は、本当に不幸なものなのかもしれません。
なんかね、作家は自分の全人格をかけて作家活動に身を捧げないといけないっぽいんですよ。心の中のもの全部さらけ出して。
確かにこれはちょっとしんどいかもしれないな。

まあこの辺は第2巻に期待です。
早く出してもらいたいものだと思います。




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by teri-kan | 2010-05-27 09:35 | | Comments(0)

「TALK 橋本治対談集」

橋本治が自身の6作品について、それぞれ6人と対談したものを収めた本。ランダムハウス講談社。
6作品と6人の内訳は以下の通りです。

「短編小説」高橋源一郎
「ひらがな美術史」浅田彰
「小林秀雄の恵み」茂木健一郎
「窯変源氏物語」三田村雅子
「双調平家物語」田中貴子
「最後のあーでもなくてこうでもなく」天野祐吉

どれも面白いのですが、特に面白かったのは茂木健一郎との対談。
これは「小林秀雄の恵み」自体が刺激的で面白かったせいもあるのだけど、この先の橋本治に期待を持たずにはいられなくなる内容で、非常に興味深かったです。



「小林秀雄の恵み」は2007年発売で、主に小林秀雄と本居宣長について書かれているんですが、完全に理解しきれていない自分が言うのもナンだけど、すごいんですよ。
小林秀雄は本居宣長をどう見たか、を論じるため本居宣長本人を橋本治は論じるんだけど、そこで解き明かされるのは古代から続く日本の、日本たらしめている精神性で、これがやたら面白くて、そして橋本治が本居宣長をとても好きっぽいのが読んでて楽しかった。私も本居宣長のファンになりそうなくらいでした。

ですが肝心の小林秀雄についてあんまり理解できたとは言えなくて、で、そんな自分にこの「対談集」の橋本×茂木対談はうってつけだったのでした。小林秀雄という人についてちょっとはわかるようになったのです。
まあ、ほんのちょっとではありますが。
しかもここからもっと詳しく知りたいとも思わなかったけど。

でもこれから本居宣長について書きたいと橋本治が言っていたことには大いに期待します。
これは本当に楽しそう。



他の対談も面白かったですよ。高橋源一郎と天野祐吉のは橋本治の小説家・評論家としての考え方がわかるし、他のは日本と日本の文化についてたくさん語られている。
白河法皇が自分を光源氏になぞらえてたという話は面白かったですね。和歌の詠めない待賢門院のために源氏物語絵巻を作らせた説とか、和歌を詠まなくて他人とのコミュニケーションのなかった待賢門院はさぞ暇だったろうとか、とても楽しかったです。



とかなんとか書いていたら、タイムリーな記事発見。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100225-00000550-san-soci

この「対談本」の中にも、小林秀雄は書いたものより話したものの方が面白い、なんて話が出てくるけど、このテープもきっと面白いんでしょうね。




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by teri-kan | 2010-02-26 00:51 | | Comments(0)

「源氏供養」

橋本治の「源氏物語」評論、というかエッセイ。

私は社会人になってもいろんな先生の評論集を買って読んでたくらい「源氏物語」が好きだったのですが、なんで安くはない本を買ってまであんなに「源氏物語」について知りたかったのかなあと振り返って思うに、物語の底に流れる「何か」が知りたくて、紫式部が結局何を書きたかったのかが知りたくて、それでいろんな評論を読み続けてたのですね。
そしてその「何か」を教えてくれたのが「源氏供養」で、これ以降私の源氏評論あさりはパタリと止んだのでした。


「源氏物語」の何を知りたかったのかというと、結局ヒロイン紫の上はどういう人物で、この作品でどういう役割を与えられているのかということだったのですが、これがなかなか難しかった。

源氏に最も愛された女性として羨まれると同時に、最も不幸な女性として気の毒にも思われている紫の上。
彼女の不幸はいろいろあるのですが、最大の不幸はなんといっても生涯出家を許されなかったことで、当時の出家はイコール俗世を捨てる、即ち女を捨てるということだから、それが許されなくて不幸と言うなら、やはり彼女の不幸は女である事そのものということになる。

それはわかるのです。わかって、なおかつ「では女である事はどういう風に不幸なのか?」という事になると、掴めそうで掴めない。具体例は物語中にたくさん出てきて、その一つ一つにこちらもうなずくけれど、じゃあその背景にあるのは何かとなると、感覚ではわかるんだけど言語化できない。
紫の上は不幸で、しかし源氏とはある意味理想的な夫婦関係を築けてもいた。では不幸でもあり幸福でもあった紫の上とはどういう人かとなると、これもなかなかまとまらない。

橋本治はそれらを大変わかりやすく説明してくれて、しかも一言で言い表してもくれました。

「紫の上は走る少女だった」

もう目からウロコです。





続き
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by teri-kan | 2009-12-11 10:27 | | Comments(2)

「院政の日本人 双調平家物語ノートⅡ」

橋本治の「権力の日本人」の第二弾(講談社)。
前作が武士の登場した時代から遡って奈良時代までを扱ったのに対して、本作は古代から大化の改新、そして院政期以降について書かれています。

相変わらず大変な分量です。そして大変にわかりにくい。
院政期から鎌倉幕府開幕まで、わかりにくい時代をわかりにくさそのままに、わかりにくく説明してくれている。言ってみればこんな感じでしょうか。

わかりにくい時代をわかりやすく説明しようなんて気、この人にはさらさらないんだろうな。院政期の朝廷がグダグダなら、そのグダグダ加減そのままにグダグダと語ってくれるものだから、とにかくこっちも何やら複雑だがとにかくグダグダしてたのだけはわかった、という気分になれる。
頼朝はちんたら動いていて、平家もちんたらしている。細かな成り行きがいろいろあるとしても、とりあえずあの時代は実はちんたらしていたんだということを、読んでいてもう骨身に沁みて感じられる。
なんといいますか、橋本治のあっちへ行きこっちへ行きの書きっぷりが、あの時代の空気感をそのままに伝えてくれているかの如くなのです。

それでいながら反面非常にわかりやすい。これまで不勉強なせいもあるけれど、本作のおかげであの時代の流れを私はやっと理解することができました。
源平の時代の出来事はそれなりに知ってはいたのですが、一つ一つのエピソードが独立してしまって、関連性や時代の流れの中での位置づけとなると、実はよくわからないといったものが多かったのですね。
その点がかなりクリアになって個人的にはとても充実。いいもの読ませてもらったなーという気持ちです。

院政の内実もやっと理解できました。
元々平安時代自体は好きなのだけど、院政期はどうも好きになれなくて、男色にまみれていたことをどう理解していいのかわからなかったし、待賢門院を初めて知った時なんて(高校生の時だったかな)かなりショックを受けたものですよ。あれは乱れているのにも程がありすぎる。
そんなこんなで、これまで私にとってあの時代は、立ち入る気にもなれないほど欲にまみれたグチャグチャの、わけわからん時代だったのですが、橋本治はその辺さすがで、男同士のつながり方があれしかなかった時代というものを、私なんかにもわかるように懇切丁寧に説明してくれました。文書的におおっぴらに出来ない愛を行動原理にして皆がてんでばらばらに動いていたのだから、そりゃわかりにくいはずですよ。全体像を掴もうなんて至難の業。

日本人、変な社会を作ってしまったものですねえ。



本作を読んでいて、なぜ私が日本史の中でも古代から摂関政治全盛期までが好きなのかつくづくわかったんですが、結局本のオビに書いてある通りなんですね。それ以降は歴史の表舞台に女は立てないんです。まさしく男の時代になってしまうんですよ。
娘を后にして天皇を傀儡とする制度が良いとはいわないけど、その政治システムに女は不可欠で、だからこそ平安時代は女性が賑やかでした。「枕草子」も「源氏物語」も出来たし。
女の天皇を輩出した時代は言わずもがな。やっぱり私としては女が自分で行動している時代の方が好きだなあ。

でも男は男で大変だったんだということが本作でよーくわかったんで、これを機会に中断している「双調平家物語」をまた読み始めようかと思います。
実は三分の一ほど残ってるんですよね。そこからが正真正銘「平家」の物語だというのに。

一方で最初から読み直したい気分にもなっていて困る。
実は本作での中大兄皇子の評価にカンドーしちゃって、今無性に彼に会いたいんですわ(笑)。

いやあ、天智天皇、というか中大兄皇子、すごいですよ。
「院政の日本人」というタイトルで、院政期から源平時代の人物をあんなにあれこれ書いてくれたのに、一番印象に残ったのは中大兄皇子という、なんともいえないこの状況。



うーん、まあでも先にやっぱり残り三分の一かな。
後白河法皇の変さ加減を味わわなきゃね、うん。
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by teri-kan | 2009-09-03 15:02 | | Comments(0)