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「ラビリンス/魔王の迷宮」(1986)

奪われた弟(赤ちゃん)を取り戻すため魔王の迷宮に踏み込んだ少女と、少女が城にたどり着くのをなんとか阻止しようとする魔王様の物語。

活動的な主人公は美少女ぶりが印象的なジェニファー・コネリー。
スターでロックな風貌の魔王はデヴィッド・ボウイ。
ファンタジーだけど、結構シュールな、可愛いお話だけど、ちょっと切ない、なんとも不思議な味わいの映画です。

25年ぶりだか28年ぶりだか、超久々に観ましたが、やっぱり悪くないですよね。
ていうか、普通にいい映画。
ラビリンスの構造、風景、ゴブリン他個性的な登場人物、お伽話な世界観にほんわかします。

グラムロック時代からのデヴィッド・ボウイのコアなファンは、どうやら「ラビリンス」を黒歴史扱いしてるようなんですが、私は80年代からのファンだし、当時からこの映画は普通に好きでした。
ストーリーが楽しかったですし、音楽も楽しかった。
ただ、なんで出演したのかなあ?とは思っていました。
それこそキラキラしたグラムロック時代なら、キラキラした魔王も似合ってたのになあって感じで。

でも今回見直してみて驚きました。
当時はもうちょっとボウイが若ければと思ったものですが、今見ると若すぎて驚く。
ここ数年はずっと年齢を重ねた姿ばかり見てたし、特に今は病気を抱えた時期のビデオだったり写真だったりが表に出ているので、「ラビリンス」の魔王姿になんとも言えない感慨がわいてしまう。

今となってはボウイを見るための映画になってますね。
本来の魅力はとにもかくにもジェニファー・コネリーなんですが。

最後のフクロウさんが切ないです。
愛する女の子の願いを聞いてあげたのに、終わってみればなぜか手下や家来が女の子のお友達になって、自分は窓の外でぼっち。
悲しい。



ボウイのことを考えると、今でもぽっかり胸から何もなくなってしまうような感覚に襲われるのだけど、その感覚と、昔の映像を見て楽しむ感覚と、ちょっとまだ上手く整理できていないです。
いまだにボウイの肉体がこの世にないということが実感としてついてこない。
過去は過去で楽しめるんだけどね。
デヴィッド・ボウイのことに関しては、ちょっとまだ空虚な状態が続いています。




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by teri-kan | 2016-02-19 09:56 | アメリカ映画 | Comments(0)

「天空の城ラピュタ」(1986)その3

TV放送があるたび感想を書いているような(笑)。
「ラピュタって実際には滅んでないよね」と言われたせいで、またいろいろ考えてしまいました。

確かにエンディングでもラピュタはプカプカ漂って生きてますからねえ。
あのデカイ飛行石の結晶が存在する限り、「ラピュタは滅びぬ。何度でもよみがえる」のムスカの言葉は、ある意味正しいのかもしれないとは思うんですよね。
まあムスカにとってのラピュタは「バルス」で滅んでしまってますが。

シータのペンダントの石がどうなったかよく覚えてないんだけど、あれって壊れたっけ?
壊れてなければそのまま海に落ちたと考えることもできるわけで、となれば「ウッカリ魚が飲み込む → ウッカリ人間がその魚を釣り上げる」ということも起こりえるわけで、二度と人の手には渡らないとは決して言えないんですよね。
それが数十年後か数百年後か、いつになるかはわからないけど、「珍しい石を手に入れたので石の専門家に見せに行く → 幻の飛行石発見と大騒ぎ → 政府関係者も交えて調査研究 → かつて政府軍が壊滅的被害にあった事実との照らし合わせ」なんてことも、もしかしたら起こったりするかもしれない。

事件を知る軍関係者の生き残りはロボットに破壊された基地に残っていた数名ってところだろうから、ラピュタに関する有益な証言はないに等しいけど、ラピュタ絡みで軍が大打撃を被ったことは歴史的事実として記録されてるだろうし、まあトップシークレット扱いだとは思うけど、後の世でもシータの飛行石が人間の手に渡ることがあるならば、ラピュタに辿り着けるか否かは別として、ラピュタが争いごとの原因になりうる可能性は高い。
呪文の効力はなくなったとしても、飛行石が飛行石である限りは。

うん、結晶化された飛行石がある限りラピュタは滅びないというのは、ある意味正しいと思いますね。



というわけで、そんな飛行石を作り出したラピュタ族が建てた王国について、ちょっと長々と考えてみました。
バルス以後もラピュタは浮かんで存在しているというのは、結構おもしろいことだと思います。

長々しいダラダラ妄想
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by teri-kan | 2013-08-05 16:16 | その他の映画 | Comments(0)

「カイロの紫のバラ」(1985)

不景気で失業中の夫を抱えた主人公は、要領が悪いのもあって生活が全然上手くいってない。彼女の唯一といっていい楽しみは映画館に通って映画を観ることで、そんな彼女がある日信じられないような出来事に巻き込まれる……というストーリーの映画。

主演はミア・ファロー。
監督はウディ・アレン。

昔レンタルで観た時ものすごく感動して、5段階評価なら完全な五つ星、映画好きなら絶対に観るべきだー、なんて思ったものでした。
だからブログにもずっと書きたかったんだけど、なぜか「感動した」「オススメだ」以外の記憶をほとんど失っていて、長らく書けないままでいました。
今回WOWOWで放映されて20年ぶり、いや、ほとんど25年ぶりくらいに観ることができて、めでたくこうして書けているのですが、しかし、うーん、25年という時間のなせるわざはもしかしたらかなり大きいのかもしれない……。

25年前は「なんて優しい映画なんだ」って思ったんですよねえ。
映画好きにとって優しい映画だなあと。
でも今回は「残酷だなあ」と感じてしまって、我ながら感じ方の違いに驚いてしまいました。

25年前は若かったし、子供だったし、ってことなんでしょうか。
さすがにあれから25年もたてば世の中のことも知ってしまいます。現実と折り合わなければならないことを知ってるというか、私自身がいろいろと諦めて現実と折り合って生きている。
だからこの映画に昔ほど入りきれなくなったのかなと思いますが、とはいえ良い映画という印象は変わってないんですよね。ただ観る視点が変わっただけで、やはり素敵な映画。
で、映画好きにオススメ。
ミア・ファローは素晴らしいし、優しいのはやはり優しい映画なんだ。

その優しさの理由なんだけど、それは大きなネタバレになるんで間をあけて書きます……。
本当にネタバレです。

大ネタバレ
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by teri-kan | 2013-02-18 13:57 | アメリカ映画 | Comments(0)

「天空の城ラピュタ」(1986)その2

またまたTV放映を鑑賞。
十何年ぶりかに最初から観ました。
いやあ、忘れてたところが結構あったなあ。

久々にオープニングを観た今回、ナイスタイミングな記事が出ていて、興味深く読ませてもらいました。
今夜はバルス祭り! 風車で解く「天空の城ラピュタ」オープニングに隠された物語とは
うん。「ラピュタ」のオープニングは昔話や神話みたいで確かに好きです。

ネットの実況も見てたんだけど、全然追いつけなくて参りました。
いや、そもそも無理だとはわかってたんだけど、最初から実況のスピードが早すぎて驚いたというか、以前一度見た時はここまでではなかったように思うんですよねえ。放映回数を重ねるごとに参加者が増えてるってことなんだろうか。
「人がゴミのようだ」や「目がー目がー」のところは既につながりもしなかったです。

この作品って冒険活劇として最高で、子供が主人公だから当然子供が楽しめるアニメなんだけど、こうも大人の心も掴んで離さないというのは、ただ単に子供時代の感動を追体験してるだけというのとはちょっと違うような気がします。
オープニングを観たせいもあってか今回はラピュタという国の興亡に思いをはせたのだけど、今回は観ていていきなり杜甫の「春望」が頭に浮かんで、だから大人でもラピュタに惹かれるんじゃないかと思ったりしました。

「春望」とはあれですよ、有名な「国破れて山河あり 城春にして草木深し」。
この漢詩はこの後に戦争で辛い目にあっている自身を嘆く心情が切々とつづられるのですが、まあそれはここでは無視するとして、とりあえず日本人に馴染みのあるこの2行、「国破山河在 城春草木深」はなかなか光景としてすさまじいんですよね。
人々が去って何百年もたったラピュタ王国の成れの果てはまさにそれで、その光景になんとも言えない虚しさと寂寥感と、巨大都市を作り上げた文明への畏怖と、時の長さへの呆然とした感覚と、もう様々な感情が呼び起こされるのですが、やっぱりこのラピュタの草木だらけの映像がピカイチなんだな。ラピュタ興亡についてのイメージが、もう風景だけでぶわーっと浮かんでくる。
しかも人間はいなくなっても生の営みは続いてるんです。
まさに山河ありで草木深し。
まあさしずめラピュタは大樹と石が永遠に在り続けるって感じですが、それと比べると人間って思いっきりちっさいですよね。
その小ささと冒険モノとしての夢の大きさとのギャップがすごすぎで、そのコントラストこそがこのアニメが人を引きつけてやまない理由の一つなのではないかと。
そこら辺はやはり宮崎駿作品だと思いますね。



ラピュタ族は空気に触れるとただの石と化してしまう飛行石を結晶化する技術を持っていたため天空へ上ることができたのだけど、石の加工を生業にしていた一族ならば、おそらくずっと大地と共に生きてきたのだろうし、地にあることこそが彼らの正しく生きる道だったのだと思います。地を離れて生きるだなんて、土台無理な人達だったのではないかと。
彼らが天空にあって地上を支配するなど人間が神になるのと同じくらいに無理なことで、でもそんな神に現在に至っても無理になろうとしたムスカは、まさしく何もわかっていなかったおバカさん。
しかしあのバカを生み出さなければラピュタは完全に滅ぶこともできなかったということで、この辺はホントに人間そのもののお話だと思います。

いやほんと、ラピュタの存在ってつくづく面白いですね。
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by teri-kan | 2011-12-12 11:01 | その他の映画 | Comments(0)

「里見八犬伝」(1983)

角川映画の中で一番好きかもしれません。
そうたくさん角川映画を観てるわけではないけれど、この作品は楽しい要素てんこ盛りで、とにかく派手でした。

お家滅亡、生き残りの姫、姫を守る個性豊かな従者、里見家にまつわる大いなる不思議、おどろおどろしい伝奇怪奇風美形悪者集団、姫と従者のラブ、そしてなんといっても囚われのお姫様救出シーン。
いやあ、この展開はいくつになっても、今も昔も関わりなく盛り上がれる。危機に瀕している姫を助けるため八犬士が一人また一人と自らの戦いを繰り広げて倒れていくのですよ。
ああ……萌え、いや燃える。

まあね、都合がいいといえば都合がいいんだ。姫救出のためのはずの戦いが、自分のための戦いに置き換わって、京本政樹なんて姫のためなんだか好きな女を助けるためなんだか、最後にはよくわからない戦いになっている。
でもそれでもいい。それで京本政樹の美しさが十分堪能できるのだから。
切れば毒ガス噴き出す体に改造させられた美女軍団を、ガスまみれになりながら切りまくっていく彼は立派な見所その1で、ぶしゅーって噴き出るガスは今観ると「ぷっ」って笑っちゃうんだけど、でもそのわけわからん派手さがこの映画の一番いいところのような気がする。
なんといっても単純に楽しいんですよ。

派手の要因の一つはジャパン・アクション・クラブの方々のおかげでしょう。皆さんきびきびと戦っておられました。
志穂美悦子がカッコよかったですねえ。やっぱり戦士の中に女は一人は必要です。モモレンジャーとかコンバトラーVの南原ちずる嬢とか(例えが古くてすみません)。
音楽も盛り上がりました。なんでだかわかりませんが主題歌は英語の歌です。
美術もすごい。悪者の部屋の壁の絵がなぜかクリムト。美しいですが意味がわかりません。
でもあの場面は好きなんですよねえ。
妖怪夏木マリは文句のつけようがないです。この人こういうのがホントに似合う。
派手さに一役も二役もかってましたね。華やかで綺麗でまがまがしくて面白かったなあ。



昔TVでこの映画を観ていた時、祖母が「静姫は知らないねえ。伏姫なら知ってるけど」と呟いたのですが、実はこの映画、馬琴の八犬伝とはちょっと違うお話なんですよね。この映画の原作タイトルは「新・里見八犬伝」で、馬琴のは「南総里見八犬伝」。
「南総」が千葉の南部(房総半島の南側)を指すということ、「里見八犬伝」はそこを舞台にしているということを、それで初めて知ったのですが、当時私が驚いたのは、
「千葉にも武士とか人とか住んでいたのか」
という、千葉県民に対して甚だ失礼な事でした。

江戸時代でさえ江戸が東の行き止まりのような感覚で捉えていた自分にとって、室町時代の彼の地なんて「荒野?」くらいの認識だったんですよ。とにかくそれくらい千葉南部は西に住む私にとって未知の世界だったのです。
そんなだからこの「里見八犬伝」が千葉だと知った時は、「さすが未開地域。あやしげな邪教集団もここならはびこれる」とか思ったりして、ホントに申し訳ないんだけど、「南総はかつておどろおどろしい怪しい土地だった」というイメージがすっかりこびりついてしまったのでした。

今はもちろん違うけど、でも映画とか小説とかのイメージって大きいですよね。この映画だってラストシーンはやっぱり荒野だし。
でもそれも含めて南総はロマンあふれる場所って感じです。
「里見八犬伝」のような楽しいお話の舞台になっていいよなあって思います。

ちなみに映画のヒロイン静姫は薬師丸ひろ子。
お相手は真田広之で、監督は深作欣二。
娯楽映画としては最高の出来の作品だと思います。
とりあえず話のたねに一度は観てみたらいいんじゃないかと思うオススメ映画です。




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by teri-kan | 2011-02-26 02:23 | その他の映画 | Comments(0)

「Wの悲劇」(1984)

懐かしの角川映画。
ちょっと前にBSでやってましたが、実はそれは観ていない。
でも過去の鑑賞の記憶が強烈に残っていて、当時どれだけこの映画が好きだったか、懐かしさとともに振り返ってみる。

この映画、友達と観に行ったんですよ。やっぱりあの頃は観に行くといえばアイドル映画で、でも薬師丸ひろ子のこれは面白かったのです。
今だってそれなりに通用する作品じゃないかな。

「顔はぶたないで!わたし女優なんだから!」

超有名なセリフを残したこの映画、役者がなかなか素晴らしいです
世良公則がカッコいいんですよ。三田佳子はこの頃絶頂期で大女優役がハマッていたし、これがデビューの高木美保は感心するほどの美人だった。
三田佳子にいびられてちょっと可哀相だったけど、まあ仕方ない、これはそういった舞台の裏側のドロドロがメインの物語だし。

ストーリーは、劇団の若い研究生(薬師丸ひろ子)が、とある事件をきっかけに主役を勝ち取り、本物の女優へ成長していくというもの。
その「事件」が生々しくて当時の私にはドキドキもので、そこで主人公がなんだかんだで役を手に入れてしまうというところが、「女優になりたい人ってすごいなあ」としか思えないほど、自分にはありえない展開でした。
でもだからこそ面白かった。劇中劇の映画だけど、劇団内部のアレコレこそ私にとっては劇そのもので、映画が終わって街中に出た時、面白い映画ほど現実とのギャップを感じることがありますが、「Wの悲劇」はそんな映画で、しばらくボケーッと浸ってましたね。
うーん、懐かしい思い出です。

改めて調べてみたら、音楽は久石譲。全然知らなかった。
実は「Wの悲劇」で一番印象に残っている曲は劇中の舞台で使われる「ジムノペディ」なんだけど、この曲の記憶は強烈で、実は主題歌「Woman」よりも真っ先に思い出すほど。
「Woman」も当時は好きだったけど、今となっては断然「ジムノペディ」。
やっぱりサティの曲の持つ力はすごいということなのだろうけど、今から思えばこの曲をチョイスしたこと自体がすごいのかもしれません。
あの舞台と「ジムノペディ」は私の中でセットです。
今でもものすごくはっきりと記憶に残ってますね。
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by teri-kan | 2011-02-23 15:14 | その他の映画 | Comments(4)

「スター・ウォーズ ジェダイの帰還」(1983)

エピソードⅥ。映画ではこれが「スター・ウォーズ」の最後の物語になります。

クマをOKと思えるかどうかで評価が分かれる作品かもしれません。彼らが登場した意味はわかりすぎるくらいわかるけど(基本「アバター」と同じですね)、ぬいぐるみにしか見えない人もそりゃいるだろうと思います。
まあ確かにあれはぬいぐるみだもんねえ……。

エピソードⅠからお馴染みだったキャラの多くが本作で姿を消します。ジャバ、ボバ・フェット、ヨーダ、そして皇帝とダース・ベイダー。
皇帝はいろいろとすごいんですが、何が一番すごいって本作も新三部作も全てイアン・マクダーミドが演じてるということ。エピソード123はいいとして、本作に既にあんな顔で出ていたっていうのがすごすぎ。
「スター・ウォーズ」成功の理由にこの皇帝があるのは絶対なんですが、にしてもいい仕事してますねえ。

エピソード順に見て一番見方が変わったのはクライマックス部分かもしれません。ベイダーの改心が非常にわかりやすくなりました。彼がなんでダークサイドに堕ちたのか、ルークがなぜ堕ちなかったのかも、図式的に理解できるようになりました。

ルークが皇帝からビリビリ攻撃を受けてる時(あれはなんていう名の技なんでしょうか)、多分ベイダーは一人の有能なジェダイがかつてあの攻撃で殺されてしまったことを思い出したんじゃないかと思います。
自分がダークサイドに堕ちる決定的な出来事となった、メイス・ウィンドゥ殺害の件ですね。

アナキンはあの時自分がしでかしたことにショックを受けていたけれど、後悔することは決してなかったでしょう。というか、したくても出来なかった。したってしょうがないことだし、したらその後生きていく事も無理だった。
でもベイダーがアナキンに戻ろうとするなら、やっぱりあの時あんな行動をとった自分を振り返らなければならないはずで、で、なんであんなことしちゃったのかというと、今更だけどパドメを失いたくなかったからなんですよね。
最強になることが目的だったわけじゃない、愛する人を守るために最強になりたかった。
肝心なそこんとこ、自分がダークサイドに堕ちた理由というものをきちんと自分で認識し直すことがまずベイダーには必要なんです。

愛するものを失いたくないという感情は人間にとって最も切実。だからこそシスはそこに付け込むわけだし、実際レイアの身に危険が及ぶかもしれないとなると、ルークは怒りにまかせてベイダーにライトセーバーを叩きつけ、その腕を切り落とすことまでやってのける。
怒りというのはそれほどまでに人に力を与えるもので、でもシスが決定的にわかってなかったのは、相手を傷つけることまでやってのける怒りとか衝動とかいうものも、その大元にあるのは愛するものを守りたいという気持ちであって、愛自体は時にそれ以上の予測のつかないこともやってのけるということなんです。

怒りを呼び起こすものが愛からきているのなら愛に帰ればいいだけで、アナキンにとってそれは妻の産んだ息子だったってことなんですが、なぜルークはアナキンにそれを思い起こさせることができたのかと考えたら、アナキンと違ってルークは執着しなかったからってことになるんだろうと思います。
ルークは見事なまでに、自分の命にすら執着しなかった。
これはアナキンにとってみれば衝撃的だったと思います。多分アナキンは何かのために自分の命を捨てるとか考えた事なかったと思うし、自分が死ぬかもとか想像したことも全然なかったんじゃないかと思います。大体「死すべき人の命すらコントロールできるジェダイになる!」とかマジで考えてた人ですからね。アナキンにとって死は愛から最も遠くにあるべきものだったんですよ。
それなのに我が息子は父の魂を救うためにほとんど自殺行為のようなことをやっている。
皇帝のビリビリ攻撃にやられてるルークの姿がベイダーに与えた衝撃や葛藤は、本当に、想像以上にすさまじかったと思います。

「フォースにバランスをもたらす者」アナキンは、息子に救われてシスを倒すことが出来た、という結末を考えるならば、予言の言う「フォースのバランス」とは結局「愛」ってことなんでしょうね。アナキンはジェダイの掟を破って一人の女性を愛して子供まで儲けたわけですが、その子供なくして予言を成すことはできなかったというならば、愛がなければフォースにバランスはもたらせられなかったということだと思います。

そして、ジェダイにも親子の愛、男女の愛が必要というならば、結局それまでそれを忌避してきた旧来のジェダイの有り方には、やはり問題があったということなのかもしれません。愛は執着を伴うし、それが生み出す負の感情は簡単にダークサイドに引きずられるものだけど、でもシスが付け込もうとする「人間らしさ」から逃げようとする限りシスには勝てない、勝ったとしてもまたいつかはやられる。
アナキンはそんな愛の負と正の両面を一人で体現しちゃったジェダイってわけですが、人生そのものが「フォースにバランスをもたらす仕事」みたいなものだったってことで、大変な一生を生きさせられたんだなあとしんみりしてしまいます。

アナキンがこちらに戻ってきて、霊体となったヨーダ、オビ・ワンとのよもやま話は尽きることがないかもしれません。まあ語らなくてもわかりあえるんだろうけど、あの三人が最後並んでる姿には、やっぱり感慨深いものがあるな。
エピソードⅠからの激動の時代を生き抜いたジェダイ3人です。成すべきことを成し遂げて消えていく彼らは最高に素敵でした。

でもこういう見方で観るとルークの影が薄くなってしまう……。
6作全部出てる人と3作しか出てない人では、そういう面では仕方ないのかもしれませんね。
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by teri-kan | 2010-07-26 11:59 | アメリカ映画 | Comments(0)

「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」(1980)

エピソードⅤ。主人公に衝撃の事実が明かされる問題の作品です。

私がこれを初めて観たのは水曜ロードショーか金曜ロードショーか、とにかく民放の映画番組でした。旧三部作はどれもナントカロードショーで観たのが最初で、真面目に全作しっかり観たのは少し後のことになります。

なので仕方ないといえば仕方ないのですが、TVでたまたまやってたのをちらっと観た程度でこのストーリーを理解できるはずもなく、ダース・ベイダーも最初は「変わったロボットだなあ」くらいの認識しかありませんでした。
だから「I am your father」が出てきた時はそりゃあたまげました。
「え?機械がお父さん?」って素で思ったんですよ。
ロボットがどうやって子供産むんだ?とか、機械が生身の人間の父親になるにはどうしたらとか、全然別の方向の疑問を持ったりして、今から思えばバカにもほどがありました。
まあそれほどベイダーは私にとって得体の知れないシロモノというか、あのベイダー・スーツは異様に見えて仕方なかったってことですね。

今は「哀れの象徴」のようにさえ感じているのだけど、にしても改めて見ると本作のベイダーは非情極まりないので、なんかあまり哀れじゃないな(苦笑)。一瞬見える傷だらけの後頭部には辛い溜息が出てしまいますが、提督をコロコロ変えるとこなんて笑えるし、好き勝手やってる姿は結構好きだったりしますね。
まあそんなベイダーでさえ皇帝の前では膝をつくんだけどさ。

といいつつ、この作品のメインはベイダーではなく、ルークの成長と挫折にあります。自分の能力を知っていくのと同時に未熟も自覚していくルークの物語。
若者の成長物語としては至極真っ当で、エピソードⅡとかと比べると親と子でこうも違うのかというほど違います。能力の大きさや育った環境の影響があるとはいえ、アナキンは本当に傲慢でした。

ルークの成長が描かれるのと平行してレイアの恋愛も描かれていますが、「I am your father」に匹敵するくらい印象的な台詞が、彼女とハン・ソロの「I love you」「I know」。
うーん、素敵だ。意地っ張り同士の二人の、極限状態での素敵な台詞です。
ただ、やっぱりここでもアナキン・パドメカップルと比べてしまうのだけど、レイアのように大勢のいる前で堂々とキスできる関係だったら、パドメ達もまた違った運命をたどったのかもしれないなと、ちょっと思ったりしました。議員とジェダイという立場は、やっぱりあの時代には辛かったですよ。

……と書いたところで初めて気がついた。
パドメの妊娠はお腹が大きくなったこともあって皆が知っていたはずだけど、一体皆父親は誰だと思ってたんだろう。
オビ・ワンやヨーダは勘付いていたとして、他の議員とかはどうだったんだろうか。
「きっとアナキン・スカイウォーカーの子供よ。ヒソヒソ」「でもスカイウォーカー将軍はジェダイよ。ヒソヒソ」みたいな感じで陰で言われてたとしたらちょっと悲しいな。

その辺どうだったんでしょうねえ。
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by teri-kan | 2010-07-23 10:46 | アメリカ映画 | Comments(0)

「007 消されたライセンス」(1989)

シリーズ中最大の異色作。「女王陛下の007」以上に異様な第16作目。
初めて国家の命令でないボンドの活動が描かれた「007」映画です。

非常に見返すのに気がすすまない作品。「007」のくせに残虐なシーンが多くて、アメリカで初のR指定になったというのも納得です。復讐劇のためユーモアも皆無で、なごめるシーンはQが出てくるところくらい。彼の登場が唯一「007」らしさを漂わせているといっても過言ではありません。

今回の敵は中南米の麻薬王。とても冷酷非情な男で、まあその非情さが身を滅ぼすきっかけになってしまうわけだけど、見ていて気分のいい敵ではないですね。ある意味リアリティがありすぎる。

ボンドの戦い自体は素晴らしくて、復讐モノにつきものの重苦しさを抱えているとはいえ、普通のアクションスパイ映画としてみたら全く文句ない。非常によく出来た作品です。
アクションも面白い。特にクライマックスのタンクローリーチェイスシーンは圧巻。
出来栄え自体は私もとても良いと思います。

でも後味の悪さはいかんともしがたい。
そこのところをちょっと書いておきます。(ネタばれ大有りです。)

「007」は基本的にスッキリしてくれなきゃね
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by teri-kan | 2010-04-28 10:08 | イギリス映画 | Comments(6)

「007 リビング・デイライツ」(1987)

ティモシー・ダルトン初お目見えの第15作目の「007」。
KGB将軍の亡命を手助けしたことから始まる陰謀が描かれています。

非常に面白いお話です。スパイものらしいストーリーというか、騙し騙されのスパイ映画。冷戦時代のチェコが出てきたりアフガニスタンが出てきたり、それまでのシリーズとは雰囲気も違って、とても真面目なアクションスパイ映画になっています。
ティモシー・ダルトンはそんな真面目な「007」に確かにピッタリのボンドだったですね。

ボンドガールはマリアム・ダボ。
とても清楚なお嬢さんで、実は全然脱いでません。ただのお色気担当じゃない上、事件後の将来がこれほどバラ色なボンドガールも珍しい。
なんていうか、とても扱いがいいのです。まさしく「ヒロイン」という感じ。

反面敵はヒドイ(笑)。ハンパない小物臭が漂う男で、人としても男としてもサイテーなヤツです。ホントに永遠にシベリアで強制労働やっとれって感じ。(いや、彼はやっぱり処刑されるのかな。)


もしかしたら初めて「007」を観る方に向いてる作品かもしれません。
一般的な「007」らしさという意味では外れるかもしれないけど、ふざけてないスパイアクションものが好きな方には入門編として良いのではないかと思います。
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by teri-kan | 2010-04-27 09:58 | アメリカ映画 | Comments(10)