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「N.Yバード」その4

「N.Yバード」その3の続き。






ところで、愛子が苦しんだ「舞踊教師」の批評、神崎は知っていたのかどうか。

知らなかったとは思えないんだけど、知っていても多分一蹴して終わったんでしょう。だけど愛子があれに苦しめられている事には気付けたんじゃないかと思うし、そこのところのフォローがあれば、二人の関係はまた違った展開になったと思う。
神崎がフォローしてくれるような人だとは思えないけど、愛子を怒った時に「あんな記事を真に受けるな」の一言があれば、もう少し愛子は楽になれたんじゃないかな。それを神崎が言うということは、彼が彼の中の「愛らしきもの」を否定したこと、あるいは「それは師としての愛でしかない」と言ったと同じことになるから、それだけで愛子は随分救われたと思うんですね。
まあ、実はしっかりと「愛」だったからこそ、神崎は口にもしなければ自分の気持ちにさえ気付かなかったんだろうけど。


彼が踊れなくなったのは愛子が去ったせいだけではないでしょう。もっと根本的な問題で、自分のそれまでの舞踊人生への疑問や疲労や虚無感みたいなものの方が大きかったと思います。だからこその抜け殻状態で、ちょっとやそっとで立ち直れる類のものじゃない。
そしてそんな抜け殻神崎は、もしかしたらすごく穏やかで、受身に過ぎるくらい優しい人だったのかもしれない。彼からダンスを取り上げたら毒も牙もない人になるだろうことは簡単に想像できるのだけど、「ナッツ」に加わって以後の神崎の姿はまさにそれで、あの自分を抑えた穏やかさは、情熱を失ったままの、未だ復帰へのリハビリ中の姿なんですね。決して本来の彼じゃない。
そして本来の彼じゃない彼は、非常にわかりにくい男なんですよ。

神崎が自分の中の愛子への思いに気付いたのは、かなり遅かっただろうと思います。J・Bの電話を受けた時も、単純に「愛子がいるからこの話を受けよう」という決心の仕方をしたんじゃない。彼には他にも出演依頼が来たと思うけど、「受けてみようかな」という気になった唯一の依頼がJ・Bのものだっただけで、それはなんでだろうと自問自答した挙句の答えが「愛子」だったのだと思います。

で、その事実に彼は驚愕したことでしょう。そんなにも愛子は自分にとって特別なのかと。
だけど「ああ、そうだったのか」と合点がいった部分もあって、愛子を求める気持ちは素直に認めたと思う。
でもそこからの悩みは深い。彼女をどういう意味で求めているのか、ダンサーとしてか、又は女として好きなのかどうか考えただろうし、もしそうならいつからそんなことになっていたのかとこれまでを振り返りもしただろうし、改めて彼女の離反の原因についても考えただろう。

それまでも考えたし、自分の指導が悪かったのかといろいろ省みたとも思うけど、自分の心にまで思いが及ぶ事はおそらくなかったはず。ところが自分でもわからぬうちに愛子に心を寄せていたかもしれないとなると、知らないうちに彼女に負担を強いていたのか、もしかして離反の理由にそれが関係していたのか、その辺りが気になるようになってくる。

考えるだけでは答えの出ないそれらの答えを得るためには、当の愛子に会うしかないけれど、その決心がつくまでにはかなりの葛藤があったと思う。パートナーの話にしても、いくらJ・Bのキャスティングとはいえ愛子に拒否される可能性だってないわけではない。というか愛子が嫌がるであろうことは簡単に想像できるし、今更彼女に嫌がられるのは如何な神崎とはいえキツいし辛い。

でも現在の屈辱と挫折の発端が彼女の離反にあるのが事実である限り、その理由をはっきりさせなければ神崎は今後どこにも進めない。もう進まなくてもいいかと思ったりもしたけれど、愛子と再会できるチャンスをもらえるのなら、どうせ全てに投げやりになっていた自分である、嫌がられるのを承知でパートナーになればいい。これからの舞踊人生がどう転ぼうが、愛子との関係だけは納得しておかないとこのままずっと身動き取れないだろうし、それだけはやはり嫌だ。

だから神崎は愛子のパートナーの話を受ける。
愛子は自分をどう思っていたのか、それ以上に自分は愛子をどう思っているのか、それをはっきりさせるために。

それが神崎の言う「全てで、たった一つの問題に決着をつける」なのですね。

愛子は自分に惹かれていたからこそ離れていったのだというような虫のいい考えは、神崎の中にはなかったでしょう。愛子と慎は極端に彼を恐れるけど、実際神崎にはそんな余裕はない。
だから愛子と再会しても、彼女の心を観察するだけで神崎は何も口にしない。そもそも「ステージすっぽかし」という手ひどいフラれ方をしたのはこちらの方で、彼女に対して強気に出られる立場でもない。
自分が愛子をどう思っているかは確認したいから彼女をずっと見てるけど、別に「俺を好きになれフェロモン」を故意に発しているわけじゃない。ただ彼女と踊って、かつて自分達はどういう関係だったのかを確かめたかった。とりあえず神崎はそれだけを思っていたと思う。

一方、再び神崎の隣に並ばされた愛子に、今度こそ逃げ場はありません。自分を追うようにして目の前に現れた師に以前以上に男を意識してしまって、もうただ惑うだけです。しかも「神崎は自分を自由に踊らせてくれない」という以前抱いた師への反抗は、とんでもない見当違いだったことにも気付かされる。実は彼こそが自分を最も自由に踊らせてくれる相手で、しかも今の彼は自分に何一つ強制しない。神崎を責める事も反抗する事も、この時の愛子には全く出来ないのです。

神崎自身に抵抗する口実を見つけられない愛子は、彼の妻の存在にその口実を見つけ出そうとするけれど、彼女と神崎が会う姿を想像するだけでもう胸は痛い。神崎を踊らせることができるのはエリノアでなく自分だと当のエリノアから聞かされて、ショックと同時に嬉しさがほんの少しもなかったということもおそらくない。愛子は完全に神崎に囚われて、それでも抗おうとして、神崎にエリノアのことを持ち出して最後のあがきを試みて、そして結局ほとんど自爆のような形で神崎当人に彼への想いを明かしてしまう。

そして問題のあのシーンが出てくる。



あれについてはまたいろいろ思うことがあるので、次回に書きたいと思います。

(続く)
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by teri-kan | 2009-09-09 10:41 | 漫画 | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


by teri-kan
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