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「インセプション」(2010)

主演はレオナルド・ディカプリオ。監督はクリストファー・ノーラン。
現在絶賛上映中で、大変評価の高い映画です。

事前に目にしたレビューに「マトリックス」を引き合いに出しているものが結構多くあって、そのせいもあってかちょっと気合を入れすぎて観てしまいました。複雑で難解なのかと思いきや案外そうじゃなくて、これはあまり難しいこと考えずに観た方がいい作品のような気がしますね。

夢を題材にしているため「マトリックス」と比較する人がいるのかなと思いますが、「マトリックス」は常識を180度ひっくり返す必要があった上、あの世界を初回の鑑賞で完全に理解するには頭を相当覚醒させる必要がありました。
でも「インセプション」はもっとパーソナルなテーマを扱っているので、物語世界を理解しようと過剰に必死になる必要はないと思います。というより、そっちに重点を置きすぎると重要なテーマがおざなりになる危険性がある。

この映画は、そういった意味で実は相当出来がいい映画。
「夢」の映像や「夢」の構造の仕組みが素晴らしいものでありながら、それを目的にした映画ではないというのは、やっぱり凄いことだと思います。



クリストファー・ノーランが素晴らしいってことなんでしょうねえ。
映画ってこうあるべきというか、これこそ映画の醍醐味というか、総合芸術ってこういうことを言うんだろうなあと、大袈裟な言い方だけど思いました。

いやあ、いろいろと面白い映画でした。

では、ここから下は盛大なネタバレありで。







自分はつくづくハッピーエンド好きのお人好しなんだなと思ったのですが、この映画のエンディング、なんかいろいろとすごかったです。
飛行機の中で目が覚めて、フツーに入国できて、家に帰って、子供達が振り向いて、ああ良かったー、ディカプリオくんオメデトウ!苦労した甲斐があったね、やっと望みがかなったね。おっ、コマが回っている、さあ後はこれが倒れるだけ。倒れたらメデタシメデタシ。うん、なんか傾いてきたぞ。さあ、後もうちょっと、もうちょっと……………いきなり暗転END。

エーーーーーーーッ!と心の中で叫びましたよ。
本当に叫びましたよ。
もうすごくショックで、本当にショックで、なんでショックなのかと振り返ってみれば、到着した空港でのディカプリオ君の顔が、これは本当に現実でいいのか?本当にいいのか?って、あまりのシナリオ通りの幸福に戸惑っていたからなんですよね。
私も戸惑いました。戸惑ったけど、ミッションが成功したらこうなる予定だったんだからこれでいいんだよと思い直して、もうここで私は完璧にディカプリオ君と一心同体(笑)。彼の心は私の心。彼の夢は私の夢。
ディカプリオ君の夢の中に完全に入り込んじゃってたんですよ、私。

もちろんおかしいなとは思ったんです。
子供達はディカプリオ君が最後に見たままの子供達だったし、パリの先生がアメリカの空港でお出迎えなんてちょっと出来すぎ。そんなことどう考えたってあるわけないのに、でも現実なんだって私も思ってしまって、もうそれって現実であってほしいという思いが思わせた錯覚でしかないんですよね。
本当に、人の心理が現実と願望の区別をつけられなくなってしまうというの、まさか映画の中の人間以外の、ただの観客までそんな風になっちゃったなんて、私アホすぎ。というかノーランすごすぎ。
そしてここまできて初めて観客はディカプリオ君の心が抱える暗いものの重さを思い知るのです。

ディカプリオ君の現実は既に苦しみしかないんですよ。罪悪感と後悔、子供達に会いたいと渇望すること。これが彼の現実で、これを感じている限り彼は現実の世界にいる。苦しむことが現実世界に生きていることの証であり、多分彼は生きている限り苦しみ続けなければならなかった。
でも彼はそれが辛くて、辛くて辛くてたまらなかったんだろうな。逃げてもあがいても妻は現れて、彼が安息を得るために戦うのを徹底的に邪魔する。妻が邪魔をするのはもちろん彼の深層心理が「自分は邪魔されなければならない」と思っているからで、なんかそこのとこの彼の罪悪感がね、なんかもう気の毒というだけでは足りないくらい哀れで救いようがなくて、おそらく結局夢に逃げたであろう彼をどうやって責められようかと、悲しさを感じながら思ってしまうんです。

一体いつから彼は夢にいたのかなあ。
振り返れば怪しい場面はたくさんあるんです。例えば「偽造師」イームスに依頼しにいった時に刺客に襲われるけど、あれだって後から思えばいかにも夢っぽいですしね。あんなに撃たれたのに弾は当たらず結局無傷ってまさしく都合のいい夢だし。
映画の内容自体がどこから夢でどこまでが現実なのか、渡辺謙が航空会社を買ったっていうのも夢ならナットクって感じだし、そういやファーストクラスで機械を操ってたのが客室乗務員だったってのもね、おかしいなと思いつつも深く考えるのを止めてましたよ私。突っ込んだら恐ろしいことになると思って無意識に考えるのをやめていた。
そもそも渡辺謙の依頼自体が怪しすぎっていうか、インセプションを成功させれば家に帰れるなんて、もうこれってかつて妻にインセプションしちゃったディカプリオ君の罪の意識が生み出した夢でしかないだろー!

ああホントに、夢ってまさしくそうなんですよ。人が見る夢って本当に都合がいい。潜在意識に苦しめられる夢でさえ、微妙に願望によってコントロールされていて、突拍子もない夢に自分で愕然としてしまう時なんてしょっちゅうある。
そういった夢の在り様を観客も自身の体験でわかっているから、この映画にリアルを感じるんじゃないかと思いますね。
夢というものの捉え方、それを意図的に外部から操作しようとするそのやり方、階層的に夢を構築して、その下に潜在意識を描くというのは、なんかもうすごいとしか言いようがなくて、ホントまあよくこんな映画を作ったねって感じです。

そんな映画なので語りだしたらキリがないんですが、最後に一つだけ、マリオン・コティヤールについて。
この女優さんはちょっとホントにすごいかも。あの狂気はさすがフランス女優なんですが、でも基本的に可愛らしいんですよね。元々狂気を抱えた女性が何かのきっかけで本性を現すといった感じではなく、図らずも狂気の中に落とされてしまった女性の、どこか悲しさを感じさせるどうにもならなさがこの人にはある。
しかも本作の彼女はディカプリオ君の夢の中の、彼の深層心理が作り出した幻影のようなもの。だからこその怖さとか、実はその中身のなにもなさとか、すごくよく出てて、とても印象的だった。

彼女の演じる妻が陥った不幸はわからないものじゃないです。夢の中に生きる方法を見つけて、そこで思うままに生きて、その上でずっとそこにいたいと思わない人間なんてこの世にいるか?
ディカプリオ君もおそらく甘美な悪夢に逃げた。というかそこでしか生きていられなくなった。でもそうせずにはいられなかったどうしようもなさは、完全にではないにしろ理解できる。
そのどうしようもなさの表現の仕方が凄い映画でありました。何層もの夢を体験させられて、結局何が現実なのか最後にはこっちもわけわからなくなってしまったし。

もしかしたら日本の場面だけが現実だったのかもしれないな。そう思わざるをえない作り方がもしかしたらなされていたかもしれない。
欧米人にとってこの映画の中で一番現実味のないシーンはきっと日本の場面だっただろうけど、新幹線の中だけが映画の中の唯一の現実だったって可能性、なきにしもあらずのような気がする。
でもそうだとしたらノーランすごすぎかも。
日本の新幹線を選んだというの、秀逸すぎますね。
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by teri-kan | 2010-08-02 11:27 | アメリカ映画 | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


by teri-kan
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