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「源氏物語 千年の謎」(2011)その3

外国人と比べて、なぜ日本人は自分の感情や気持ちを会話で伝えることが下手なのか。

以前見たテレビ番組でそれに対する答えが出てたのですが、結構驚きの回答で、日本のことは日本の中にいるだけじゃわからないんだなあと思ったものでした。
だって答えは「紙があったから」なんですよ?
豊富に紙があって、書いて気持ちを表現することの方が発達したから、なのだそうです。

なんでも西洋では紙は大変な貴重品で、日本の侍が昔ヨーロッパへ行った時、街中でフンッと鼻をかんでその紙をポイッと捨てたら、なんと通行人に即座に拾われて持っていかれたくらい、それ程あちらには紙がなかったのです。
日本は江戸時代ともなると町中に普通にあったし、襖や障子以外にも浮世絵を刷って本もたくさん出版されてと、それが当たり前の生活でした。
でもそれは世界的にみてかなり稀有なことだったんですね。

何が言いたいかというと、そのように紙が豊富にあったからこそ千年前の物語が写し書きされ続け、失うことなく現代まで読み継がれているということです。
千年前の、しかも女性があんな長編小説を書く事ができるほど当時から紙は豊富にあり、和歌といい日記文学といい、日本の書く文化というのはかなり筋金入りっぽいということです。

ドナルド・キーンが日本兵の日記に感動した話は有名ですが、日本人の日記好き、日記にあらゆる感情を綴るという行為を、知識人だけでなく多くの一般人も普通にやってたというのは、日本人の気質に大きく影響してるでしょうね。
声に出して感情を発散しなくてもいいから当然物静かになる。文章にして書けば感情が整理されるから行動も理性的になる。
諸外国と比べて犯罪発生率が低いというのも、案外紙があったおかげなのかもしれません。



というわけで、「源氏物語 千年の謎」の紫式部についてです。
この映画の式部はね、書いて感情を発散させるどころか、書けば書くほど毒を体に溜め込んでいったんですよ。晴明に「凶相が表れてる」と言われるくらいにヤバイ状態だったんですよ。
それは毒を発生させる原因の道長が式部の近くにいたからなんですが、まあ映画的にはそれでいいとして、でも実際はきっとそうじゃないよなあと思うんですね。






「源氏物語」がどのようにして書かれたかというのは、現在はどういう研究が行われているのか知らないけど、「若紫」から書き始めた説を取るなら、「最初は結構軽ーい気持ちで書き始めたんだろうなあ」ですよね。
主人公が皇子の源氏であり、その彼が最も愛した藤壺と紫の上もやはり皇族ということから、紫式部は藤原氏がはびこる現状を憂えて皇統が一番だと主張したかったのだとか、式部の執筆理由はいろいろ研究されてきましたが、まあきっかけはどうあれ最終的に行きついたところは女性の救済であります。
世俗を絶って男と関わりなく生きることが女を救う唯一の方法である、となるわけです。

そこに辿り着くまで、式部はいろんな女性にいろんな試練を与えてきました。その全ての女性はある意味式部を投影していて、とにかく式部は物語内でやりたい放題しました。
そんな女達の苦労を読んでいて思うんです。
紫式部はたくましい。
この人は書いて鬱憤晴らしをする人で、たとえドロドロ感情を自身が抱えたとしても、抱えればこそ筆を持つ人なんじゃなかろうかと。

映画の紫式部は、無理矢理道長に襲われて、無理矢理後宮に出仕されられて物語を書かされて、書いているうちに己のドロドロ感情がどんどん顕在化していってしまうのだけど、紫式部がそれを暴走させるってことはないだろうなあっていうのは、やっぱりどうしても思う。少なくとも他人の手(映画の晴明のこと)を借りなくても自分で落とし前つけられただろうなあと。



ま、今回の映画的にはそれくらい式部は道長に惹かれていたということで。
それでもまあいいかというような中谷美紀と東山紀之のお二人でありました。

この映画の主人公って、もう道長と式部なんですよね。話を引っぱっていくのもこの二人だし、演技で引っぱっていったのもこの二人だし。

中谷美紀の紫式部はよかったですね。
うちに秘めた感情を表すのが上手かったです。
東山道長は……顔がほっそりしすぎかなあ。年齢的にはいいんだけど、いかんせんヒガシ本人が若々しいので、妙にもったいないような気がしました。
なんていうか……綺麗な道長でしたね。
スマートな道長でした。
by teri-kan | 2011-12-16 11:58 | その他の映画 | Comments(0)
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