現実的な息子たち

親父がドリーマーだと息子は自然と現実的になってしまうものなのか。
大河ドラマ「平清盛」、とうとう平治の乱が勃発しましたが、清盛は目の前の権力争いよりも、義朝は目の前の戦況よりも、友情やライバルに思いを馳せて何やらしんみりする時間が多かったです。

反対に息子たちは現状をシンプルに認識して、的確な進言、あるいは親父をじっと静かに観察。
まあ六波羅で留守番してる人達はろくな案が出せませんでしたが、それらも含めてそれぞれの育った環境からくる立場の違い、考え方の違いが意見の一つ一つに表れていて面白かったですね。

源氏は板東武者の悪源太と京育ちの頼朝の差がはっきり出て、とても兄弟とは思えないほどの違いっぷり。
平家は忠正処刑の受け止め方がそれぞれに違っているのが興味深く、頼盛は単に私怨拭えずって感じだったけど、重盛は私怨を押し殺し、それでいて最上の信西見殺し計画を思いつくあたり頭がいい。
残念ながら父の思いとはまるっきり逆の提案だったけどね。
重盛は父の信西への思いをどれだけ理解できたんでしょうね。

「オレは誰なんだー!」「誰でもよーい!」の出会いから振り返ってみれば、若かりし清盛と信西の語りあった場所は、都システムから離れたところばかりだったんですよね。
夜の大路、安芸の国、瀬戸内海の海賊船、どれも京に住む貴族にとっては異界と言っていいくらいの場所で、そんなところで胸を開いて語り合えば、確かに友情も芽生えてくるというものでしょう。
西行の友情と比べてわかりにくいかもしれないけど、システムの外からシステムを眺めて理想を語りあった者同士の、深いところでの繋がりというものは確かにあったはずで、今回少々長たらしい回想場面ではありましたが、清盛と信西のこれまでを振り返る演出は必要だったと思います。

が、信西まで自分探しをしていたというのは唐突でした。
信西が信西自身を見つけるのは良いとして、その意味は一体どこに? これまで清盛を諭す場面はあったけど、信西自身が自分の在り方に苦悩するシーンってあったっけ?
演技力で魅力的な信西になっていたのはいいけれど、もうちょっと脚本・演出の部分で信西を掘り下げる必要があったのではないかと、信西のラストを見て感じましたね。
頼長の日記を読んだ時の涙とか、いろいろあったはずなんだけど、ちょっともったいない感じがします。



まあ、信西は恨まれてもしょうがないことをしてたし、仕方ないと言えば仕方ないんですが、かわいそうなのは師光。
崇拝する師のあの最期は師光にとっては耐えがたかったことでしょう。

師光あらため西光。
この後もいろいろある西光。
突然だけど、髪を切ったボロボロの西光が岡野玲子の「陰陽師」に出てきそうな顔そのまんまだなあと思ったのは私だけ?
マンガの中の髪を下ろした晴明っぽいんですよね。
まあどうでもいいことなんですけどねー。



後白河院が幽閉されても平常運転だったのが良かったです。
猫と一緒に避難する上西門院もGOOD。
二条帝の声は何回聞いても驚く。この声が帝のキャラに必要なのだと考えようとしてもやっぱり驚く。
美福門院と忠通の会話は良かった。成り上がり貴族と比べたらなんだかんだで品がある。

で、信頼なんですが、信頼はねえ、信頼は……やっぱりどうしようもないな(苦笑)。
軽々しく事件を起こした報いを後からしっかり受ければいいよ。



毎回さりげなくいい味出してる時忠ですが、彼の意見は現代人のツッコミなんですね。
現在の私達がタイムスリップして時忠になったかのような、あまりにも私達に近い意見を口にする役回り。
でもそれが効いてる。当時の社会では浮いてる意見ということで、ことごとく平家一門にスルーされてるのが上手く出来てる。
本当に毎回ほんのちょっとの出番なんだけどね。
でもそれが妙に効果的で、よく効く薬味みたいですね。
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by teri-kan | 2012-07-02 16:44 | 大河ドラマ | Comments(0)
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