芸術の中身の解説

芸術ってなんだろう。

……ってなことを例のゴーストライター事件からぽつぽつと考えてて、さらにフィギュアスケートの芸術性なんてものも考えさせられたりしてるここ最近。

ウィキには「芸術とは、表現者あるいは表現物と鑑賞者とが相互に作用し合うことなどで、精神的・感覚的な変動を得ようとする活動」とありますね。
個人的にも受け手側が「おもしろいな」「きれいだな」などと思うこと、ようするに「芸術とは人の心を動かすもの」と捉えていたので、大体こういう考え方でいいのかなと思います。




さて、その芸術。
心を動かされる幅が大きければ大きいほど、心を動かされる人が多ければ多いほど、人々の「何度でも聞きたい」「個人で所有したい」などという欲望を多く集めます。
集まった欲望は金額という数値になり、「人々の欲望を多く集めた芸術品」即ち「高額な芸術品」は、「多くの人が支持するから質の良い芸術」という意味を持つようになります。同時に「多くの人が話題にする芸術は良い芸術である」とも解釈されるようになる。
「多くの人が話題」というと現代では「マスコミがとりあげるもの」にしかならず、しかしそれは「マスコミがとりあげるイコールそれだけで芸術性がある」に変質して、実際の質を確かめることなく宣伝されるまま良いものと思い込んでお金を払うということも普通に起こるようになる。
例のゴーストライター騒ぎは、そういった構造の中で起こった事件だと思います。

一般の大衆は「マスコミはまともなものを紹介する」という前提のもとに良いと言われるものを手に入れてるだけなので、それがまともかまともでないかは専門家に判断してもらうしかありません。
音楽詐欺師の事件においても、おかしいと感じた専門家が早い段階できちんと指摘していたなら、ここまでの騒ぎにはならなかったでしょう。
専門家が怠惰だったからマスコミが現代のベートーヴェンと囃した詐欺師の音楽が売れた。
事が発覚してから「実はあれはたいした音楽じゃない」と言う人がゴロゴロ出てきたりして、こっちとしては「それなら早く言ってくれよ」といった気分です。

うさんくさいものに関わりたくないからだんまりを決め込んだというのはわかるんですが、その態度は結果的に大衆をバカにしていたことと同じになるんですよね。
売れないクラシックがせっかく売れてるんだからうさんくささは見ないふりしようという腹だったならそれも問題で、大衆を音楽の理解者ではなく財布の持ち主としか見てなかったってことになるんです。大衆の耳を肥えさせて良い音楽を広めようという活動とは真逆の方向ってことです。
クラシックは売れない、売れてない、と言うけれど、そういった態度こそがクラシックを売れないものにしてるんじゃないかと穿った見方をしてしまいそうになりますね。

聴きたいという気持ちはある。でも取っ掛かりがない。何から聴けばいいのかわからない。
そんな風にクラシックを眺めてる人だって多いはずなのに、最も音楽詐欺師から騙されそうなそういった人達を専門家が守らなくてどうするんだってことですよ。
良いものは良い、悪いものは悪いと分かる人が言ってくれなきゃ、こっちは判断がつかないんだから。

まあ専門家の中にも絶賛してる人がいたようですが。
でも違和感を感じる人がいたのなら、そこまでの傑作ではないとブレーキかけるくらいできなかったのかな。
増長させなければNHKスペシャルはなかったかもしれなくて、騙された人数だって抑えられたかもしれないのに。
あの番組は音楽を紹介する内容ではなかったけど、本人の偶像化には十分貢献していて、耳が聞こえない人が作ったのだからいい音楽に違いないと思わせるには十分だったですよ。
NHKの罪は重いよなー。

実はこの事件が発覚した時に、曲を聴いた時の感動は本物なんだから作曲者が誰であろうとそれは大事にすればいいと書いたのだけど、例えばゴッホの絵と言われていたものが実は違っていたとわかった途端価格が暴落するとか、芸術の価値はそのものの評価ではなく作者によって変わるという現実があるんですよね。
今回の音楽だって全聾の作曲者だからこそ感動したという人もいただろうと考えると、ホント罪深いと思います。
そして専門家の責任って大きいなあと思う。

そしてここから話は飛ぶけど、フィギュアスケート女子の話題になります。
絶対女王と呼ばれた某国選手について。
彼女の長所が「芸術性」とか「表現力」とかソチ直前のTV番組で言われていたので、それについて思うことと、それに関連してマスコミが作る偶像について触れてみたいと思います。



続く
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by teri-kan | 2014-03-03 15:20 | 音楽 | Comments(0)
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