「JAPANESE ONLY」と絆の違和感

先日浦和レッズの横断幕問題について書きましたが、その原因となった差別的表現については触れませんでした。
言語道断の行為であって、本人の真意なんてどうでもよかったからですが、メディアの論評やネット上の意見を読んでいると、その真意とやらもなんかいろいろ複雑そうです。

一応本人の言い分では「ゴール裏は聖地で、自分たちでやっていきたい。他の人たちは入ってきてほしくないという意図があった。最近は海外のお客さんも来て、統制がとれなくなるのが嫌だった」という理由だとなってるけど、実は特定の選手への差別が真の理由であるかのように書かれている記事が結構ある。
まあどっちも碌な理由ではないですが、当事者が「聖地だから」とか「統制がとれなくなるのが嫌だ」と言ってるので、とりあえずそれについてちょっと思うことを書きます。







最近買った本に書いてあったのですが、ファシズムのもとになっている言葉「ファッショ」は日本語でいうところの「絆」なんだそうです。「束ねる」という意味なんですね。
なんで絆がファシズム?って感じですが、内輪で固く束ねれば自然と外側が作りだされるということで、排他主義の芽が絆にあると言われれば、それは確かにそうなんですね。

浦和の事件の「聖地だから」「統制がとれなくなるから」という言い訳なんかまさしくそれで、あれは自分のグループだけが大事の、グループの絆がエスカレートしたなれの果ての排他主義です。
全く碌なもんじゃないんですが、しかしこういう事は普通にその辺に転がっている普通の人間のあり方だったりします。横断幕を掲げるようなアピールをするというのは普通じゃないけど、内輪で好きなようにやりたい意識は程度の差こそあれ誰の中にもある。

去年話題になった佐藤峰樹の「ヨーロッパに日本人選手はいらない」といった意見も、日本人が日本人選手に言ってるから「差別だー!」と言われないだけで、あれも立派に排他主義。さしずめ「欧州人黒人南米人ONLY」ってとこです。
でも残念ながらこういうのって全然珍しいことじゃない。当たり前だけどサッカーの世界だけで起こる話でもない。

ただ、サッカーはそれが表に出やすい環境にある。
それはもう誰もがわかってることで、浦和には前科もあって、なのに碌な対策立ててなかった浦和というクラブがホント今回に関しては馬鹿だったんですが、しかしいろいろ浦和の現状を見ていると、クラブだけの責任ではなく、やっぱり浦和のサポーターはちょっと危ういかもなあという気がしています。

広島戦終了後の浦和選手とサポーターの心温まる挨拶の光景を見ていて、まさかこれ美談になったりしないよね?と、実は結構マジで心配になったんですよね。
こんな状況でも広島まで応援にきてくれた人達に選手が挨拶するのはいいんだけど、サポーターの悲壮な絶叫のような声とか聞いてたら、本当にこれでいいのか?という疑問がどうしても起こる。
「無観客試合でもスタジアムの外から応援しよう」と言ってる人がいるってのが最たるものなんだけど、自分達は被害者だと思っている浦和サポーター、実はかなりの数でいるんじゃないでしょうか。

そして実は浦和の選手にも。
いや、確かに選手は何も悪いことしてないし被害者なんだけど、でも浦和というクラブがペナルティを受けている限り選手もその加害クラブの一員なわけで、少なくとも被害者面だけはしてはいけないと思うんですよね。
いや、実際にはしてないと思うんですが、でも試合後にサポーターと一体感を作ろうとしてる選手達を見てたら、結構な違和感を感じてしまいましたね。

なんていうかなあ、今浦和が見直すべきものの中には選手とサポーターの距離感もあるだろうというのがあって、サポーターの愛情過多なクラブへの態度について冷静に考えるべき時だろう今は!って思っちゃうんですよねえ。
浦和のサポーター愛はそりゃあすごいですから。
マジで自分達が勝利の後押しをする、サポーターの力で勝利を呼び寄せる、と思って応援してるし、そのためならなんでもするって感じだから。

自分達が勝利に貢献してるという意識はさぞかし気持ちいいんだろうと想像しますが、しかしこれがエスカレートしたら恐ろしいことになるということは、浦和のこれまでの不祥事を思い起こせば簡単にわかる。
何度も事件を起こしておいて、今回無観客試合までさせられて、それなのにその原因を生み出したサポーター全体のあり方を何も見直さないというのは、外から見ていてちょっと考えられないし、清水戦をスタジアムの周りから応援したいとか声を選手に届けたいとか言ってるなんて、それこそが問題なのに何考えてんだ?って感じなんですよ。
厳しい状況だからチームとサポーターが一体になって頑張ろうという思想は、今回の浦和の場合正しい方向とは言えないような気がしてしょうがないのです。

危機的状態の時こそそういう傾向が表れるのはわかるし、おそらくそれしか方法がないのかなと思うけど、クラブとサポーターが一体になってというのは、下手すりゃまた内輪の連帯感だけが強固になるってことですからね。結局排他主義を生み出しやすい土壌をまた作るだけということになる。
広島戦後のサポーターの絶叫のような統制のとれたレッズコールは、すごかったけど怖かったですよ。
自分があの中にいたら、多分簡単に酔える。浦和サポーターは自分達の応援を世界一と自負してるところがあるけど、確かにあれをやってたら陶酔感に浸れること間違いない。
でも今彼らのやることは陶酔感に浸ることじゃない。そこから一歩離れてエスカレートしたらヤバいそれらを頭を冷やして見ることじゃないのか。

おそらくあれを今度は観客の入った埼玉スタジアムでやるのでしょうが、あの高揚感と陶酔感にまみれたコールが、一体感だの連帯だのと内向きになってるっぽい浦和関係者の集まる埼玉スタジアムに響くのかと考えたら、ちょっとゾッとする。
もしかしたらメディアも美談にするかもしれない。
浦和の内向きの一体感なんて、あまりにも危ういものだと今回の件でわかっただろうに。

まあ難しいとは思うんだけど、クラブ愛は素晴らしいのだから、なんとかバランスを取る方策を考えてもらいたいものです。
で、多分外側から見てる人間もあまり浦和を追い詰めない方がいいかもしれない。
いや、追い詰めたい気持ちはあるんだけどね(苦笑)、前科だらけのクラブだし、いい加減にしろやって感じだし。
でも浦和だけじゃなく、根本的にそういった危ういものを抱えているサッカーというスポーツをこれからも楽しみたいなら、浦和を厳しい目で見るのは当然、温かい目で見るのも必要なのかなあと思ったりもする。
なんだかんだで日本で最も有名なクラブですからね。
彼らの言動はその他のクラブにも影響が及びますから、皆でなんとかしなきゃいけないことかもしれない。

じゃあ何が有効なのかと言われたらすぐにはわからないけど。
あ、とりあえず一つある。
埼玉スタジアムのゴール裏の禁煙とゴミ放置禁止。(話によるとどうやら酷いらしい。)
荒んだ心を清めるには、まずは身の回りの清めから。
とりあえず埼玉スタジアムを礼儀正しく使用することから始めたらいいんじゃないでしょうか。

他のクラブも綺麗にスタジアム(ゴール裏)を使っているか、見直してみるのもいいかもしれません。
綺麗に使うことだってスタジアムの持ち主である自治体や他の市民との絆だと思うし。
絆って声の大きさだけでその強さを測れるものじゃないし、ましてや強制するものでないし、あらゆる個人が繋がれる穏やかな方法を探す方がいいんじゃないかな。
その先にJリーグが目指す新規のサッカーファンの拡充もあるんだろうし、サッカー自体の発展もあるような気がします。
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by teri-kan | 2014-03-17 14:05 | スポーツ(サッカー) | Comments(0)
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