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イランの大健闘と日本のメンタリティ

アルゼンチン対イランの試合を見ました。

アディショナルタイムでメッシに決められるまではイランの思惑通りの展開で、防戦一方ではありましたが先制の決定的チャンスもいくつか作り、特に後半は大変見ごたえのある試合内容でした。
さすがにメッシはメッシで、イランにとってはとても残念な結果になってしまいましたが、イランサッカーここにあり!を見せたと言っても過言ではなく、本当に大健闘の一戦でした。

ちょっとうらやましくなっちゃいましたねえ。
ワールドカップという大舞台で持てる力を出し切る。
結果はともかく、それができるっていいなあ……。

というわけで、ここから日本代表の話。









自分達のサッカーができないとかできるとか、そんなこと言ってるようじゃ多分ダメなんでしょうね。
守備的にするとか攻撃的にいくとか、持てる力を最大限出すための問題はそういったところにはないような気がしてきました。

イランにしても、オランダと打ち合いをしたオーストラリアにしても、大舞台だから云々とか相手が強豪だから云々とかなく、自分達の力を出し切ることに一生懸命だった。
でも日本はその全力を出し切るということができない。
少なくともこの2試合はできていない。
イランもオーストラリアも、アジア予選以上の良いパフォーマンスを見せたのに日本は全く逆。
なんで日本はワールドカップでこうも全力を出し切れないのか……。

他の国を見ていると、力を出し切るのなんて当たり前、出し切った上でどのようにして勝つのか、それが大事なんだって感じがするんだけど、日本の場合は目標が「力を出し切ること」なんだよねえ。
力を出し切るために自分達のサッカーをする。
考える順序が違うんじゃないか?って思うけど、でも日本が力を出し切るためにはそう思い込まないと多分無理なんだろう。

ザックが前々から「自分達のサッカーをする」と繰り返していたのは、自分達のサッカーができないことが十分予想されていたからなんだなあというのが今ならわかる。
そして予想はしていたけど、ここまで本番に弱いとはザックも想定外だったんじゃないか。
ことここに至って迷走してるかのようなザックの采配は、わけわからん交代をしたドイツ大会のジーコを彷彿とさせて、こうも繰り返されるということは、監督ではなく日本自体に深刻な問題があると考えるのが正しいんじゃないかという気がしてくる。
ジーコはオーストラリア戦で連続3失点を喫した日本のメンタルが信じられなかったそうだけど、W杯の本番でここまで本来の力を出せないということが外国人監督には全くもって理解不能なんじゃないかな。
負けることはあるとしても、自ら力を出せないまま負けるとか、彼らにしてみればありえないことなんじゃないだろうか。

もしかしたらトルシエのトルコ戦にも言えるかもしれない。
あれも不完全燃焼で終わった試合だけど、多分彼ら外国人監督からしてみれば、今ここで100%の力を出さなくていつ出すんだ?むしろなんでここで100%の力が出ないんだ?って感じなのかもしれない。
彼らは大舞台で100%の力を出せない日本人が信じがたいんだろう。普通の国ならイランのように120%の力すら出せるんだ、W杯という大舞台での高揚感にも助けられて。
でも日本はそこでなんでかわからないけど力を出し惜しみしてるかのようなパフォーマンスに終わってしまう。
歴代外国人監督のここ一番での采配機能不全の理由はそこら辺にあるんじゃないかな。
そう考えると辻褄も合うんだよねえ。

ナイーブなのかデリケートなのかセンシティブなのか、なんて言えばいいのかわからないけど、結局は実力がまだ全然足りないってことなんでしょう。
もちろんもっと優秀な監督だったら結果は違うのかもしれない。
でも自分達の力のなさを全て監督のせいにしたんじゃ先に進めないし、そもそも自分達のレベルに相応しい監督しか来ないんだから日本の問題は日本で打破するしかない。

どうすればそれができるのかわからないから、それをしようとする選手を見るためにコロンビア戦を見る。
なんとか殻を破ってほしい。
次の4年につながる戦いを望みます。



愚痴っぽくてすみません。
コートジボワールやギリシャではなく、まさかイランに落ち込まされるとは自分でも思ってなかったんですよねえ。
卑屈になることはないけど、もっと謙虚になるべきだと、ものすごく感じたイランの試合でした。
ホント、まだまだだ……。
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by teri-kan | 2014-06-22 23:17 | 2014ワールドカップ | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


by teri-kan
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