「天と地の守り人 新ヨゴ皇国編」その3

その2で書いたことの訂正も含めた再考察。
南の大陸の神官、呪術師、星読博士らのお告げについて。








前回の自分の感想を読み返して、「なんかこれは違うな」と感じ、タルシュ皇帝の臨終シーンを軽く読み直してみたんだけど、うん、神官達のお告げは正しいですね。
完全に正確とは言わないけど、概ね正しい。
タルハマヤに惑わされた自分が間違ってた。
いくらタルハマヤが強烈でも、冷静に考えねばいけませんでした。

聖地があらわれるという言い方がミソですよねえ。
常にあるという言い方じゃない。
ここの解釈が神官や皇帝が悩んだところなんだろうな。
そもそも南の人は異世界との接点がないし、読者だって異世界の春のことを指してることは推測できても、「時のない、祝福の地」という言い方がピンと来ない。
タルハマヤの泉付近は聖地っぽかったようだし、「入った時の姿のままで、100年もの時を生きられる」と言われたら、こちらとしてはやっぱりタルハマヤが思い浮かぶ。
でもあれが祝福の地かと言われたら、うーん。
スーパー独裁者になりたい人にとっては祝福の地かもしれないけれど。

しかし問題なのは、仮にロタ北部や異世界につながる場所が聖地だったとしても、そこに行ったからといって人間がそのままの姿を100年キープすることはあり得ないということです。
年を取らないという点については、お告げは間違ってるんですね。
入ることさえできればという前提がついてるけど、入れる人は限られてるし、で、入ったら異世界はどうなってるかといえば、実は時がないわけではない。
ゆっくりだけど時は進んでる。
雪解け水が干上がるまで100年かかるくらい超スローペースなだけで。

だから、多分100年間タルハマヤの宿主が姿を変えなかったというのも、完全に成長が止まったわけではなく、ちょっとは年も進んでたんだろうと考えます。
18歳から19歳になるくらいには、猛威を振るっていた間も年取ったんじゃないでしょうか。
彼女がずっと18歳のままだったというのは、タルハマヤ自身の力のせいではなく、タルハマヤと一体化することによって体内を流れる時間が異世界時間になったからで、だから南の神官のお告げの「入った時の姿のままで、100年もの時を生きられる」の実態は、そのままの姿を保持できる、というより、スローペースの時の中に身を置ける、なんでしょうね。
「時のない場所」というのとは、ちょっと違う。

とまあ、語ってきましたが、だからなんだと言うと、チャグムももしかして精霊の卵と一体化していた間は成長が遅くなっていたのではないか?ということです。
チャグムは時々異世界と一体化したり完全に入りこんだりしてるけど、その間は体の成長とか老いとかが緩くなってるのではないかなーと。
だからこれからも時々異世界に行ったりしてたら、チャグムはかなり長生きできるのではないでしょうか。
人外の寿命とまではいかないにしても、長寿を誇った帝になれる可能性、案外高い気がします。

実はこの物語にはもう一人不老の人がいて、その人のことをどう考えるかがちょっと課題かな。
例の風のような歌い手さんのことなんですけどね。
彼は完全に身をこの世に置きながら、50歳を過ぎても若者の姿をしているのですが、南の神官達のお告げを借りるなら、あれは自分の体に聖地を持ってるようなものでしょう。
「夢の守り人」を読んだ時は「不思議なこともあるもんだ」くらいにしか思わなかったけど、事ここに至って彼の不老を考えると、なんだかとてつもない気がしてきます。
タルハマヤの寿命の長さは人間に不幸しかもたらさなかったけど、歌い手の歌は人を幸福にするものですからね、100年生きてて問題なし。むしろ歓迎。

長い寿命も、聖地に入るも入らないも、結局人の意志でどうこうなるものじゃないってことですよね。
カンバルの宝石の話なんて典型的だけど、与えられた命の役割を全うすることが大切というか、むしろ人はそういう風に生きるしかないというか、そういうことをこのシリーズは延々と語っている物語なので、だから南の神官達のお告げはちょっと異質で、かえって印象的でした。

神官達は自分達こそ聖地を確認したかったんだろうなあと思いますね。
皇帝はそんな夢のような話だけで北への侵攻を決めたわけじゃないそうだけど、神官達はかなり煽っただろうなあと思います。

今更ながらちょっと悲しい気分になりましたね。
まあナナイも似たようなものだったと思いますが、ヤクーの人々はいろいろと災難でした。




[PR]
by teri-kan | 2015-02-27 16:44 | 本(上橋菜穂子) | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< ピアノ協奏曲 イ短調 作品16... 表現の自由の説明の疑問 >>