「SWAN」ドイツ編 その7
2016年 03月 18日
うーん、むーん、いやー、そのー、この感情を言葉にするのは難しすぎるー。
書けば根本的な部分の話になってしまうし、それを言っちゃあおしまいよだし、でもとうとうこの時が来てしまったからなあ。
うーーーー。
この思いをどうすればいいのやらーーー。
そうです。
恐れていたことが起きました。
「オテロ」の舞台に上がらないなんてことになったらイヤだなあという恐れが、現実のものとなってしまいました。
やっぱりここで来るんですね。
予感はしてたけど、実はあまり考えないようにしてたんですよね。
純粋に真澄の「オテロ」が楽しみだったから。
エドと踊るのも楽しみだったし、サムにビシビシダメだしされるのも楽しみだったし、この舞台でダンサーとして一段高みに上ることも楽しみだったし、本当にいろいろと楽しみだったんですよ。
なんか雲行き怪しいなと思いつつも!
でも来ちゃいましたからねえ。
……うん、やっぱりそうか。
やっぱりここで来るのか。
まあそりゃそうだろうね。
ホント困ったなあ。
誤解を恐れずに言えば、素直にショックでした。
ショックを受けた自分にショックを受けるほどに。
マジでショックを受けて、我ながらビックリするほどに。
でも自分が「SWAN」に何を求めていたのか、これではっきりとわかりました。
マンガの読み方なんて様々だけど、自分にとってはもう、真澄は踊ってナンボ、踊らない真澄なんてアリエナイ、踊れない真澄もアリエナイ、真澄が踊れない「SWAN」なんてクリープを入れないコーヒー、うんにゃ、味噌を入れない味噌汁、スパイスを入れないカレー、肉の入ってない牛丼!ってことだったんですね。
実はモスクワ編が始まった時、リミットは妊娠までだなと秘かに覚悟はしていました。
これまでのようなスポ根真澄が楽しめるリミットのことです。
でも頭では覚悟してたのに、実際その時がやってくると、なんかもう衝撃が違うんですよね。
どう考えても妊娠しかありえないシーンの登場で、やたら感じてしまいましたよ、「あ、終わった」って。
一人の女性のバレエ人生を描くのに、妊娠・出産はあって当然のものだけど、少なくとも現時点で自分が真澄に期待していたのは、そういうものじゃなかったんですよねえ。
「まいあ」を読んでるからわかってはいたことなんだけど、でもグングン成長してしかるべきこの年齢にこれかよと、いろいろとアリエナイ感に襲われて、なんかもう心の中がモヤモヤです。
こっちはバレエが上手くなる真澄が見たいんですよ。
舞台上の真澄が喝采を受けて、世界的なバレリーナになるところが見たいんですよ。
妊娠・出産が女性を大きく成長させることは百も承知で言いますが、それでもやっぱり今じゃないだろと、どうしても思ってしまうんですよ。
ノイマイヤーにチャンスを与えられて、なのにこんなのってアリ?
もともと真澄は普通じゃないけど、普通じゃないにしてもほどがあるでしょー。
とまあ、思いを吐き出してみましたが、うーん、そりゃねえ、避妊は完全じゃないですよ。失敗も珍しいことではないけれど、でもなんだろうね、これ。
え!? まさかなんもしてないとは言わないよね?
「雰囲気で~」とか言い出したらコロス。
ダンサーのくせに何やってんだか。
レオン、一体どのツラ下げて弁解するんだ。
これでお話はそっちへ流れちゃいますよねえ。
オテロよ、さらば。
デズデモーナ、さようなら。
まあ今回レオンと踊って何やら真澄的には現時点での100パーセントを皆に見せることはできたし、「オテロ」はこれでいいのかな?
レオンとの関係がある地点へ到達したところで「オテロ」がお役御免になるのはわかってたし、公演より前にそこへ辿りついちゃったから、もうこれはしょうがないんでしょうね。
でもね、やっぱりモヤモヤしてしまうなあ。
モスクワ編、ドイツ編の根本的な在り方に思考が及ばざるをえないくらい、モヤモヤしてしまう。
こんだけ楽しませてもらって、実際毎号楽しみにしてるのに、こんなこと言ったらヒンシュク買ってしまいそうだけど、結果のわかっているラブストーリーには、やっぱり限界があるんですよね。
真澄とレオンはあの後結婚したらしいよー程度の、漠然とした情報ならよかったんですが、「まいあ」を通して確定された未来を既に示されてるから、過去の恋愛話が描かれても、どうにもこうにも波瀾万丈になれない。予定調和でしか進めない。
そりゃレオン好きだけど、「モスクワ編」でなんでこっちもセルゲイエフ先生にあれこれそわそわしたかというと、先生の物語は先が読めなかったからなんですよね。
もともと内心が読めなかった上に、先も読めない先生は、そりゃ魅力的でしたよ。
先が読めてるレオンはその点が弱い。
読めててなお力のある作品として読者に読ませることができてるのだから、それはものすごいことなんだけど、やっぱりこうしてみると、真澄とレオンの未来があまりにはっきりしすぎていたのは、過去をマンガとして読むという意味においては、ちょっと辛いものがあったかなあと思います。
おそらく次号は産むか産まないかといったことで騒動があると思うけど、産むことは確定してるし、となるとしばらく真澄は舞台に立てないし、ドイツ編は終わりに近づきつつあるのかなと考えます。
寂しいですが、確かに永遠に続けられるものじゃないし、区切りとしてはここがよい区切りなんでしょう。
次があるなら出産後で、NYから帰ってストーリーが1年後から始まったみたいな感じになるのかな?
いや、次があればの話ですが。
真澄とレオンの関係は、これ以上描きようがないようにも思いますしね。
ある意味今号の二人は「なんだか完成形じゃん?」っていう感じだったし、「わかった、二人で頑張ってくれ」としか、もう言いようがないような。
「レオン、振付家への道」というのがあるけど、こっちがメインで見たいのは真澄の成長物語だしなあ。
成長のためにもレオン以外のいろんな人と踊ってほしいんだけどな。
だって「SWAN」は真澄が踊ってナンボのお話だから。
そして、バレエが何よりも大事な女の子(女性)の話だから。
でも妊娠中は舞台に立てないし、生まれたら子供を優先せざるをえないよね。
この真澄の年齢であの真澄がそういうことに頑張っていけるのかどうか、どんなもんなんでしょうね。
うーん、これからどうなるのでしょう。
今号はあまりにラストが衝撃すぎて、他に何も感想書いてないけど、それまでのイイ話が吹っ飛ぶほど衝撃を受けました。
実際、デズデモーナ役は吹っ飛ぶでしょうしね。
自分もなんだか吹っ飛ばされたし。
なんかねえ、いろいろとショックですわ。
まあとりあえずこれだけは言っておこうかな。
レオンのバーカバーカ。
ドイツ編、あとどれくらいなのかなあ。
年を重ねて読むと新たな発見や共感する部分もあってすごく新鮮でした
また来ます^_^
こんにちは、はじめまして。
絵の古さは仕方ないですよね(苦笑)。
最近のマンガの絵は昔とは違うし、それを言うなら今時のアイドルの顔も昔とは違いますもんね。
でも良いものは良いと、私も思います。
私も古本に出したものが結構ありますが、とっておけばよかったと思うことはあります。
ある時ふと読みたくなったりして、でも今では絶版という作品、結構ありますから。
同じ作品でも今読んでみると印象が違ったりして面白いんですよね。
ブログに書くときはなるべく当時の気持ちを思い出して書くようにしていますが、それに共感していただけたら、同年代(多分そうですよね?)としては嬉しいです。
また気が向いたらお越し下さい。
コメントどうもありがとうございました。
お返事ありがとうございます。
40代とだけ言っておきます、私の方が上かもしれないですね(^ ^)
思い返すと漫画を読んでたのも高校生までで、大人になると自然と漫画から離れ、今の漫画事情に疎くなり読んでみたい作家さんが分からず、それでまた読まないというスパイラルの中で20年以上経ち、少し自分の時間ができた今、再読したい気持ちがあふれてきた感じです。
大人になり読んだのもドラマの影響で、花より男子とのだめくらい。のだめに関しては俳優の印象がきつすぎて、漫画のタッチが受け入れられず読了するのに時間がかかりました^^;
となると、昔に読んでた漫画に戻ろう、やっぱり面白いわあ、買い戻しかあ、ああー古本に出さなければあ、オークションで探そう、って感じです(ー ー;)
ガラスの仮面も王家の紋章も私が死ぬ前になんとか最終回を!ちなみにクリスタルドラゴンもまだ終わってないのですかあ、あしべ先生の悪魔の花嫁はどうですか、好きでしたよお
脱線しましたがまた来ます(^-^)
こんにちは。ご丁寧にありがとうございます。
>今の漫画事情に疎くなり読んでみたい作家さんが分からず、それでまた読まないというスパイラル
これはとてもよくわかります。
特に熱心な方以外は皆様そんな感じなのではないかと思います。
私も馴染みのある漫画家に偏ってますし、新規開拓する気力はさすがにありません(笑)。
>のだめに関しては俳優の印象がきつすぎて、漫画のタッチが受け入れられず
これもわかるような気がします。
でもミルヒーは逆で、ドラマでは最初批判されてた記憶があります。
ミルヒーを日本人俳優が演じるというところにそもそも無理があるわけですが、でも慣れたらドラマのミルヒーはあれはあれといった感じで受け入れられましたし、やはり慣れが大事なんでしょうねえ。
「ガラスの仮面」と「王家の紋章」は完結したらまとめて読もうと思って中断し、既にウン十年たちました(笑)。
長い作品に限って終わらない、というものなんですかねえ。
「クリスタルドラゴン」は追いかけていますが、「悪魔の花嫁」はやはり止まっています。
読みだしたら中途半端に終われないし、一度離れるとなかなか手が出しづらいんですよね。
いつかは読み直したいと思ってる作品、そう考えてみれば多いなと、私も改めて思いました。
わたしのマーガレット展に行ってから懐かしくて「SWAN」を読みたくなり、ネットで探して買い揃えました。
なぜなのか、子供の頃に買った「SWAN」半年前に処分してしまったので、すごく公開しています。
ずっと続いていた事も知らず、真澄とレオンはどうなったのかとあれからずっと思い続けていました。
誰かブログに書いていないかと思い、探してやっと辿り着き、季刊の本は買っていないので、ドイツ編①が出てから次までが待てず、ネタバレ記事を探していたので記事を見つけた時はとても嬉しかったです。
大人になってから読む「SWAN」は、内容も大人になっていましたね。
真澄とレオンの関係、こうなるとは思っていましたが、私的には出産後の真澄がどう復活するのかを知りたいですね。
子供を産むと、思う様に動かなくなる物です。
レオンがどうサポートするのか、と言うのが見たいものです。
こんにちは、はじめまして。
コメントどうもありがとうございます。
半年前に処分とは、これまたなんというタイミング。
後悔してもしきれないですよね。
お気の毒としか申し上げようがないです。
29年後に連載が再開されるなんて誰も思いませんし、案外そういった方は多いような気がします。
大々的に宣伝してるわけでもなく、どれだけ「SWAN」を好きでもモスクワ編もドイツ編もまだ知らないという人、結構いらっしゃるんじゃないでしょうか。
うん、なんだかすごくもったいない気持ちになってきますね。
>出産後の真澄がどう復活するのか
二人の子供を主人公にした「まいあ」を読む限り、レオンのサポートは悪くはなかったと思われるので、「まいあ」をとりあえず読んでみるというのはアリかもしれません。
出産直後のことは想像するしかできませんが、想像の助けにはなるかも。
「まいあ」はレオンと真澄がその後どういうバレエ人生を送っているかがわかりますので、読んで損はないはずです。
もう既に読んでいらしたら「ごめんなさい」なのですが、もしまだでしたらご一考下さい。
以前一度だけ、コメントを入れさせて頂きました。
今回は節目、という感じもするのでまた、お邪魔します。
ついにxday(笑)が来てしまいましたね。
「モスクワ編」ではアグリーダックがリリアナの死やセルゲイエフ先生との関係性、二人のパートナーシップと上手く関わっていて良く理解出来ました。しかし、今回の「オテロ」は何が言いたいんでしょうか。
少なくとも、レオンは自己統御して、舞踊表現を考えている様には見えない。寧ろ、十代の頃の方が、ストイックな表現者だったような気がするのは私だけでしょうか。
別に実生活でオテロを演じる必要などないのでは、と突っ込みたくなります。私はクリスが役を理解する為に思わせ振りをしているのは、と邪推しています。
ダンサーはその役にのめり込むと実生活でも憑依しちゃうんでしょうか。その辺は詳しくないので判りません。
それとSWAN本編でも感じましたが、実在する人物を描くと、何となく硬直した雰囲気になって、真澄やレオンもイキイキしない様なぎこちなさを感じます。
女性にとって、例え望まなくても、芽生えた命にきちんと向き合う覚悟というのが、後に本人を輝かせる原動力になればいいと思います。
ドイツ編のレオンの辺の根源的な悩みは、後年、ダンサーから振付師に移行する伏線なのかなと思って読んでいました。昔の真澄が、誰と踊っても違和感を感じていたのとは意味もレベルも違う壁でしょうけど。
真澄は果たして、オテロの舞台に立てるのか…。出来れば、一度くらいは見て見たいというのが私の願いです。
長々と失礼いたしました。
またの更新を楽しみにしています。
こんにちは、お久しぶりです。
コメントありがとうございます。
実は出たばかりの夏号の感想文がなかなか進まず、四苦八苦しているところです。
仰る通り「オテロ」の意味が捉えにくいんですよね。
>別に実生活でオテロを演じる必要などないのでは
>ダンサーはその役にのめり込むと実生活でも憑依しちゃうんでしょうか
昔の本編でも、例えば「森の詩」は役と実生活がリンクしていたと思うのですが、実生活での感情を役に乗せてバレエを良いものにするという方向性がはっきりしていたように思います。
その逆はほとんどなかったというか。
役は役、私生活は私生活でキッチリしてて、確かレオンも昔はそういうのがパートナーの理想なんてことを語っていました。
今はレオンと真澄の関係性も変わって、どんどん深め合ってますって感じだから、これが進化ということなのかもしれません。
いやもう私もよくわからないんですが、多分この二人に関してはそういうことなんでしょう。
この先を想像しても、二人で創作して二人で踊るって、バレエも私生活もずぶずぶってことだし、実生活でオテロを演じるくらいかえって必要なのかもしれませんね。
>少なくとも、レオンは自己統御して、舞踊表現を考えている様には見えない
>十代の頃の方が、ストイックな表現者
昔のレオンの方がバレエ哲学といったものがわかりやすかったですよね。キャラがはっきりしてました。
今は丸くなったのはいいけれど、丸いレオンはちょっと……。
難しいキャラクターですよね。人物造形に苦労してらっしゃるのかもと最近思うようになりました。
魅力的であるかどうかが最も重要な人なので、どういう道に進んでもそこは外さないでほしいと思いますが、今は少々懐疑的になっています。
>真澄は果たして、オテロの舞台に立てるのか…。出来れば、一度くらいは見て見たい
同感です。
でも無理っぽいかも(涙)。
スワンマガジンの最新刊の感想も拝読しました。まだ、私はこちらは読めていませんが、新しい展開はない訳ですね。いつも的確な感想を書いて頂き、興味深く拝見しています。心理などを犀利に分析されていて、本当に面白いです。
どうやら、「確定」という事らしいので、取り敢えず、真澄には私から「おめでとう」という事なんですね。
本編の「森の詩」も確かに実生活とリンクしていましたね。
草壁さんと京極さんと葵さんの四画関係(笑)。そこに青石さんとの関係もある。あの章は、真澄の人間性を深めるいいエピだった、という印象がありますが、あそこで描かれていた草壁さんへの片思い(コンクールまで続く)って一体何だったのか、と思ったりします。
真澄はモスクワ編でも思ったのですが、同性への思いの方が、強い。森の詩でも、京極さんを思う気持ちやライバル関係とか、心に秘めた嫉妬の方が強かったと思います。リリアナの場合もそうだし…。というか、ただ、人が変わっただけで、その構図は同じ様な気がしないでもないんですけど。(少し辛辣かなあ…)
敢えて、独断的な決めつけをしますが、真澄は草壁さんもルシイも好きではなかった(というか好きだという幻想だけ)。ずっと思っていたのは、セルゲイエフ先生だったのではないか。真澄がコンクールの後、モスクワ留学を断ったのは、リリアナとの直接対決を怖れる気持ちと、先生とこれ以上関わると本当の自分の気持ちに気づくかも、と無意識に考えたからだ、と思います。草壁さんを好きだ、と思ったのは、セルゲイエフ先生との関わりが出来てから、ですよね。年も違い過ぎるし、師弟関係出し、という感じでその恋心すら、きちんと把握できず、身近の人に転嫁していたのかもしれない、と。
モスクワ編からの流れを見ていて思うのは、やはり、有吉さんはくどいくらいに心理や行動を書き込まないと伝わってこないという事。そして、抽象的な言葉に頼り過ぎている、という感じがします。それだけ、真澄たちが進化したという訳でしょうか。行動そのものや作品に向き合い、解釈する生みの苦しみを描きこんで欲しかったな。もう十年早く、このシリーズを再開されていたら、せめて月一の連載で読者が楽しめる環境にあったらなあ、と思います。
勝手な推論を展開してしまって申し訳ありません。
また、お邪魔させてくださいね。
面白いと思っていただけてるとのことで、ありがとうございます。
>真澄はモスクワ編でも思ったのですが、同性への思いの方が、強い。
真澄ってホントにバレエありきなんですよね。
同性への思いが強くなるのもそのせいと言いますか、バレエの成長を描くために真澄に足りないものを持ってる女性ダンサーを登場させるので、結果的にそうなってるのかなと思います。
最初は技術が足りないことが課題で、青石さんの場合は家族背景も含めた踊ることの意味や自覚の問題、NYのマージは音の表現に内面をどう裏打ちさせるかといった問題、そして今回の「オテロ」は容姿の問題が取り上げられました。
技術や表現力では問題なくなったからいよいよ容姿か、という感じでしたが、それもラブラブパワーで解決。
もうインパクトのある同性ダンサーは出てこないのかもしれないなと、完成された真澄を見て正直寂しく思っています。
>ずっと思っていたのは、セルゲイエフ先生だったのではないか。
おお、これは!
思っていてもあまり言ってはいけないと思っていたことを(笑)。
これは本当に仰る通りといいますか、これで先生を好きじゃなきゃおかしいだろといいますか、真澄と先生のある種異様なストイックさとプラトニックさは「SWAN」を随分めんどくさいものにしてしまったと私も思います。
70年代の少女漫画ならこれくらいストイックで多分OKなんですよね。
でもその延長で30年後に続きを描くといろいろ難しいことになる。
「モスクワ編」開始には大喜びしたものでしたが、読めば読むほど「もっと早くに描かれていたら」「本編終了後すぐに描かれていたら」と感じてしまうのはしょうがなかったですね。
レオンじゃなくて先生にしたらいいんじゃないの?って正直思いましたから。
長いブランクがあったせいでレオンは割を食ったと思います。
おそらく有吉さんも年齢的に若い頃の方がレオンは描きやすかったのではないでしょうか。
(続きます)
>抽象的な言葉に頼り過ぎている
おかげでこっちはあーでもないこーでもないと頭を悩ませるばかりですが、それが楽しいとも言えるので、まあそれはそれでいっか、と思っています。
先生とのことはもっとはっきりしてほしかったと思いますが。
この二人はホントに一回くらいどうにかなったってよかったんじゃないかと思いますね。
真澄の先生への思いの決着の仕方は、やはり不満が残ります。
>勝手な推論を展開してしまって申し訳ありません。
私自身が推論を垂れ流してるので全然問題ないです。
いろいろ気付かされたことも多く楽しかったです。
またお時間ができましたら是非お寄り下さい。
たくさんのコメントありがとうございました。