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生産性

難しい……。







例の議員の文章は読んでないけど、さすがに大きく話題になったので、いろいろ考えざるをえなかったです。
だけどそれをここに書こうとして、ボツ・書き直しをもう三回も繰り返してる。

誰かを不快にしてはいけないというプレッシャーがものすごく、そのくせ分量が膨大になるんですね
膨大になればなるほど厳しくなるから簡潔に書こうとするのだけど、そうすると言葉足らずになるかもという悩みが現れ、結局このことについて触れるのは止めた方がいいのかな、というところに落ち着きそうになる。

本当に難しいです。
ただ、書きにくい中でもこれは言ってもいいかもしれないと思うのは、LGBTの問題とやまゆり園の問題を同じものとして語るのは止めた方がいいんじゃないかということ。
排除の論理でくくることができるとはいえ、LGBTは「生き方の多様性を社会はどこまで受け入れられるか」という問題で、やまゆり園の方は「命が存在するとはどういうことか」といった問題。
ここを一緒にして差別主義に対抗するのはいいけど、多分それでは社会的に建設的な方向には向かないんじゃないかな。

LGBTを社会で受け入れるかどうかというのは、彼らの結婚を受け入れるかどうかということだと思うのだけど、「性のタブーのない日本」の感想でも書いたけど、日本の婚姻制度は子供のためにあるものだから、子供を作れない彼らに婚姻という制度は必要ないのでは?という理屈が、多分反対してる人の中にはあるのだと思います。
夫婦関係が破綻しても子供の為に離婚しない夫婦は現在もゴマンといますが、婚姻とは子供につつがなく財産を継がせるためのもの、相続のために子供の父親と母親が誰かを法的に明確にさせるためのもの、といったものであり、近年では父親と母親が揃っていた方が子供の成長のために良いから、といったものと言ってよいかと思います。
日本における婚姻とは長らくそういった価値観でした。

この価値観からいえば、LGBTのカップルを法的に認めるというのは、なかなか厳しい。
でも現代は男女間の結婚も昔とは変わってきてるし、生き方は多様になりました。
個人が幸せであることを求める社会なら、どういった組み合わせであれカップルを婚姻という制度で保証するのはアリでしょう。
そしてそんな社会になるなら、子供は社会で育てるものという意識を強くしていくことが大事ではないかな。
もちろん老親の介護も社会で行う。

子供がいるからといって、生産性があるとは言えなくなってますからね、今の日本。
親の資産を継ぐべき子供は都会に出て、かつては生産性のあった土地が耕作放棄地や空家として、今では生産性マイナスといったことになっている。
親の介護のために都会の職を辞めて田舎に戻り、生産性がなくなった介護生活の果てに親子で自滅とかも起こっている。
生産性で個人の価値を測ることはできないけど、生産性がなければ生活は立ちいかない、社会は回らない。
そのバランスをとるのが政治なんだけど、無駄に炎上を起こしてるようではね……。

ことはLGBTの結婚の問題だけではないです。
日本の婚姻制度、家制度そのものの問題。
職の選択の自由を得た子供が親の後を継がなくなった時から、日本の婚姻制度は綻びが進み続けてる。
家を継ぐという意識がここまで希薄になった現在、子供を作れないから~なんて理由は意味がない。
古い結婚の価値観を完全に捨て去れとは言わないけど(それによるメリットはあったと思います。日本における老舗の多さ、伝統の継承という意味では間違いなくあった)、でもそれだけに固執するのは今はもう難しい。
子供を作りたい人が心置きなく作れる環境と、周囲がそれを支えていける環境、社会が温かく見守れる環境、これを整えることを政治家には頑張ってもらいたいですね。

……とまあ、言うはやすしなんだけど、実際難しいですよねえ。
考え方は人それぞれですしね。
あ、無理して欧米の真似をすることはないと思います。
たどってきた歴史が違いますから。
それよりは古代からの日本の性愛・結婚の歴史を知る方がいいのではないかと。
これまでどうやって歩んできたのかを知れば、今後の多様化への適切な道筋も見えてくるかも。

とにかくいろいろと知ることが大事なのかなと思われる、今回の件でした。




Commented by at 2018-08-25 11:04 x
こんにちわ。そろそろ秋めいてきたのか涼しくなってきました。
といってもここ十数年は温暖化の影響か春短め→夏長すぎ→空き短め→冬長すぎみたいな感じですが。体調気をつけねば。

生産性も含めた婚姻・個人など人間の生き方の問題を考えると結局のとこ社会における人間たちの「家族的」集団性の枠組みに雁字搦めになっちゃいますね。
自己責任だけど自立を要請するのって一見独り立ちさせるようでいてその実その人が所属する共同体の移行(家族→学校→職場→もっぺん家族)になっちゃってる印象が強いです。
なのでそういう形ではない人間に対しての風向きが「自立のリツ=孤立のリツ、個人のコ=孤独のコ」みたくなっちゃうのかと。

元々は儒教、論語の「親は子の為に・子は親の為に隠す」あくまで家族内での親子関係(いいお父さんとお子さん)による孝行の例題でしかなかったお話を「組織集団を体系づけ継続させる規律・規範となす」ことから(まだ仮の)朝廷が仏教と同時に採用してしまったことで始まってんのかなと思ってます。だからこそ「貴し和=隠蔽」でもあるんですけども。

>古代からの日本の性愛・結婚の歴史
最近はあんまし学ぶと勘違いする輩も出てくるかなあ、と思ってまして。何をもって生産性となすのか?についても色々あるんですが人間の営み方面でいうと性行=出産と並び立つのが食=農耕の稲(お米)がミンゾクセーとかいうので際立ちますね。
そんな豊饒への賛歌・共通性が自分たちの性行為を「動物的交尾活動」ではなく「植物的萌芽活動」として後ろめたくはない晴れがましいものなり、結果歴史的な長さを持つ性の許容性(てか男の一人合点)の一部となっていったんだな、と思いました。
なので現代でも「男のスケベ根性→基本的にOKなもの」と考えてるのが多いわけでしてー。
Commented by teri-kan at 2018-08-26 17:57
創様、こんにちは、お久しぶりです。

「家族」をどう捉えるかで考え方に違いが出てくる問題ですよね。
中世前期のヨーロッパの家制度に関わる本を今ちょうど読んでるところなんですけど、あちらとは家とか相続とかの成り立ちや考え方が違いすぎて、同性婚を認める国は海外で増えてきてますけど、同じような結婚観はなかなか日本では持てないだろうなと思います。
もともと個人ありきの欧米と、家があっての個人という日本では、同じ土俵で意見を戦わせても完全な一致は難しい。
理屈では個人の幸福が第一だと考えていますが、社会全体でと考えると、婚姻の問題はやはり簡単な話ではないです。

>最近はあんまし学ぶと勘違いする輩も出てくるかなあ、と思ってまして。

それ、ちょっと思います。
歴史は一種類ではないと心して学ぶべきなのでしょうが、自分の考えに合う歴史を求めてしまいがちになりますよね。
この件に関しては範囲も広すぎるし、本当に難しいです。
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by teri-kan | 2018-08-24 23:58 | 事件・出来事 | Comments(2)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


by teri-kan
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