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包囲下のレニングラードとショスタコーヴィチの交響曲第7番

NHK-BSで放送された「玉木宏 音楽サスペンス紀行〜ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番」。

前回の「未完成」が良かったので今回も見てみたのだけど、いやあ、ショスタコーヴィチなのでねえ、事情が複雑でこれまた辛かったですねえ。

この交響曲第7番「レニングラード」、今ではとても好きな曲なのですが、初めて聴いた時は「なんじゃこりゃ!」だったのを覚えています。
同じショスタコーヴィチでも5番「革命」とか12番「1917年」とかだと、まだちょっとは馴染みやすいのに、同じ副題付でこの硬質感、この色のなさは一体何!?と思ったものでした。

後に7番はロシア革命を題材にした曲ではなく現在進行形の第二次世界大戦の曲だったと知って、その時はそれなりに「なるほど~」でしたが、でもその内実はこの放送を見るまで全然わかっていませんでした。
レニングラード包囲戦、あんなにも過酷だったとは。

というわけで、ここから先はこの曲をめぐる政治状況についての感想です。







ナチスのいきなりのソ連侵攻、レニングラード攻撃は、歴史的事実として年表的には知っていたけど、これまで特に興味が持てなかったのは、所詮ファシズム対共産主義だよねーという意識があったからなのですが、まあようするに、ヒトラー対スターリンなのですよ。
こっちからしたら「どっちも滅んでしまえ~」な二人であり二国なわけです。
でもレニングラード市民は何の罪もない普通の人達なんですよね。
そこんとこ冷酷な事実を突きつけられたって感じの番組内容でしたね。

ファシズム対共産主義という戦いなのに、スターリンはうまうまとファシズム対ファシズムに抵抗する正義の俺達、という図式に塗り替え、そのプロパガンダに乗ったアメリカがこれまたえげつない商魂を露わにし、この辺の汚さと醜さがもう「うへえ」な感じの内容で、見ていてショスタコーヴィチと7番が気の毒で耐えられないほどだったんですが、それでもね、やっぱり今こうして残っているのは音楽なのです。
7番の曲の素晴らしさと強烈なメッセージなのです。

ショスタコーヴィチ、7番に限らず生涯を通してあんな時代のあんな国に生きて、本当にしんどかったと思いますが、でも芸術家は何をしてでも生き抜くことが大事なんですね。
自分の真意を裏に込めた曲しか作れなくても、作品さえ作っていれば後年その意図を理解してもらえるかもしれないのです、真に自身が天才であるならば。
そこは自分の力量と信念と人間を信じるしかありませんが、ショスタコーヴィチはそれが出来た……ということか。
こうして現在も演奏され続けてるというのはそういうことなのだと思います。

スターリン肝入りの第7番は「ヒトラーのドイツに屈しないぞ!」というメッセージの強い曲としてソ連でも(番組内ではアメリカにも)大事にされましたが、ショスタコーヴィチの真意としては、ファシズムだけでなく魂を束縛する社会体制にも抵抗しているのだ、つまりはスターリンにも抵抗しているのだ、ということでした。

スターリン、今更言うまでもないですが、この番組でもどれほど猜疑心の強い独裁者だったかということが紹介されています。
印象的だったのはモスクワの地下指令室と会議室。
会議室の音響がヒソヒソ声も聞き逃さないような造りになっていたのですが、その部屋の音の反響の仕方がですね、とてつもなく気持ち悪いんですよ。
本当に気持ち悪いんです。
あれだけでスターリンいやだーって感じ。

大粛清の犠牲になった人達は本当に気の毒でした。
レニングラード包囲によって餓死、凍死した人達もとてつもなく気の毒だ。
レニングラードを包囲したヒトラーはまぎれもない人非人だし、そもそもソ連を支配してたスターリンが歴史上最悪を争う人非人。
やっぱり近寄りたくない話ですよね。
共産主義の独裁社会とファシズム。
レニングラード市民はその両方に痛めつけられた大変な犠牲者でした。

だからこそ、ロシア人にとってのクラシック音楽の意味の深さに驚かされます。
よくまあ900日間を生き延びたし、多くの人が死んでいく中を耐え抜いたし、コンサートを開催できたものでした。
ロシア人にとっての音楽のようなものって日本人には何に当たるんだろうかと、見ながら考えさせられましたよ。

一つ番組的に残念だったのは、じっくりこの曲を聴かせてもらえなかったこと。
第1楽章だけでも(それすら長大だけど)抜粋でいいからもうちょっと流すことはできなかったかなあ。
もしくは、別に演奏番組を設けてそれを告知するとか。

とっつきやすい曲ではありませんが、真面目な話の後に書くのは気がひけるけど、大変カッコいい曲なのです。
普通のクラシック音楽に見られるようなロマンチックさはないけれど、ある種の興奮、異質な高揚感は感じられます。
この番組を見た方なら「なるほど」と納得できる曲だと思う。

前回の番組で玉木が案内した「未完成」は苦しみの中にいる人々の心そのものを表した音楽だったけど、それと比較するなら今回の第7番「レニングラード」は人々の苦しみを作り出している状況を描いた音楽って感じかなあ。
ナチスドイツの侵攻によって苦しむ人々のための音楽として取り上げられた二曲だけど、曲の性格は違いますね。

第7番を聴きながらこれを書いてるんだけど、今にも攻撃されるかもしれないという時にこんなリアリティあふれる曲を聴くというのは、一体どういう感じだったんだろうと思います。
恐怖の中にあって讃美歌とかを歌って神にすがるとかいうんじゃなくて、今の苦しみと恐怖を生々しく表現してる音楽を砲弾が飛んできそうな中で聴くというのは、なんかちょっとすごいなと。
まあ、神にすがろうにもソ連では宗教は弾圧されてたから無理なんだけど。

神もいなくてよく極限状態を耐えられたなあと、これまた考え込まされるんですが(日本なら神に祈り仏に祈りご先祖様にも自分達を守ってくれるようお祈りしますよねえ)、だからこそ音楽に救いを求めるというのがあったのかなと思いました。
番組内で再現されたオーケストラの練習は聞くも無残で、寒さと飢えでボロボロの体で奏でた音はまさしくボロボロだったのですが、それでもあの状況で楽団員を正気に保たせていたのは楽器を演奏できていたからだったという言葉には、厳粛な気持ちにならざるをえませんでした。

「未完成」の時もそうだったのですが、人の魂と音楽は密接に結びついてるんですね。
前回に続き、音楽についていろんな面から考えさせられる番組でした。
次の曲も期待!




by teri-kan | 2019-01-11 00:00 | 音楽 | Comments(0)
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