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「スサノヲの正体」その1

副題は「ヤマトに祟る荒ぶる神」。
戸矢学著、河出書房新社。

著者のこれまでのスサノヲ考察のまとめといった一冊です。
その分情報がたくさん。
でも頭の中で整理するのが相変わらず難しい。
「ヤマタノオロチ退治」に暗示される部族連合討伐と、「国譲り」に暗示されるオオクニヌシ殺害&一族の出雲への強制移住と、「神武東征」によって殺されたナガスネヒコと彼が仕えていたヒギハヤヒの正体。
この三つの事件の関係性がホントに難しい。

多分わざとわかりにくく書いているんだと思う。
ヤマト政権の正当性を嘘なしで捏造した日本書紀に対抗するのだから、そりゃ解説も複雑怪奇になるってか。
いや、単に私の脳の働きが悪いだけなんだろう(涙)。
今まで著書を読んでも曖昧なところはそのままにしてたけど、本作はいよいよそれを許してくれそうにない。
情報とヒントはふんだんにあるから、後は自力でなんとかしなければならないのだ……。





秦の始皇帝の命を受けて蓬莱山を目指した道教の方士・徐福が、紀元前210年頃に現在の出雲に来た、というのはわかる。
「すがすがしいところ」だったので「須賀」と名付けたその地で「須賀の王、スガノオウ」となり、そこを一行の拠点としつつ、徐福は蓬莱山を目指して更に海を東に向かい、北陸からおそらく諏訪を通って富士山を見つけ、「これこそ探し求めた不老不死の山、すなわち名は富士山」として、その霊威を取り込むための場所に新たに宮を築く、これが埼玉の氷川神社、というのもわかる。
氷川神社を中心とした関東の王国は徐福が建てたもので、神社の祭神がスサノヲになっているということは「徐福=スサノヲ」、これも納得できる。
埼玉には古墳も多く、立派な剣も出土していて、スサノヲ由来の国があったことは間違いない。
徐福の山となった富士山がスサノヲの名と一体となり、噴火する富士が後年スサノヲという神の荒ぶる性質に結びつけられたのも徐福のカリスマゆえ、彼の国の偉大さの証拠でもあるでしょう。

というように、関東の項だけを読んだら関東の王国は立派で、オオクニヌシはスサノヲの子孫と言われてることもあって、まるでここが「国譲り」に該当する国のように思えてくるんだけど、ところがどっこい当然そうじゃない。

徐福の子供、あるいは子孫が各地に散って、例えば現在もスサノヲに関係する神社が多くある筑紫や尾張に彼の王子がそれぞれ国を建てた、という仮説はアリだと思う。
紀伊に入った息子のイソタケルはきちんと樹木のお話として残ってるし、当時の日本で徐福一行のもたらした知識や技術は段違いなので、行った先々で彼らはリーダーになれたでしょう。

ただ、大和の王となったオオクニヌシに話が及ぶと脳が混乱をきたしてくる。
出雲と名の付く場所は日本に大きく二つあって、それが島根と京都なんだけど、元々は大和の三輪に住んでいた縄文系の一族をイズモと呼んでいたのが先だそうで、今の島根が出雲と呼ばれてるのはそのイズモ族の人達が戦いに敗れ三輪を追い出されて島根に移住させられたから、なのです。
古事記に書かれている「出雲を舞台にしたオオクニヌシ物語」はその三輪を中心とした大和の方。(だからこの物語は「出雲風土記」には書かれていない。)
ようするに「国譲り」の結果オオクニヌシは霊を島根に祀られることになるけれど、彼に仕えていたイズモ族の人達もついていくことになった、他の地域にもいくつか出雲という土地があるけれど、そこも分散して移住させられたイズモ族が辿り着いた場所である、ということらしい。

で、ここからまたややこしくなるんだけど、ヤマタノオロチ物語も実際は大和が舞台で、オロチは当地の部族連合を暗示したもの、ということなのです。
ここの説明がヒジョーにわかりにくいんだけど、本書を読んでると「国譲り」と「ヤマタノオロチ退治」がどうも同じ事件のように思えてくるんですよ。
オオクニヌシは大和のあちこちにいたスサノヲの末裔のリーダー達の総称ではないかと書かれてて、ようするにヤマタノオロチという部族連合とはそういうことなのではと。
確かに三輪山といえば蛇伝説で有名だしね。
神話ではそれをスサノヲが討ったことにしてるから複雑極まりないことになってるけど、でも部族連合を倒したのは渡来神(いわゆる外国人)である方が記紀の編纂者にとっては都合がよかったという解説がされてて、もうホンマややこしいったらない(苦笑)。

でもここからが更に問題で、その何年後か何十年後かに起こる神武東征で神武が倒した大和の国は「先代旧事本紀」によると「物部氏の祖であるニギハヤヒの国」だから、単純に考え合わせると「オオクニヌシを倒したのは物部氏」ということになるんだよね。
神武東征で物部氏の国を横取りしました、なんてヤマト朝廷の歴史書が正直に言えるはずないので「日本書紀」では神武東征では物部氏のことがわからないようになってるけど、それでいくなら「国譲り」と「ヤマタノオロチ退治」も物部氏の名を出せるわけがなくて、どうも大和の興亡の歴史から物部氏はことごとく取り払われてるように見える。

そして更にややこしいことに、スサノヲはヤマタノオロチから草薙剣を取り出したことになってるけど、どうやら草薙剣の方は大和のヤマタノオロチ話とは関係なく、スサノヲが「すがすがしい」といった島根の話になるらしい。
草薙剣は状況から見るに鉄剣で、これは徐福(スサノヲ)が鉄剣を最初の到来地(現在の出雲)にもたらしたことを示唆してるのだとか。
うーん……なんとややこしい。



記紀が切り貼りの物語なのはわかってる。
だからこの辺は頭をニュートラルにしないといけないんだけど、でもこの作業が大変。
だって上記のことを前提にした上でヤマタノオロチから出てきた草薙剣とヤマタノオロチを倒したスサノヲの十握剣を考えたら、もう頭がワケワカメ状態に。

十握剣は現在「フツシミタマ」の神霊が宿る剣として石上神宮に祀られているけど、ここには神武東征を成し遂げるための鍵となった御神体の剣も納められていて、その名前は「フツノミタマ」、こっちも「フツ」の名がついている。
で、この「フツ」について本書では、徐福の本名「じょふつ」からきていると言っていて、ようするに御神体「フツノミタマ」は「フツの御霊」すなわち「徐福の御霊」だってことなんですね。

「フツ」は切る時の音という一般的な説より徐福の名と言われた方が個人的には断然理解しやすくて、「フツノミタマ」は徐福の剣だったか~と正直感動したんだけど、でもそうなるとどうなるかというと、石上神宮は物部氏の神社と広く知られてて、戸谷氏は以前からここの神様は物部氏の祖先神と主張してるのに、御神体が「フツ」で徐福が物部氏の祖となると自動的にスサノヲが物部氏の祖となって、いやいやいやいやそれはないだろうと、ここで完全に私の脳はフリーズしてしまうのです。

著者は以前からスサノヲは蘇我氏の祖と言ってるのです。
本書でも言ってるし、この説はスサノヲが最初に宮を建てた土地の名「須賀」からしても納得できるものなのです。
だから本書に書かれてることをストレートに受け入れたら、蘇我氏と物部氏は同じ徐福(すなわちスサノヲ)を先祖とする同族だったってことになるんです。
でもそれは絶対におかしいのです。

どこかで私の認識が間違えてるとしか思えない。
読み方をどこで間違えたのか。
それともやはりこれはこう読むのが素直で自然なのか。

で、なんとか矛盾を解決しようと頑張りました。
とりあえず頑張ったなりの結論は出たけれど、まあ、妄想はだいぶ入ってるかもしれない。

というわけで、続きは次回。
できれば明日。




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by teri-kan | 2021-05-10 12:19 | 本(歴史書・新書 日本) | Comments(0)

本や映画、もろもろについて思った事。ネタバレ有。


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