「スター・ウォーズ」パドメ・アミダラの選択

字幕映画版しか観ていないので原文はわからないのですが、出産直前のパドメを診察してドロイドがオビ・ワンに次のように告げます。
「生きる意志がない」(もしかしたら「生きる気力がない」だったかも)。
この言葉、公開時に話題になりました。特に女性が問題にしていたように思います。「今まさに母親になろうとしているのに生きようとしないとは一体どういうことか」というわけですね。私も観ていて引っかかったのでその点については随分考えました。

上映時間の問題もあったのだろうとは思うのですが、政治家としてのパドメの描写があまりに「シスの復讐」で少なすぎたことが、結果的に観客に「?」と思わせてしまう原因だったのではないかと思います。小説版によると後の反乱軍の母体となる集まりがこの頃出来て、パドメはその活動を極秘に行っていたそうですが(注:私は読んでいません)、それらしい場面がちょっとでも映画に入っていたらパドメの印象はもっと豊かになっていただろうにと思います。
というのも彼女の本質は子供の頃から徹底的に民主主義を叩き込まれた、生粋の政治家に他ならないからです。

「シスの復讐」ではお腹の赤ちゃん第一の、アナキンラブにしか見えない描き方をされていますが、「ファントムメナス」「クローンの攻撃」を見ればわかる通り、パドメは自由のためなら先頭に立って戦い、平和を守るためなら暗殺の危険も意に介さない人です。そんな彼女に「一緒に銀河を支配しよう!」って、そりゃいくらなんでも無理ってものです。聞いた時のパドメのショックは言語に絶するものだったでしょう。アナキンが提示した生き方は彼女の人格や人生を真っ向から否定するものなのだから。

本来の彼女なら帝国を倒すべく即座に反乱の狼煙をあげるところですが、簡単にそれができるほどアナキンへの愛情がなくなっているわけでもありません。むしろ故郷で一緒に子育てしようと思っていたくらいで、これから先の人生ずっとアナキンと共に歩むつもりでいました。

パドメはアナキンをとても愛していて、彼と別れるなど考えられなくて、彼についていくことを一瞬くらいは考えたかもしれません。まだ自分への愛を持っているのは感じられるし、自分が説得すれば善に戻ってくれるかもしれないという期待も持てなくはなかったでしょう。
しかし彼女の本質はそれを拒否してしまいます。どのような形であれ独裁者側につくなど考えられない、というより彼女には耐えられないからです。

愛を選べば自由を否定することになってしまう。自由を求めて戦う道を選べば赤ちゃんの父親である愛する人は敵になってしまう。彼を敵にして戦うことは出来ない。でも自分の生きる道は自由な社会を築くことだ。でもアナキンと歩む人生も自分の生きる道だった……。

あの時のパドメの心を推測すると、ドロイドの台詞「生きる意志がない」はちょっと違うと思いますね。正確には「どちらの人生も選べない」が正しいでしょう。愛だけを選べなかったし、信義だけを選ぶこともできなかった。

そういうパドメから双子が生まれたというのは、だから非常に象徴的なのですよね。彼ら二人は母親が選べなかった二つの人生をそれぞれ生きていくことになるのだから。
民主主義の信奉者としての生き方は、まんまレイアの生き方になったし、最後までアナキンの心を信じた彼への愛情は、ルークが最後の最後で父親を信じたことで報われました。

新三部作を観てから旧三部作を観ると、心の底から「パドメよかったねえ」と思うのです。
彼女の心は引き裂かれてしまったけれど、双子がお母さんのやりたかったことを成し遂げてくれたのだから。
んで、こういうところが神話的だなあと思うのですね。ベタな設定ですが、だからこそ普遍的。
よく出来ている映画だと思います。


で、DVD、どれを買ったらいいんだろうね……。
[PR]
by teri-kan | 2008-11-18 11:09 | アメリカ映画 | Comments(0)
名前
URL
画像認証
削除用パスワード
<< 「コックと泥棒、その妻と愛人」... 「スター・ウォーズ」ダース・ベ... >>