2018年 02月 15日 ( 1 )

冬のスポーツの解説者

モーグルとかハーフパイプとかノルディック複合のテレビ中継を見ていて思ったんだけど、解説の人がとても楽しそうですよね。
この人が一番楽しんでるんじゃないかなあってくらい楽しそう。
で、こっちもおかげで楽しい気持ちで見るようになる。
あまり競技のことは詳しくないけど、なんだかとてもいい競技のように思えてきたりする。

確かに解説者が絶賛するくらい素人目にも緊迫した試合で、詳しくなくてもハイレベルなメダル争いだと理解できるのです。
で、そんなレベルで戦っている選手達は、試合が終わっても皆さわやかなのです。
一部悔しさもあるだろうけど、でもやりきった感でさわやか。
選手がそうだし、解説者もそう。
なんていうか、一つの競技に携わってる人達の連帯というか、ある種のファミリー感、国籍が違っても競技という統一言語で通じ合う仲間たちといった感じ?
なんだかいいなあと、ちょっとしみじみしちゃったですよ。

もしかしたら冬の屋外のスポーツ、ということも関係しているかもしれません。
人間同士の順位を決める戦いではあるけれど、本質的に彼らの敵は自然状況とか天候。
人間の力ではコントロールできないそれらに立ち向かってるってことが、人間としてある種の連帯感を生むのかな?と勝手に想像。
時に風が自分に不利に吹いたり、実力だけではどうにもならない世界だというのが、結構大きいのかも、と推測します。

そう、海の男ならぬ雪の男。
海に生きる者は、海の男同士でつながるものがあるとかないとか聞くけれど、別に男だの女だの関係なく、冬のスポーツには夏のスポーツにはない価値があるような気がしてきました。
今回のオリンピックは荒天で競技が延期になったり、風が酷すぎて選手が力を発揮できなかったり、なんだかいろいろあるけれど、それでも冬のスポーツはいいものだと思えるような大会になってるなと、今のところは思います。



スポーツが平和に貢献するっていうのは、そういうのもあると思うんだよね……。
国籍が違う選手達の、同じ競技を通しての連帯。
それを成り立たせるためには絶対的な公平が必要で、間違ってもコリアの女子ホッケーのような無茶な合体じゃない。

オリンピックは政治に翻弄されるものではあるけれど、オリンピックを汚すのとスポーツを汚すのはまた別で、今回のコリア合同チームの件は、スポーツ自体を汚した感がして仕方ない。
公平でなければハイレベルな戦いに感動するということも出来なくなってしまいます。
冬のスポーツってとても危険だし、そのギリギリのところにチャレンジして、驚くような戦いを見せてくれてるのだから、やっぱりそれを素直に楽しめる状況でいてもらいたいものだと思います。

最初にあげた種目の解説者は印象的だったけど、それ以外でも解説は楽しく聞けるものが多いし、純粋に競技を楽しんで観戦するということが今後もできればいいなと、そんなことを思ったこれまでのオリンピックの一週間です。




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by teri-kan | 2018-02-15 16:06 | スポーツ | Comments(0)