カテゴリ:本( 152 )

「銃・病原菌・鉄(下)」

「銃・病原菌・鉄(上)」の続きなんですが、なんていうか、妙に長かったというか、上巻と比べると文字数以上に長かったような……。
感想もちょっと、なんと言えばいいのか、なかなか難しい。

まあ結論は結論でいいとして、そこに至るまでの過程が長い道のりでした。
無駄に、という言い方は適切じゃないけど、しかし無駄と言って言い過ぎではないだろうというくらい、無駄にニューギニアの歴史に詳しくなった感がありますね。
本書におけるニューギニアの意義については理解してるつもりでありますが、しかし、もうちょっと簡潔にしてくれたら読みやすかったのになあ。
途中、向かってる先を見失いそうになりましたよ。

とにかくニューギニアが、人種から習慣から何から何まで塗り替えられる征服を免れた稀有な地域と言われれば、なるほど、あの民族の特殊性はだからなのかと納得できます。
逆に言えば、他の地域は全て民族のオリジナリティがなくなってるか薄まってるかしてるってことで、地球の歴史、っていうか人類の歴史は、均質化・同質化の歴史なんですね。
今更な感想なのかもしれませんが。

ニューギニアやアフリカの歴史は全く知らなかったので興味深く読んだのですが、日本についての記述には首を捻りたくなるところもあって、自国民の認識と外から見る目ではいろいろと違うものなのかなと思いました。
日本が江戸時代に銃を放棄したのはとりあえず正しいとして(完全に放棄したわけじゃないけど)、放棄した理由が刀の方が武士の象徴だからというだけではちょっと説明不足なような気が。
とはいえ、周囲に脅威となる国がなかったから銃の放棄という武装解除ができたのだというのはわかります。技術の放棄は自分達だけの都合では成しえないこと、現在の原発是非論が外国の存在抜きにして語れないのを見ても明らかだし。

結局のところ人間社会は他者との関係性によって発達するし滅びもするし、人が存在する限りその軋みは存在し続けるってことなんですかねえ。
でもって軋みがある限り核なんかも存在するということで、人間社会は膨張の果てに自爆するしかないんじゃないかと、読んでてイヤな気分にもなりました。

中国ではなく欧州が世界の覇権を握った理由には納得。
多様性がある方が発展するのは確かだし。
ただ、より発展した国が遅れた地域を征服するのは歴史の必然だとしても、アフリカやアメリカの先住民に対する大々的な殺戮、奴隷化、アジアの植民地化は、何をどう言い訳しても犯罪と言っていいと思います。
欧州が力強く発展したのは結構なことなんだけど、人種的に劣っていたから征服されたわけじゃないと言うのもいいんだけど、やりきれなさが残りますね。

みんな仲良く、とは絶対にならないんですよねえ。
これから先も膨張と発展の先の自爆を免れたとしても、大きな犠牲は避けられないんじゃないかって気がしてしょうがないし、歴史を知るのは楽しいけど、知って未来が不安になるのもなんか悲しいものが。

というのが読み終わっての大体の感想でしょうか。



にしても歴史を綴るって難しいですね。
あらゆる分野の科学的数値や定説・新説をもとに昔の社会を頭の中で築いていくというのは、よほどの知識と知性がないと出来ないことだなあと感じました。
その頭の中の社会も、築き方は学者一人一人によって違うし、かといってあれもこれも読むほどこっちも余裕があるわけじゃないし、いろいろ読んだってより事実に近いのはどれなのか自分じゃ判断できないし、知りたいのは知りたいけど、限界がある頭の持ち主には悩ましいものがあります。
ホントにね、タイムマシンでササッと過去を確かめに行けたらこれ以上のことはないんですけどね。

仮に過去に行くとしたら、1000年前とか1500年前とかがいいな。
新大陸発見以前は地球がバラエティに富んでて楽しそうだ。
日本では漢字が入ってき始めた頃、日本語の話し言葉に文字を当て始めた頃が見たいし、世界中を回ってそういうのを見ることができたら楽しそうだな。

うん、いろいろあるけど、歴史を知るのは楽しいのだということを、たくさん感じさせてくれる本ではありましたね。




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by teri-kan | 2012-07-04 11:23 | | Comments(0)

「銃・病原菌・鉄(上)」

著者はジャレド・ダイアモンド。訳者は倉骨彰。
草思社文庫。

文庫本が発売されて早々に買ったはいいものの、なかなか読めずにここまできました。
下巻読了まで待ってたら上巻を忘れてしまいそうなので、とりあえず(上)のみの感想を。



本書のテーマは、なんで現在の世界はこのような世界になっているのか、です。
なぜヨーロッパが他の地域を支配することができたのか、その逆はありえなかったのか。南北アメリカ大陸の先住民が旧世界に征服されたのは、人種的にヨーロッパ人より何かが劣っていたからなのか。
……いや、そうではない、それは地形的条件、気象的条件などの自然環境がもたらしたものなのだ、というのが著者の言いたいことで、様々な分野の研究からそれを解析していくといった内容になっています。

たくさんの人間を食わせる社会を作れる環境にあったかなかったか、の違いなんですね、戦争に勝って支配者になるか隷属する側になるか、を決める条件は。
だから何千年も前から畑を作れる環境にあった方が強くなる。農業に向いてる野生植物が多く自生していた地域の方が、家畜化できる野生動物が多くいた地域の方が、そうでない地域より技術が進む。

乾期がある場所でないと農業が生まれにくいというのには「へえー」でした。
一年草でないとダメだというのも、理由を知れば「へえー」。
植物の説明のところは知らないことだらけで面白かったです。いやもうなんか、こういうことって人間として最低限勉強してないといけないことじゃないかって感じです。
現代人って漫然とスーパーで食材買って適当に料理して食事してるけど、食物は人間を社会で生きる一員として成り立たせる根本だということ、もっと肝に銘じておかないといけないんじゃないかと感じさせられましたね。

病原菌の話はすさまじかったです。
ていうか、アメリカ大陸の先住民がヨーロッパ人にやられてしまったのって病気を持ち込まれたからだったんですね。今まで武力のことしか考えてなかったです。
でも病気の方がたくさん人を殺したというはかえって悲惨な気がします。
これじゃヨーロッパ人は完全に悪魔の使いじゃないか。

実は常々疑問には思っていたんですよね。いくら武力で制圧されたといっても、あまりにあっけなく支配されすぎじゃないかって。
でも持ち込まれた病気に対する抗体が全然なかったからと言われればなるほどなあって感じで、例えば村の人間が謎の病気でバタバタと死んで生き残りが自分を含めてほんのちょっとだったりしたら、そして周囲はいつのまにかヨーロッパ人だらけになっていたとしたら、想像するだけで恐ろしすぎなのですが、もう何もかも言いなりになってしまっても仕方ないような気がします。
わけわからないうちに根底から破壊されたって感じでしょうし、気の毒極まりないですね。



欧米の白人さんって、いまだにヨーロッパ以外の地域がヨーロッパのように進化しなかったのは、その地域の住人が白人よりも劣っていたからだ、とか思ってるわけ? もしくはそういう人がまだ多くいるとか。
実はそういう人がいることを前提とした言い回しをしてる箇所が結構あって、読んでてそれが目についたんですよね。もっと事実を淡々と記述してくれるだけでいいのにって感じでした。
まあ本書の意義がまさしく「人種の優劣ではなく自然環境の違いがその差を生み出したのだ」ですから、そこのところをしつこく言うのは正しいのでしょうが、しかししつこく言わなければいけない現状が歴然としてあるということも感じさせられて、なんだかなーって気分になりました。

でも全体的には大変楽しく読めた本でした。
普通の馬は投げ縄で捕まえられるけど、シマウマは絶対に輪が首にひっかからないとか、日常レベル(?)の小ネタが、実は世界の勢力図の行方まで関わっているという、そういう一つ一つの話は面白かったですね。
確かになんで馬は家畜化されてるのにシマウマはされてないのかとか、疑問に思ってもよさそうなもんですよね。シマウマがアフリカの人達に飼い慣らされて乗りこなせるようになってたら、白人のアフリカ侵略だってそうは簡単にいかなかっただろうに……。
まあ、アフリカ先住民がシマウマ乗ってる姿を想像するのも変な感じですが。
シマウマに乗ってね、サバンナの遠くまで駈けてって、狩りも馬上から行うんですよ、手作り弓矢とか吹き矢とかで。
……んー、やっぱりピンとこないかな。



とまあ、そんな上巻でした。
下巻は文字の誕生から始まっていますが、これまた長くかかりそうです。




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by teri-kan | 2012-05-23 14:54 | | Comments(0)

「古事記誕生」

工藤隆著、中公新書。





感想はこちらから
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by teri-kan | 2012-05-11 11:55 | | Comments(2)

「日本の歴史をよみなおす(全)」

著者、網野善彦。ちくま学芸文庫。

現在本屋さんの文庫コーナーに新刊っぽく並べられていますが、最初に刊行されたのが1991年と1996年、2つを合わせて文庫化されたのも2004年と、実は結構昔の本です。
なのに「全ての日本人が読むに値する数少ない本です!」「いま読んでる本を止めてでも」と帯に新刊っぽく書かれていたので、つい手にとってしまいました。

内容は、南北朝の動乱期に日本の社会は大きく変化しており、その時に生まれたものが現在までつながる日本のもととなっている、というもの。
そんな中世に起こった変化を、庶民の識字率や経済活動、宗教、社会的弱者のあり方、といった様々な面から膨大な資料にあたって読み解いていく、といった内容です。

私は日本の歴史に興味はあれど読むのは古代モノばかりだったので、こういった中世の話はとても新鮮でした。下手な先入観なく読めたと思うし、庶民の生活ぶりには成る程と思えるところが多かったです。
非人と言われる人々がどのように差別される階層となっていったかも興味深く読みました。
非人や女性といった虐げられていた人達の救済に鎌倉仏教が尽力していたということも。

一方で、この本を読むのがちょっと遅かったかなあという気も起こりました。
例えば、江戸時代の女性の地位については、NHKの「お江戸でござる」なんかで女性の立場が結構強かったことは聞いていたし、明治以前の日本が海洋国家だったことも、詳しいことは知らないにしても、そうだったということくらいは今はもう結構認知されてると思います。
江戸時代までの日本は80~90%農民の国だと言われていたがそれは誤りだ、というのも、普通に国内旅行したり紀行番組見たりしていれば薄々わかることで、江戸時代に商工業で栄えた町が全国にざらにあることを考えれば、「教科書は建前しか教えてなかったんだな」と、なんとなく察することはできるんですよね。だから「日本は昔から経済が発達していたのです」と言われても、今は驚くというより「まあそうだよね」と納得するって感じじゃないかな。

そもそもそうでなければ明治にいきなり近代国家に、なんて無理だったでしょうしね。
明治の急速な発展や戦後の急速な経済成長が「江戸時代が終わるまでほとんどの人間が農業しかしたことありませんでした」って国民に出来るかといえば、それはちょっとねえ、やっぱり難しいんじゃないかと思いますもんね。

……と、経済ド素人の人間が感覚だけで語っていますが、そういうわけで、だからこの先生が書いてることは成る程と思える事が多かったです。
多くの人が事実と思い込んでる建前と、実際に起こっていたことと、その間にある差を明らかにして日本の歴史を別視点から捉えなおすというのは、確かに面白いものでした。

で、そういうのはまあいいんだけど、本書にはどうもいろいろと微妙なところもあって、それについては読みたい方だけどうぞって感じで続きに置いておきます。
自分で書いててなんですが、日本人にとってデリケートな話題ということもあって、全然楽しい話じゃないのでご注意を。





続き
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by teri-kan | 2012-04-25 13:19 | | Comments(2)

タカラヅカの「銀河英雄伝説」

いよいよ宝塚が「銀英伝」をやるそうです。

以前「銀英伝」の舞台について書いた時、宝塚にも触れましたが、とうとうと言うかやはりと言うか、宝塚に向いてると思ってる方は多かったってことなんでしょうね。待ってましたという方もいらっしゃるかもしれません。

しかし、いざ宝塚で「銀英伝」!と具体的に想像してみると、なかなかいろいろと問題もありそうです。
恋愛部分を増やさないといけないのは確かだろうけど、宝塚で向いてそうで思いつくのってアンネローゼとキルヒアイスくらいしかないような。
ラインハルトの恋愛はドラマチックとは程遠い代物だし、彼は恋愛とかけ離れたところで全精力を政治と軍事に傾けるのが良いところだったし、国取り途中の彼が女の子に恋するのはあまり想像できないんですよねえ。
でも主役がそれじゃ宝塚的にはイマイチでしょう。他の人で華々しくやるにしても。

ま、ロイエンタールの女関係は大いにやってもらいたいところですけどね!

とまあ、恋愛面どうなるんだろ、と思いつつも帝国側の想像は簡単にもくもくと膨らむんだけど、同盟側は難しすぎる。こっちはあからさまに宝塚に向いてないような気がする。
大体軍服が華麗じゃないしなあ……。
フレデリカもひらひらドレスじゃないし。

同盟側、特に大好きなイゼルローンの人達のノリは、なんていうか、体育会系というか部活のノリというか、年代に関わらず「男の子!」って感じがして、そこが面白くて好きなんだけど、宝塚でそういうのってどうなんだろう。出来るんだろうか。
宝塚風の同盟軍でもいいけれど、それで上手くいくのかどうか不安なところがありますね。



……なんてことを舞台もまだなのにアレコレ考えた宝塚の「銀英伝」でした。
いつかテレビでやってくれないかな。
WOWOWとかでタダで見れたらうれしいんだけどな。




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by teri-kan | 2012-04-18 11:09 | | Comments(0)

「平安京遷都」 シリーズ日本古代史5

川尻秋生著、岩波新書。

最近岩波が出した日本古代史シリーズ6巻のうちの第5巻目。
大河ドラマ「平清盛」のおかげで久々に平安時代モードに突入しているため、順序はバラバラだけどとりあえず「平安京遷都」を読んでみました。

内容は多岐にわたっており、桓武の父・光仁天皇の即位に至る事情から、桓武の治世、当時の政変、皇位継承の変化、藤原氏以外の氏族排斥の過程等政治的な流れを中心に外交、交易、文化、仏教、庶民の暮らし、当時の東北地方の状況など、内容は盛りだくさん。
平安時代自体は400年の長きにわたるため、当然これ1冊におさまるはずがなく、代名詞と言える摂関政治については第6巻でまるまる費やしているほどですが、平安時代の概要は本書でかなりつかめるんじゃないかと思います。
興味を持ったところは、別途それ専門に書かれた本を読めばいいかな。
個人的には「穢れ」の考え方についてもう少し深く知りたいと思ったので、それが発生した頃の宮中事情とか、そういうのをわかりやすく書いてある本があればいいなと思います。

個人的に面白かったところは武士が生まれたくだりですかね。国司の土着の仕方とか、平将門や藤原純友の乱といったところは、大河ドラマ「平清盛」につながるタイムリーな話題だと思うし、興味のある方にはオススメだと思います。
家職の説明、特に武芸の家としての家職には、ドラマを観てる人には「へー、なるほどー」ではないかなあ。



あとがきに書いてあるのですが、平安時代って実は資料が少ないのだそうです。
日記や物語、和歌集などが豊富にあるから一般人にはピンとこないけど、いわゆる公式文書と言えばいいのでしょうか、そういったものがあまり書かれてないそうで。
考古学的にも後世までずっと都として存在していたために掘り返して調査ということも出来なくて、まだまだ不明なところが多いのだそうです。
だからかなあと思うのですが、本屋さんの歴史コーナーでも平安時代関連のスペースって小さいんですよね。飛鳥や奈良時代の方がよほど大きい。鎌倉以降は武士の時代で、これまた事情は変わってくるし、言われてみればホントに平安時代って文学方面はいいとして、歴史方面ではパッとしてないのです、本屋でも。

でも本書を読んだらやはり面白いと思うわけです。平安時代に生まれて今につながっている風習や制度もあるわけで、特にお公家さん達は明治維新まで平安時代の様式そのままに生きてきたわけで、明治的価値観で不遇を見たとはいえ、今はもっと平安時代にスポットを当ててもいいんじゃないかなあとは、私も読んでて感じた次第です。



ところで、平安時代にウジ(氏)の意味が弱まり、イエ(家)の単位が意味を持つようになってきたというけれど、確かに藤原氏はそうなるし、平氏も平家とか平家物語とか言われるけど、なぜに源氏は源氏のままなんだろう。源家とは普通言わないよね。
実はこれ、結構前からの疑問なんだけど、なんでなのかなあ。
一族殺し合いの歴史と関わってるのかなとも思うけれど、謎です。




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by teri-kan | 2012-03-16 11:11 | | Comments(0)

「日本古代史 正解 纒向時代編」

大平裕著、講談社。
久しぶりに古墳時代関係の本を読みました。

「古代ってどんなだったのかな」という軽い気持ちと、「どうせ事実ははっきりわからないんだし」といった適当な気持ちと、二つの理由からこの手の本の著者名をおよそ気にして読んだことがないという私ですが、本作に出てくる津田左右吉の名には覚えがありました。
名前どころか引用されてる津田の文言もはるか昔に読んだはずなのにバッチリ覚えていて、記紀批判は自分にとってとてもインパクトがあったのだということを、今更ながら思い知らされた感のある本作でした。

著者の大平氏はその津田の論への批判を文中でかなり厳しく行っているのですが、まあ、難しいよね。「○○で××だからこの天皇は存在しない」と言われた時は「なるほどー」と納得したし、「存在する、なぜならば△△だからだ」と言われれば「それもそうだよねー」と思うし、詳しくない人間にはどっちが正しいとかどちらの方がより正しそうとか、全然見当もつきません。

ただ、今回読んで思ったんだけど、存在するという前提に立った方がやはり楽しいんだよね。
というのも、例の津田左右吉の記紀批判を読んだ時、「あ、実在しないのか」と、ほとんどといっていいほどそこで興味を失っちゃったんですよね。「いない」と言われたら、そこで終わっちゃうんですよ。
専門家じゃないしさ、いないものに関心は持てないし、ウソを書いてると言われたら、そういった本(日本書紀とか)にも関心は、そりゃあまり持てない。
でも「いる」と言われたら興味がわくし想像も広がる。古代人の営みが多少なりとも具体的になってくる。
現在では考古学の発見の方が進んでいて、例えば「大袈裟に記述した」と言われてた出雲大社の大きさだって実際その通りだったことが証明されたし、現在の常識が当てはまらないからウソと決め付けるというのは、やはり慎重になった方がいいのかなあとは思います。

どうせ素人なんだし、楽しんだ方が勝ちだよね。
まあ、かといって小説家の奇想天外ストーリーと事実をごちゃ混ぜにしようとは思いませんが。


本作では卑弥呼の扱いが面白くて、卑弥呼=天照大神説に関連するあれこれは楽しめました。初めて邪馬台国に興味が出てきたといっていいくらいに楽しかった。
今までの邪馬台国のイメージって、日本なのに日本でないような、実体のない伝説といった感じだったのですが、本作のようにここまでヤマト王権、大和朝廷と関わりを持たせてくれたら、俄然興味もわいてきます。
現在につながる歴史の中にこうやって関連付けてくれたら、自分達のご先祖といった感覚も出てくるというものです。天照大神も実体を感じられたし、ホントに面白かったなー。
(個人的に、神社に祀られてる人(神様)は実在していただろうと、基本的には考えています。)

「欠史八代」の解説も面白かったし、個人的にも最大のネックだと思っていた各天皇の寿命についても、いわゆる二倍暦(?)で計算すればクリアできるそうだし、それならそっちの方がロマンがあるし、専門家はロマンで論文は書けないだろうけど、古代はロマンを感じてなんぼみたいなところもあると思うんで、そういった意味では面白い本でした。

多分この考え方は学界では全然主流じゃないでしょうが、古事記・日本書紀はできる限り素直に読みたい派からすれば、楽しめるのではないかと思います。
今年は古事記編纂1300年なので、とことんロマンに浸ればいいんですよ、うん。




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by teri-kan | 2012-02-17 11:11 | | Comments(0)

「ふしぎなキリスト教」

社会学者の橋爪大三郎と大澤真幸による、対談形式キリスト教解説本。
講談社現代新書。





微妙な宗教のお話とか感想
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by teri-kan | 2011-08-02 11:32 | | Comments(0)

時鳥

今年はほととぎすの鳴き声をよく耳にします。
こないだは夕方に鳴いてました。
大抵真夜中に聞こえることが多いのですが、今年は鳴きたがりのほととぎすが近くにいるのかもしれません。デカい声の時はうるさいくらいです。

ほととぎすは「春がうぐいすなら初夏はほととぎす」ってくらい季節感のある鳥で、しかも夜に鳴くので特徴的です。
本当に「特許許可局」って言ってるんですよね。
「テッペンタケタカ」とも言いますが、まあ要するに「キョキョキョッ」って感じなんだけど、それに節がつくと「トッキョキョカキョク」になる。
おもしろい鳴き声ですよね。ちょっと微笑ましくて、聞こえてくると温かい気持ちになります。

ほととぎすは漢字表記が山のようにあるのですが、代表的なものといえば「杜鵑」「時鳥」「子規」「不如帰」「郭公」……でしょうか。まだまだあるのですが個人的にピンとくるのはこの辺り。
でも「杜鵑」はあまり見かけないかなあ。

「郭公」は読み通りカッコウで、どっちかというとほととぎすよりカッコウのイメージが強いです。でもクラシック音楽で聴かれることも多いので、なんとなくグローバルなカタカナ表記の方がカッコウはしっくりくる。

「不如帰」のイメージとくれば、もう徳富蘆花の代表作しかありえません。学生時代に読みましたが、もう涙涙、涙なしでは読めないお話です。
正直ストーリーはほとんど忘れているのですが、とてもいいお話だったことと、ヒロインの名前は覚えています。
浪さんですよ浪さん。
浪子さんというんですが、素敵な名前だなあと思いながら読んだ記憶がありますね。

「子規」といえば正岡子規で、「子規」と書かれたら「ほととぎす」と読むより「しき」と読むのが多分一般的。自身の病気になぞらえて子規がこの雅号を用いたのというのはなんとも辛いエピソードですが、ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言われているというのはかなりイヤな言い伝えかも。
まあ実際にものすごく鳴くんでしょうけど、私のイメージではほととぎすの鳴き声は、源氏物語の「花散里」の巻なんですよ。懐かしさと慕わしさと切ない淋しさを呼び起こすような、しっとりした恋歌のイメージなのです。

だから夜中に鳴き声が聞えると、「おおー源氏物語ー、平安時代と同じー、千年前も同じ鳴き声を皆さん聞いていたー」と心がいにしえに飛びます。で、こんな風に古代に心が飛ぶのは、他の動物の鳴き声だとあまり起こらないのです。
うぐいすも蛙も蝉も秋の虫も、おそらく千年前と変わらないはずなんだけど、毎年盛大に聞いてるからですかねえ、結構日常に取り込まれてしまってるんですが、ほととぎすは私にとっては希少性が高いというか、聞かずに終わってしまう年もあるから聞けた時はすごくうれしい。
で、「トッキョキョカキョク」が聞こえた途端、脳内は和歌を取り交わす昔の人達に占められるのです。夜道をそぞろ歩く平安時代の殿とかに。この時期は夜歩いても暖かくていいよねーとか思いながら。

ほととぎすって和歌にたくさん使われてるんだけど、それはほととぎすの鳴き声に人の感情が乗せやすかったからかなと思ったりします。それぞれの思いやその時々の心を反映させやすかったというか。
だからたくさんの漢字表記も存在しているのかもしれません。
存在している表記の数だけほととぎすは日本人の様々な心情の近くにいたってことなんでしょうね。




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by teri-kan | 2011-06-17 11:15 | | Comments(0)

「広島学」

新潮文庫の新刊なのですが、帯の文章に目がとまって手にとってみました。
「なぜ、あそこまでカープを愛し、オタフク以外のソースを認めず、全国各地で県人会を作りまくるのか?」

県人会を作りまくってるというのには「あ、やっぱりそうなんだ」と思いました。北海道の自治体に名前がつけられたりとか海外移民が最も多いとか、広島人って本当に国内外問わずあちこちに出て、そして広島出身ということを大事にしてる感じなんですよね。

「広島学」を読んで一番「へえー」と思ったのは「広島人はラテン気質」ってところで、最初は「んなバカな」って感じだったんだけど、考えてみれば確かに楽観的で危機感にかける気質ではあるかなと思います。
本書に書かれてる「広島県から海外に移民した人たちには、明るい働き者が多かった」というのも、なんとなく感覚的にわかります。そりゃ皆さん御苦労されたと思うんだけど、うちのご先祖を振り返ってみたら、確かにそんな感じがするのです。
まあうちの先祖は移住じゃなくて出稼ぎだったんですが、生涯に二度あっちに稼ぎにいった人もいるし、ハワイから帰ってくるひいひいじいちゃんを横浜港までひいひいばあちゃんが迎えにいって、横浜から二人であちこち観光しながら広島まで帰ってきたとか、私が親から聞いてる話は楽しげなものばかりなんですね。
まあ向こうの苦労話を子や孫に話してないだけかもしれないけど、でもいろいろ聞いてたら確かに本書にあるように前向きな渡航だったようなんです。
まあひいひいじいちゃんやひいじいちゃんがラテン気質だったのかどうかはわからないけれど。

広島県は農耕地が少ないのは事実なんで、普通に語られる一般的な日本の農耕民とは確かにちょっと違った性質を持っているのかもしれません。農耕地が少ないくせに赤ちゃんを間引かない宗教的環境にあったというのは、考えてみたらなかなかすごいですけどね。

多分とても現実的なんですね。
楽観的と言われると同時に淡白とか、熱しやすく冷めやすいとか、いろいろ言われますが、きっと何より現実的なんだと思います。
なんていうかなあ、悲観的ではない現実主義者って感じ。現実主義だけど、でも別に諦めてるわけじゃないっていうか。
この辺は多分に温暖な気候が影響してるような感じがしますね。



さて、広島人が本当にラテン気質かどうかわかりませんが、ある意味ラテンな広島の人達をここでご紹介。Jリーグのファンならもうご存知であろうサンフレッチェ広島ユースのイタリアでの一コマです。
まあここまできたらラテンというより何だかよくわからない子なんですが。
今の子はすごいですねえ。




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by teri-kan | 2011-06-12 03:11 | | Comments(0)