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藤原行成

映画「源氏物語 千年の謎」に登場していた平安貴族。美男美女ひしめくあの映画の中で、一人なごめる雰囲気をかもし出していた甲本雅裕演じる読書人について。



もともと書の上手な三蹟の一人として有名な方で、だからこそ私もとりあえず知っていたという人ですが、映画の中ではそういった書に関してのエピソードはなく、そこがちょっと残念でありました。
が、お勉強好きのキャラはしっかりと演出。何があっても本を放さない人として、愛憎うずまく映画の中でとてもいい味を出してくれてました。

あのキャストの中では異質な風貌でしたが、「こういう平安官僚っていそうだよなあ」と思ったし、何より学問オタクにあの顔は合っていた。
が、「むしろこれは受領顔ではなかろうか」という思いもぬぐえず、あの手の顔を受領顔と思わせる原因となった「あさきゆめみし」は結構罪深いと思ったりもする。
美男の受領だって、美男でない貴公子だって、きっと普通にいたのに。



映画のおかげで行成って具体的にどんな人だったのだろうと興味を抱き、ネットで調べてみたんですが、なかなか面白い経歴の持ち主ですね。
特に、とあるサイトの行成解説文がわかりやすい上に大変面白かったので、他人様のブログですがここに紹介させていただきます。

http://thomas.blog.shinobi.jp/Entry/41/


詳しい内容はこれを直接読んでいただき、行成の人生に「ほほう」と感心してもらうとして、一つ問題なのは、ここに書かれている行成の父親の話が本当だとしたら、行成役が甲本雅裕なのはかなりなミスキャストではないかということです。
あのように残念な死に方をした父の血を受け継いだ男なら、道長は当然、晴明よりも行成は美男でなければならないのではないか。
いや絶対美男であるべきだろう。
頭がよくてオタクっぽい美男……なんかどっかで観たことあるような。
しかしそれでは映画「源氏物語 千年の謎」は、それこそ美男美女しか登場しないお話となり、山も谷もない、何のメリハリもないビジュアルになってしまうんですよねえ。
(注:個人的には甲本雅裕の顔は愛嬌があって味のある良い顔と思っています。)

行成は「枕草子」に書かれている清少納言との歌のやりとりも良いです。
結構魅力的な人物もいることだし、こういった平安王朝人が出てくる映画、もっと作ってもらえたらなあと思いますね。
by teri-kan | 2011-12-21 16:33 | その他の映画 | Comments(0)

「源氏物語 千年の謎」(2011)その3

外国人と比べて、なぜ日本人は自分の感情や気持ちを会話で伝えることが下手なのか。

以前見たテレビ番組でそれに対する答えが出てたのですが、結構驚きの回答で、日本のことは日本の中にいるだけじゃわからないんだなあと思ったものでした。
だって答えは「紙があったから」なんですよ?
豊富に紙があって、書いて気持ちを表現することの方が発達したから、なのだそうです。

なんでも西洋では紙は大変な貴重品で、日本の侍が昔ヨーロッパへ行った時、街中でフンッと鼻をかんでその紙をポイッと捨てたら、なんと通行人に即座に拾われて持っていかれたくらい、それ程あちらには紙がなかったのです。
日本は江戸時代ともなると町中に普通にあったし、襖や障子以外にも浮世絵を刷って本もたくさん出版されてと、それが当たり前の生活でした。
でもそれは世界的にみてかなり稀有なことだったんですね。

何が言いたいかというと、そのように紙が豊富にあったからこそ千年前の物語が写し書きされ続け、失うことなく現代まで読み継がれているということです。
千年前の、しかも女性があんな長編小説を書く事ができるほど当時から紙は豊富にあり、和歌といい日記文学といい、日本の書く文化というのはかなり筋金入りっぽいということです。

ドナルド・キーンが日本兵の日記に感動した話は有名ですが、日本人の日記好き、日記にあらゆる感情を綴るという行為を、知識人だけでなく多くの一般人も普通にやってたというのは、日本人の気質に大きく影響してるでしょうね。
声に出して感情を発散しなくてもいいから当然物静かになる。文章にして書けば感情が整理されるから行動も理性的になる。
諸外国と比べて犯罪発生率が低いというのも、案外紙があったおかげなのかもしれません。



というわけで、「源氏物語 千年の謎」の紫式部についてです。
この映画の式部はね、書いて感情を発散させるどころか、書けば書くほど毒を体に溜め込んでいったんですよ。晴明に「凶相が表れてる」と言われるくらいにヤバイ状態だったんですよ。
それは毒を発生させる原因の道長が式部の近くにいたからなんですが、まあ映画的にはそれでいいとして、でも実際はきっとそうじゃないよなあと思うんですね。

映画の感想その3
by teri-kan | 2011-12-16 11:58 | その他の映画 | Comments(0)

「源氏物語 千年の謎」(2011)その2

この「道長物語」(命名、自分)という映画の中の「源氏物語」は、私達の知ってるものとはちょっと違うけど、映像は一見の価値があります。
美術・衣装は良かった。特に衣装は「これはいい」「これはイマイチ」とかなり楽しめる。
重そうな衣擦れの音も良かった。
平安時代のエロスに衣擦れ音は欠かせませんからね。

映画の感想その2
by teri-kan | 2011-12-15 11:11 | その他の映画 | Comments(0)

「源氏物語 千年の謎」(2011)その1

現在公開中の角川映画。
「源氏物語がなぜ書かれたか」がテーマの作品で、生田斗真が光源氏を、中谷美紀が紫式部を、東山紀之が藤原道長を演じています。

個人的にはこれを作った方々に敬意を表したい。「源氏物語」に対する試みとしてはかなりの冒険作だと思うから。
とはいえ、せめてタイトルを「道長物語」とかにしておけば批判は少なかったんじゃないかと思う。絶対客は来ないけど、「源氏物語」そのものを楽しみにしていた観客に与える残念感は少なくてすんだのではないかな。

本作は「源氏物語」も含めた平安時代スキーな人のための映画で、一条天皇時代の社会背景に興味がある人向けの作品です。
というか、むしろそっちを知らないと楽しめない。
だって藤原伊周が出てくるんですよ? 道長の兄の子供で皇后定子のお兄さん、父親のおかげで超絶出世をしたけれど、父亡き後坂道を転がり落ちるように転落していった若者が。

これはかなりマニアックじゃないですか? 軽い源氏物語ファンじゃ知らないですよ伊周なんて。
そのくせ定子は出てこないという、紫式部が勤める後宮が舞台のくせに何ともちぐはぐな登場人物のチョイスなんですが、しかし製作側が何をテーマにしてこの映画を作りたかったのかを考えれば、案外納得できるものではある。

とまあ非常に微妙なところをいってる「源氏物語 千年の謎」の感想。
この下からはネタバレ全開です。

映画の感想
by teri-kan | 2011-12-14 11:28 | その他の映画 | Comments(0)

時鳥

今年はほととぎすの鳴き声をよく耳にします。
こないだは夕方に鳴いてました。
大抵真夜中に聞こえることが多いのですが、今年は鳴きたがりのほととぎすが近くにいるのかもしれません。デカい声の時はうるさいくらいです。

ほととぎすは「春がうぐいすなら初夏はほととぎす」ってくらい季節感のある鳥で、しかも夜に鳴くので特徴的です。
本当に「特許許可局」って言ってるんですよね。
「テッペンタケタカ」とも言いますが、まあ要するに「キョキョキョッ」って感じなんだけど、それに節がつくと「トッキョキョカキョク」になる。
おもしろい鳴き声ですよね。ちょっと微笑ましくて、聞こえてくると温かい気持ちになります。

ほととぎすは漢字表記が山のようにあるのですが、代表的なものといえば「杜鵑」「時鳥」「子規」「不如帰」「郭公」……でしょうか。まだまだあるのですが個人的にピンとくるのはこの辺り。
でも「杜鵑」はあまり見かけないかなあ。

「郭公」は読み通りカッコウで、どっちかというとほととぎすよりカッコウのイメージが強いです。でもクラシック音楽で聴かれることも多いので、なんとなくグローバルなカタカナ表記の方がカッコウはしっくりくる。

「不如帰」のイメージとくれば、もう徳富蘆花の代表作しかありえません。学生時代に読みましたが、もう涙涙、涙なしでは読めないお話です。
正直ストーリーはほとんど忘れているのですが、とてもいいお話だったことと、ヒロインの名前は覚えています。
浪さんですよ浪さん。
浪子さんというんですが、素敵な名前だなあと思いながら読んだ記憶がありますね。

「子規」といえば正岡子規で、「子規」と書かれたら「ほととぎす」と読むより「しき」と読むのが多分一般的。自身の病気になぞらえて子規がこの雅号を用いたのというのはなんとも辛いエピソードですが、ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言われているというのはかなりイヤな言い伝えかも。
まあ実際にものすごく鳴くんでしょうけど、私のイメージではほととぎすの鳴き声は、源氏物語の「花散里」の巻なんですよ。懐かしさと慕わしさと切ない淋しさを呼び起こすような、しっとりした恋歌のイメージなのです。

だから夜中に鳴き声が聞えると、「おおー源氏物語ー、平安時代と同じー、千年前も同じ鳴き声を皆さん聞いていたー」と心がいにしえに飛びます。で、こんな風に古代に心が飛ぶのは、他の動物の鳴き声だとあまり起こらないのです。
うぐいすも蛙も蝉も秋の虫も、おそらく千年前と変わらないはずなんだけど、毎年盛大に聞いてるからですかねえ、結構日常に取り込まれてしまってるんですが、ほととぎすは私にとっては希少性が高いというか、聞かずに終わってしまう年もあるから聞けた時はすごくうれしい。
で、「トッキョキョカキョク」が聞こえた途端、脳内は和歌を取り交わす昔の人達に占められるのです。夜道をそぞろ歩く平安時代の殿とかに。この時期は夜歩いても暖かくていいよねーとか思いながら。

ほととぎすって和歌にたくさん使われてるんだけど、それはほととぎすの鳴き声に人の感情が乗せやすかったからかなと思ったりします。それぞれの思いやその時々の心を反映させやすかったというか。
だからたくさんの漢字表記も存在しているのかもしれません。
存在している表記の数だけほととぎすは日本人の様々な心情の近くにいたってことなんでしょうね。




by teri-kan | 2011-06-17 11:15 | 本(歴史書・新書 日本) | Comments(0)

「TALK 橋本治対談集」

橋本治が自身の6作品について、それぞれ6人と対談したものを収めた本。ランダムハウス講談社。
6作品と6人の内訳は以下の通りです。

「短編小説」高橋源一郎
「ひらがな美術史」浅田彰
「小林秀雄の恵み」茂木健一郎
「窯変源氏物語」三田村雅子
「双調平家物語」田中貴子
「最後のあーでもなくてこうでもなく」天野祐吉

どれも面白いのですが、特に面白かったのは茂木健一郎との対談。
これは「小林秀雄の恵み」自体が刺激的で面白かったせいもあるのだけど、この先の橋本治に期待を持たずにはいられなくなる内容で、非常に興味深かったです。



「小林秀雄の恵み」は2007年発売で、主に小林秀雄と本居宣長について書かれているんですが、完全に理解しきれていない自分が言うのもナンだけど、すごいんですよ。
小林秀雄は本居宣長をどう見たか、を論じるため本居宣長本人を橋本治は論じるんだけど、そこで解き明かされるのは古代から続く日本の、日本たらしめている精神性で、これがやたら面白くて、そして橋本治が本居宣長をとても好きっぽいのが読んでて楽しかった。私も本居宣長のファンになりそうなくらいでした。

ですが肝心の小林秀雄についてあんまり理解できたとは言えなくて、で、そんな自分にこの「対談集」の橋本×茂木対談はうってつけだったのでした。小林秀雄という人についてちょっとはわかるようになったのです。
まあ、ほんのちょっとではありますが。
しかもここからもっと詳しく知りたいとも思わなかったけど。

でもこれから本居宣長について書きたいと橋本治が言っていたことには大いに期待します。
これは本当に楽しそう。



他の対談も面白かったですよ。高橋源一郎と天野祐吉のは橋本治の小説家・評論家としての考え方がわかるし、他のは日本と日本の文化についてたくさん語られている。
白河法皇が自分を光源氏になぞらえてたという話は面白かったですね。和歌の詠めない待賢門院のために源氏物語絵巻を作らせた説とか、和歌を詠まなくて他人とのコミュニケーションのなかった待賢門院はさぞ暇だったろうとか、とても楽しかったです。



とかなんとか書いていたら、タイムリーな記事発見。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100225-00000550-san-soci

この「対談本」の中にも、小林秀雄は書いたものより話したものの方が面白い、なんて話が出てくるけど、このテープもきっと面白いんでしょうね。




by teri-kan | 2010-02-26 00:51 | 本(歴史書・新書 日本) | Comments(0)

「源氏供養」

橋本治の「源氏物語」評論、というかエッセイ。

私は社会人になってもいろんな先生の評論集を買って読んでたくらい「源氏物語」が好きだったのですが、なんで安くはない本を買ってまであんなに「源氏物語」について知りたかったのかなあと振り返って思うに、物語の底に流れる「何か」が知りたくて、紫式部が結局何を書きたかったのかが知りたくて、それでいろんな評論を読み続けてたのですね。
そしてその「何か」を教えてくれたのが「源氏供養」で、これ以降私の源氏評論あさりはパタリと止んだのでした。


「源氏物語」の何を知りたかったのかというと、結局ヒロイン紫の上はどういう人物で、この作品でどういう役割を与えられているのかということだったのですが、これがなかなか難しかった。

源氏に最も愛された女性として羨まれると同時に、最も不幸な女性として気の毒にも思われている紫の上。
彼女の不幸はいろいろあるのですが、最大の不幸はなんといっても生涯出家を許されなかったことで、当時の出家はイコール俗世を捨てる、即ち女を捨てるということだから、それが許されなくて不幸と言うなら、やはり彼女の不幸は女である事そのものということになる。

それはわかるのです。わかって、なおかつ「では女である事はどういう風に不幸なのか?」という事になると、掴めそうで掴めない。具体例は物語中にたくさん出てきて、その一つ一つにこちらもうなずくけれど、じゃあその背景にあるのは何かとなると、感覚ではわかるんだけど言語化できない。
紫の上は不幸で、しかし源氏とはある意味理想的な夫婦関係を築けてもいた。では不幸でもあり幸福でもあった紫の上とはどういう人かとなると、これもなかなかまとまらない。

橋本治はそれらを大変わかりやすく説明してくれて、しかも一言で言い表してもくれました。

「紫の上は走る少女だった」

もう目からウロコです。





続き
by teri-kan | 2009-12-11 10:27 | 本(歴史書・新書 日本) | Comments(2)

「あさきゆめみし」

ご存知、大和和紀版「光源氏の物語」。
本作のおかげで「源氏物語」の内容を初めて知ったという方はとても多いと思うのですが、私もこれで「源氏」にハマったのでありました。
それまでは「平家物語」のような軍記ものだと思っていたのですよ。
無知とは恐ろしいものです。

とにかく好きで好きでしょうがなかったですねえ。すぐに現代語訳されたものも読みましたけど、何を読んでも当時は「源氏物語サイコー!」しか出てこないくらい、それほど好きでした。

源氏好き同士の会話では、数多く登場する女君の中で誰が好きかという話題が必ず出てくるのだけど、私はずっと「朧月夜」と答えていて、それは多分に「あさきゆめみし」の影響が大きかったのでありました。
他とは違うタイプの美人に描かれていて興味深かったのですね。源氏との密会場面もドキドキもんだったし。

飛ぶ鳥落とす勢いの右大臣家の姫で、入内間近の身でありながら父の政敵・源氏とデキちゃって、その成り初めがまた随分軽いというか不用心というか、結局全てが露見した時、彼女はひどく陰口を叩かれてしまいます。
まあ確かに彼女の行動は彼女の身分からしたら「あるまじきこと」なんですが、実際問題二人きりになった相手が当世のスーパーアイドルだったとしたら、そりゃなびかない方が無理だと思いませんか? 現代で言う「抱かれたい男ランキング」1位の男性がくどいてくるんですよ? 女の方だってそんな相手と十分張り合える若くて美人の姫ですよ? デキちゃって当然のもんのすごい素敵場面ですよ(笑)。

政敵同士という、いわば「ロミオとジュリエット」状態で、しかもどっちも(一応)不倫状態で、こりゃ盛り上がってもしょうがないという話。
これぞ宮廷物語、ハイソな恋愛物語。
朧月夜の話はやっぱり面白い。

原文より「あさきゆめみし」の朧月夜は、より自分の意志がしっかりしていて、好意的に描かれていると思います。性格に深みがあるというか、現代の女性から見ても共感しやすい。
原文の方の彼女の印象は、大貴族の姫のくせに重々しくないって感じが強くて、そのせいか彼女の軽さを嫌う人も結構いたりして、でもこんな風に流される女の人って普通にいるし、流される一面は誰でも持っていて、流される女は罪深いと一言で断罪されるのもどうかなあと思ってしまうんですよねえ。
どちらにしても女の子らしい女の子と言うか、女らしい女と言うか、その浅はかさも含めて、女っぽい人だなあと思います。



全然話は変わるけど、初めて「あさきゆめみし」を読んだ頃、ちょうどマドンナの1stアルバムを聴きまくってて、そのせいでこの二つの作品は私の中で見事に合体しています。
今でも「あさきゆめみし」の前半部分を思い返すとマドンナが頭の中で鳴り響くのです。テーマソングもあって、少女の頃の紫の上は「ボーダーライン」、明石の御方が出てくる単行本4巻は「ラッキースター」。なんでかわからないけど、妙にメロディがマッチしたのですね。
全然雰囲気の合わない組み合わせだと思うけど、私の中では分かちがたい2作品で、どれだけヘビーローテーションで読みまくり聴きまくっていたのかと、我ながら思い出しては笑っています。



なんだか「あさきゆめみし」をとりあげたつもりが、朧月夜とマドンナで終わってしまいました。

また機会があれば取り上げます。
by teri-kan | 2009-12-09 11:15 | 漫画 | Comments(2)