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周りが見えない子すずめ

春からこっち、鳥の声がにぎやかで、大変良い心地です。
うぐいす、ほととぎす、とんびのピ~ヒョロ~。
名前のわからない鳥も含め、あちこちから聞こえる声に、毎日癒されております。

私が住んでいる所は山がすぐそばにあるのですが、そんな環境だからでしょうか、道にも平気で鳥が降りてきます。
特に雀の子ですね。
ちっちゃいのが道をつつきながら、ぴょんぴょん飛んでたりしてます。
遊んでるのやら何か食べてるのやらよくわかりませんが、道の上に食べるものがあるとも思えないので、あれは遊んでいるんでしょう。
道のド真中でなんだか楽しそうです。

この子達が実は困りもので、車が近づいても全く気付かないんですね。
目の前まで来てやっと「あわわ」って感じで逃げる。
その慌て振りがひどくて、上に飛び立てばいいものを、小さいから力がないのか慌ててるから力が入らないのか、変な方向に行ったりして、結局車を停車させて待つこともあったりする。

この雀の子の周りの見えなさは何なんだ、最近の雀は警戒心のないバカなのかと、ここ数年来思っていたのですが、そういえば一茶の句にもありました。

雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る

遊んでる雀の子が周りを見てないのは、一茶の時代も今も全く同じだったようでした。
危ないから退きなよ~と周りが言ってるのも、今も昔も変わっていないのでした。

検索してみると、この句はエライ人(馬)に蹴散らされる庶民(小さい雀)のことを指しているのだ、という解説が出てきて、へーそんな意味もあったのかーって感心したんだけど、個人的にはそのままズバリの子雀をイメージしたいかなあ。
現代のお馬(車)に乗ってる私は蹴散らすエライ人とは真逆で、「お願いだから退いて退いてー」って言いながら減速ですもんね。
完全に下手に出てます。

やっぱり可愛いんですよ。
明らかに小さいですし、本当に可愛いんです。
お米を作る人には敵だけど。
でも可愛いものは可愛い。

あの警戒心のなさは何なんでしょうね。
周りが見えてないにもほどがある。
そんなんで猫に狙われたらどうするんだろうと思うけど、案外そんな相手の方が気をつけたりしてるのかな。
車を敵と思ってないのかもしれませんね。

よくわからないけど、小雀は面白いです。
轢いたらどうしようってヒヤッとすること度々だけど。




by teri-kan | 2016-07-08 14:24 | 身近な話題 | Comments(0)

春のお彼岸

うぐいすの 声にいやされ 墓そうじ

お彼岸っぽい句を作ってみました。
この土日は良いお天気で絶好の行楽日和&墓参り日和でしたね。

墓そうじとは、ようするに雑草取りのことですが、はびこった雑草にヒーヒー言ってたところに「ホー、ホケキョ!」が聞こえてきて、なんだかとてもほんわかしたのでした。
山の中腹にある墓地なので、うぐいすの声も近いんですよね。
で、既に上手なのです。きちんとホーホケキョ。
春まだ浅い頃は鳴き方が下手くそなものですが、この日のうぐいすは綺麗に鳴いてました。

梅ももう盛りは過ぎたとはいえまだ満開だったし、いやー、この時期はいいですよねー。
車で遠出をするのにホント良いです。
いろんな花が咲いてるし、山の色も変わってきてるし。
春が来たなーって感じです。

「山笑う」とか「桃始めて笑う」とか、春が来てることを表す古い言葉っていろいろあるけど、ホントにその情景を上手く言い表してるなあと、こういう時期になると実感します。
それを見て人がどう感じるか、人間の感性まで表していて、言葉って面白い。
そういう繊細な言葉を上手く使いこなせれば、俳句とかもスラスラと作れるんでしょうけどねえ。

というわけで、春のお彼岸のお墓参りは結構楽しいかな。
気候が良いだけでなく、いろいろと楽しい。
空気が悪いのがナンですが、春霞と思えばまあいいか。
うぐいすに梅、春霞。
んー、なんだか花札ですね。



(追記)
うぐいすに いやされ墓の 草むしり
後から思いついたんだけど、こっちの方がいいような気が。
泥臭く雑草と戦ってる感が正しく表現されてるような。
まあどっちでもいいんですけどね。
ちなみに俳句はド素人です。




by teri-kan | 2015-03-23 15:56 | 身近な話題 | Comments(0)

春はあけぼの

個人的な「春はあけぼの」を夏、秋、冬、とこれまで書いてきたけれど、唯一清少納言と一緒なのが春。私も春はあけぼのだと思います。
しかも「やうやう白くなりゆく」まで同じ。
でも白くなってるのは山際ではなくて窓の外。
部屋の中の閉まっているカーテンを見て、外が明るくなってきたなあ、明るくなるの早くなったなあ、春が来たなあって思うという感じ。
「やうやう」は時間的というより日数的なスパンですね。

ヨーロッパのサッカーってビッグマッチは大抵夜に開催されるんだけど、現地の夜の試合は日本時間の朝3時半とか4時半開催なんですね。で、熱心な海外サッカーファンだった昔、頑張ってその時間に起きてよくTV観戦していたのですが、後半も半ばになってくるとだんだんと外が明るくなってくるのが目に見えてわかるのです。
2月なんてまだ真っ暗なんですけどね、でもチャンピオンズリーグも準々決勝、準決勝と進んでいくうちに明るくなる時間がどんどん早くなって、あー春だなあ、夜が明けるのが早くなったなあって思って、で、決勝戦の頃には試合終了後はすっかり朝。いよいよ春も終わったなって気分になる。

ネットの実況なんかでも試合中に「外はまだクライファート」とか「外はもう明るいコスタ」とか、サッカーファンにしかわからない夜明けネタがお約束のように出たりして、そういうのも含めてヨーロッパサッカーの未明のTV観戦は楽しかったですね。「春はあけぼの やうやう白くなりゆく」を考えると必ずサッカー観戦を思い出しちゃうし。

こうして振り返ってみると、夏は夕方で、秋は宵の口で、冬は夜で、春は曙ってことで、個人的に思う季節感って太陽の動きに関連してるようです。
日の入りと日の出。でも日照時間というより夜の時間。
単純な暑い寒いではなかったなあと、我ながら初めて気付いて面白かったりします。
太陽に支配されてますね。
春分と秋分ってやっぱり大切だな。

ちなみに今朝のCL準決勝セカンドレグはレアル・マドリーがバイエルンをボコボコにして決勝進出。
試合は見てないけど、マドリーファンには爽やかな夜明けだったことでしょう。
バイエルンファンは、まあ、しょうがないですね。
ブンデスで無理矢理な一強体制を作っておきながらヨーロッパでこの体たらくなんで、バイエルンは大批判を浴びればいいと思います。




by teri-kan | 2014-04-30 16:38 | 身近な話題 | Comments(0)

仁和寺の御室桜

御室の八重桜、9割が一重に変異? 京都・仁和寺

「徒然草」の「仁和寺にある法師」のおかげで日本人なら誰でも知っている仁和寺。
ここは春に盛大に花を咲かせる御室桜が素晴らしいのですが、なんと、八重に改良されて長年やってきたはずの桜が、九割がもとの一重に戻っていたということで、いやー、面白いですねえ、桜って。
ていうか、品種改良で出来た桜だったんですね、御室桜って。

ここの桜は一回しか見たことないのですが、その一回がちょうど満開の時だったこともあって、すごくいいもの見せてもらったという記憶が強烈に残っています。
桜の大群が目に入った時は、「ここはどこの天国?」ってマジで思いましたからね。
「桃源郷ってここでしょ!」って本当に思ったくらいでしたから。

ホント、笑えるくらいモコモコに桜が咲き誇ってて、しかも木の背が低いから人間を取り囲むようにして咲いてるんです。
まさしく自分の周りすべてが「花!」って感じ。
ほら、ソメイヨシノって見上げないといけないじゃないですか、花を見ようとすると。
でも御室桜は花が目の前にあるので本当に極楽。
こんないいところ他にないってくらい素晴らしかった。
あれはお金払って見る価値がある。
見るというより、体感させられるって感じです、あの感覚は。

で、私が見たのはもう十年以上は昔のことなんだけど、あの時から一重の桜が多かったのかどうなのか、ちょっと気になる。
実は八重も一重もどちらもそれぞれに綺麗だけど、八重の方がたくさん咲いた時のモコモコ感が出るように思うので、超満開時のモコモコ感が一重の割合が増えたことで薄れることになったら、ちょっと寂しいかも。
まあ基本どっちでも構わないんだけどね。一重は一重の可憐さがあるし。
八重でも一重でもいつまでも元気に咲いてくれればというのがなんといっても一番だし。

にしても、桜って不思議です。
古来より品種改良されまくってますけど、先祖返りなんてことあるんですね。
遺伝子ってしぶといな。
他にもちょっとずつ変わってる桜もあるのかもしれませんね。




by teri-kan | 2014-04-16 14:45 | 事件・出来事 | Comments(0)

冬は夜

なんちゃって春はあけぼの第三弾。



夏は夕方、秋は宵の口とくれば、冬は夜。
なんか順番に時間が下がってるだけみたいだけど、とにかく冬は夜。

なんといっても空がキレイ。
星がキラキラしています。
星座に全然詳しくない自分でもオリオン座はわかるし、「今日のオリオン座はクッキリだなー」「ボンヤリだなー」と、冬の夜はよく空を見上げます。

月の輝きがわかりやすいのも冬です。
満月と闇夜の差もよくわかるから窓から外を眺めるのも良い。
なんといっても冬の夜は静かだし。
しんしんと音を飲み込んでいる感じなのがいいですよね。

夏の夜は騒がしいからね。
人間の声もそうだけど、蛙とか、虫とか。
でも冬はホントしんとしてて、それで闇夜だったりすると、いろいろと物事が止まってるような感覚になる。でも生きてる感じはする。

寒いのは嫌いだし、基本こたつに幸せを感じる人間だけど、冬を冬らしく感じるのは夜だから、冬は夜。
でもこうして夏から振り返ってみると、季節を感じるのって太陽の変化なんだなあと思うわけで、それもこれも自分の住んでるところが田舎だからこそ感じることなんですよね。街の中では満月が空に昇っているのは見えても、闇夜の暗さはあまりわからないだろうし。
まあ、もっと田舎、それこそ山に入れば闇夜は恐くてどうしようもないものだろうけど。

街の中に住んでいた頃、およそ季節感とは無縁の生活をしていたことを思い出します。
クリスマスとかその時期らしい行事はわかりやすいけど、でもカレンダーと季節は違いますもんね。都会に住んでたら週末はなるべく公園や郊外に出かけた方がいいですよね……。

今年はもう既に冬が来ていて、今からこんなに寒いと1月なんてどうなるんだ?って感じですが、なんとかぬるく過ぎ去ってくれたらいいなあと思います。
大雪とかも極力なしで。
何事もなく過ぎてくれればいいな。




by teri-kan | 2013-11-28 16:20 | 身近な話題 | Comments(0)

秋は宵の口

以前「夏は夕方」と枕草子風に書きましたが、秋は宵の口。
日が暮れてから見上げる空が秋は良いです。

一年中帰宅時間はほぼ同じですが、その時間帯が暗くなってくると「秋だなあ」と感じます。
で、空を見上げると輝くお月様。
「満月だ」「今日は半月くらいだな」「お、三日月」などと、様々な月が見られるのが良い。

一番好きなのは三日月と宵の明星が並んで輝いてるのかなあ。
あれを見るとしみじみと「秋が来たな」という気分になる。
やはり月ですよね。
満月だけでなく、いろいろとなんだかんだで月で秋を感じてるような気がします。

清少納言の「秋は夕暮れ」もいいんですけどね。
うん、どっちかというと夕暮れと宵の口の境目が好きかも。
ほんのちょっとだけ、うっすらと空が微妙に明るさを残してるくらい。
微妙すぎますけどね。
でもあの明るさと暗さの微妙な混ざり具合はいいなと思います。



11月に入ってやっと秋らしくなりましたね。
10月はいつまでも台風が来たり、真夏のように暑かったり、メチャクチャでした。

過ごしやすい秋ができるだけ長く続いてくれればなあと思いますね。




by teri-kan | 2013-11-07 16:40 | 身近な話題 | Comments(0)

夏は夕方

枕草子的に言うと、私にとって夏は夕方です。

お日様が西に傾いている時間帯、毎日ではありませんが、時々空気の色がセピア色のようになって、とてもノスタルジックな光景になることがあります。

夕立の後ならなお良いですね。
庭のある家だと濡れた緑の匂いも楽しめるし、セピア色とその香りと、まるで時間が止まっているかのようです。

うるさい蝉の音もこういう時は風情があります。
というか風景と一体化してあまり気にならない。
ひぐらしの鳴き声はいいですね。
これぞ日本の夏の夕方って感じです。



まだまだ暑くて大変ですけどね。
残念ながら夏の夕方を楽しむ余裕は今年はあまりない。
秋の虫は鳴き始めたけど、猛暑は絶賛継続中です。

世界陸上の舞台のモスクワは空に浮かんでる雲がすっかり秋でした。
うらやましー。
マラソンは男子も女子も暑そうだったけど、暑さが有利に働いた面もあるし、どちらも満足のいく結果を残せて良かったと思います。
今年は完全に世界陸上とお盆休みが重なりましたねえ。
モスクワは時差も適度でTV観戦が楽で良かったです。



今日からまた平常運転ですね。
頑張らなきゃいけないけど、暑すぎてだらける~。




by teri-kan | 2013-08-19 14:52 | 身近な話題 | Comments(0)

時鳥

今年はほととぎすの鳴き声をよく耳にします。
こないだは夕方に鳴いてました。
大抵真夜中に聞こえることが多いのですが、今年は鳴きたがりのほととぎすが近くにいるのかもしれません。デカい声の時はうるさいくらいです。

ほととぎすは「春がうぐいすなら初夏はほととぎす」ってくらい季節感のある鳥で、しかも夜に鳴くので特徴的です。
本当に「特許許可局」って言ってるんですよね。
「テッペンタケタカ」とも言いますが、まあ要するに「キョキョキョッ」って感じなんだけど、それに節がつくと「トッキョキョカキョク」になる。
おもしろい鳴き声ですよね。ちょっと微笑ましくて、聞こえてくると温かい気持ちになります。

ほととぎすは漢字表記が山のようにあるのですが、代表的なものといえば「杜鵑」「時鳥」「子規」「不如帰」「郭公」……でしょうか。まだまだあるのですが個人的にピンとくるのはこの辺り。
でも「杜鵑」はあまり見かけないかなあ。

「郭公」は読み通りカッコウで、どっちかというとほととぎすよりカッコウのイメージが強いです。でもクラシック音楽で聴かれることも多いので、なんとなくグローバルなカタカナ表記の方がカッコウはしっくりくる。

「不如帰」のイメージとくれば、もう徳富蘆花の代表作しかありえません。学生時代に読みましたが、もう涙涙、涙なしでは読めないお話です。
正直ストーリーはほとんど忘れているのですが、とてもいいお話だったことと、ヒロインの名前は覚えています。
浪さんですよ浪さん。
浪子さんというんですが、素敵な名前だなあと思いながら読んだ記憶がありますね。

「子規」といえば正岡子規で、「子規」と書かれたら「ほととぎす」と読むより「しき」と読むのが多分一般的。自身の病気になぞらえて子規がこの雅号を用いたのというのはなんとも辛いエピソードですが、ほととぎすは血を吐くまで鳴くと言われているというのはかなりイヤな言い伝えかも。
まあ実際にものすごく鳴くんでしょうけど、私のイメージではほととぎすの鳴き声は、源氏物語の「花散里」の巻なんですよ。懐かしさと慕わしさと切ない淋しさを呼び起こすような、しっとりした恋歌のイメージなのです。

だから夜中に鳴き声が聞えると、「おおー源氏物語ー、平安時代と同じー、千年前も同じ鳴き声を皆さん聞いていたー」と心がいにしえに飛びます。で、こんな風に古代に心が飛ぶのは、他の動物の鳴き声だとあまり起こらないのです。
うぐいすも蛙も蝉も秋の虫も、おそらく千年前と変わらないはずなんだけど、毎年盛大に聞いてるからですかねえ、結構日常に取り込まれてしまってるんですが、ほととぎすは私にとっては希少性が高いというか、聞かずに終わってしまう年もあるから聞けた時はすごくうれしい。
で、「トッキョキョカキョク」が聞こえた途端、脳内は和歌を取り交わす昔の人達に占められるのです。夜道をそぞろ歩く平安時代の殿とかに。この時期は夜歩いても暖かくていいよねーとか思いながら。

ほととぎすって和歌にたくさん使われてるんだけど、それはほととぎすの鳴き声に人の感情が乗せやすかったからかなと思ったりします。それぞれの思いやその時々の心を反映させやすかったというか。
だからたくさんの漢字表記も存在しているのかもしれません。
存在している表記の数だけほととぎすは日本人の様々な心情の近くにいたってことなんでしょうね。




by teri-kan | 2011-06-17 11:15 | 本(歴史書・新書 日本) | Comments(0)